第4話(下)

 二人は男たちの後を追った。緩やかな登りになった通路をしばらく進み、やがて、あちこちに支柱を入れて補強した、先の部屋より一回り広い空間に出た。ランタンもたくさん壁に掛けられ、かなり明るい。

 そこに、逃げた三人の男たちと、彼らの上役らしい初老の男が待ち構えていた。そしてその傍には鉄棒を巡らした檻が四つ置かれていて、それぞれ中には、鼠色した不気味な亜人が充血した目でこちらをじっと見て、座っていた。

「何だ、あれ?」ティルザが訊いた。

「グールよ」アリーネが答えた。

「強いのか?」

「強い」

「ゾンビよりもか?」

「馬鹿力の素早いゾンビと思えばいいわ」

「……勝てる気がしねえ」

 初老の男がローブの袖から何か出し、中年の男に手渡した。中年の男はそれをまた、若い男の一人に手渡した。若い男は檻の一つに近づき、鍵を開け、それからまた、次の檻へと向かった。初老の男がティルザとアリーネの方に首を向けなおして言った。

「お前ら、儂らのゾンビを全て壊してくれたそうだな。あれだけ作るのに、どれだけの手間が掛かったと思ってる。お前ら許さん。グールの餌になって死ね」

「そのグールも、あんたたちが作ったの?」アリーネが訊いた。

「そうだ。驚いたか。ゾンビから人工進化させた。儂らの研究の成果だ」フードの中の小皺だらけの顔が自慢げににやりとした。

「あなたたち何者なの? 新手のカルトか何か?」

「カルトかどうかは知らぬが、とにかく、真正の教えに目覚めた者たちの集まりだ」

「ゾンビとグールを使って、一体、何をするつもりだったの?」

「お前らが知る必要はない」

「なるほど、あなたも知らないのね。そりゃそーか。こんな郊外の墓場に左遷されてしまうような残念な人だもの。ただ上からアンデッドの製造を命じられただけで、他は何も聞かされてないのね。余計なことを訊いてごめんなさい、係長さん」とアリーネはせせら笑った。

 初老の男は顔を赤くして、

「左遷ではない。栄転だ。そして儂は課長だ。あなどるな。まあいい。どうせお前ら、生きては帰れないんだ。教えてやる。ここのゾンビとグールにはネピエルの街を襲わせる。街は混乱の極みに陥るだろう。そこに我らと協力関係にあるパスチラーラ候の軍隊が救援に来て、ゾンビとグールを退治する。街は平穏を取り戻すと同時に、勢い、パスチラーラ候の支配下に入る、というあんばいだ。どうだ、驚いたか?」

「別に驚かないわ。薄々、そうじゃないかと思ってた。アトロポシアの例の反復ね。あれも、あなたたちの一味が噛んでいたというわけね」

「あれは……うむ、まあ、もちろん、そうじゃ」

 初老の男は顎に手をやり、目を泳がせた。自身の答えに確信がないらしい。アトロポシアの件については、どうやら彼も、何も聞かされていないようだ。

「ゴブリンの類って、ゾンビみたいに人が操れるのか?」ティルザがアリーネに訊いた。

「一匹二匹ならともかく、アトロポシアを襲ったほどの大量の亜人を一度に操るのは、優れた術者をどれほど集めようと、まず無理ね。いくらゴブリンが低能だと言っても、彼らはゾンビと違って、魂まで空というわけじゃないから」

「でも、奴らは実際に――」

「ほんと不思議よね。どんな方法を使ったんだか」

「おしゃべりは終わりだ」初老の男が袖からタクトに似た短い棒を取り出しながら言った。「そして、お前らの短い人生も終わりだ。命乞いするなら、今しかないぞ。さあ、どうする?」

「どうするも何も、いま追い詰められているのは、あなたたちの方なのよ。悪いことは言わない。抵抗を諦めて、大人しく私たちに捕まりなさい。長い監獄暮らしになるだろうけど、ここで死ぬよりずっとましでしょ」アリーネが言った。

「強がりはよせ。そして、今すぐひざまずき、我らに素直に許しを乞え。そうすれば、助けてやるばかりか、今後、儂の秘書としてでも使ってやって、ねんごろに可愛がってやる。よく見るとお前ら、悪くない器量をしとるからな、ただ殺すのは勿体ない。特にちっちゃい方、どうだ、考え直せ。悪いようにはせんぞ」初老の男の目が、まなじりに皺を刻んで、好色そうに細まった。

「……気持ち悪い。こっち見ないで。蕁麻疹が出そう。あんたはそこのグールとでもやってなさい。もともとそのつもりで作ったんでしょ。醜さといい浅ましさといい、釣り合いが取れて、お互いにぴったりの相手だと思うわよ。結婚式には呼んでね。行かないけど。お幸せに」アリーネが軽蔑をあらわにした冷たい目をして言った。

「お前ら、もう許さん」

「だからこっち見ないでってば。あんた本当にきしょいのよ」

 初老の男のこめかみにはっきりと青筋が浮かび、彼は、手にした短い棒で天を指しつつ、何やら呪文らしき言葉を唱え始めた。

「死界を統べるナハート神、我に力を貸し給え。望むらくは、生なき者をば、暫時自由に操る術。供物はそこなる女二人。瑞々しき贄なれば、ゆめゆめ不足は無かりしや――マニピュレーティング・アンデッド。グール達よ、そこの女二人を食い殺せ!」

 棒が振り下ろされ、二人の方を指した。

 四つ檻の扉が開いて、グール達が外に出てきた。すべて背丈は並の男より少し高い程度だが、鼠色の皮膚の下の筋肉はどこも隆々としていて、これが、あのやつれた腐肉のみを纏ったゾンビを元に作られたものだとは、ティルザにはとても信じられない。アリーネは散々馬鹿にしていたが、それらグール達の主人のきしょい男は、実はそれなりに大した術者なのかもしれないと思う。

 グールらはそれぞれ、ティルザとアリーネに向かってきた。少し前かがみの姿勢になって、まっすぐスタスタと歩を運んでくる。

 二人は急いで壁際に寄り、ティルザはアリーネを背にかばい、剣を構えた。

「どうする? 逃げるか?」ティルザが出口を一瞬振り返って訊いた。

「そんな必要ない。少しのあいだ、時間を稼いで。とにかく私にグールを近づけないように」アリーネが落ち着いて答えた。

 ティルザは、あっちのグール、こっちのグールへと、忙しく方向を変えて進んでは、剣を大振りに振り回した。当たろうが当たるまいが、とにかく牽制になりさえすればいい。主人に従順なグールも、流石にそれを無視して進むわけにも行かず、ちょっと足を止めて、大風が止むのを待っている格好だ。

 しかし、一対四では流石に分が悪く、二人はほどなく半包囲された。ティルザの剣の勢いも、疲れから当初の勢いを失って、中段に構えた剣先も下がり気味になっている。

「まだか? 急げ!」

 その間ずっとアリーネは、目をつぶり意識を集中させていた。そして今、杖を持った手を上げて、何か呪文を唱えはじめた。

「天地に普遍すマドゥーカ神、畏れ慎み我は乞う。ここに不遜な痴れ者ありて、死者を使役し暴を為さしむ。元より死者は尊きにして、その眠りをば覚ますべからず。彼奴らにその罪自覚さすべく、主、死者をして、そのあるじに背かしめよ――ターニング・アンデッド。グールらよ、あなたたちが襲うべきは私たちじゃなくして、そこなる男どもよ。そいつら皆、やっちゃいなさい。回れ右!」

 ティルザの首に手を伸ばしかけていたグールの動きが急に止まった。そして、アリーネの命じたとおりに向きを反転し、初老の男の方へと戻りだした。他の三匹もそれぞれ踵を返し、別の男たちに迫っていく。

「な、何? まさか、そんなことが……ええい、もう一度――マニピュレーティング・アンデッド! き、効かぬ。ど、どうしてだ?」初老の男が、狂ったように手にした棒を振り回しつつ言った。

「死者を玩具にした罰よ。反省なさい」アリーネが冷然と言った。

「儂の呪文の効果を消して、上書きしたというのか? それも、儂の作ったグールに対して。お前みたいな小娘にどうしてそんな真似が?」

「まあ、死体の扱いに関しては、元々こっちが専門だからね」

「お前、何者だ?」

「分を弁えなさい。係長程度の人間に名乗る名前はないわ」

「儂は課長だ!」

「失礼、課長か。それならまあ、名前だけは教えてあげる。私の名はアリーネ」

「アリーネ……貴様、マッカローンティヌスの娘か!」

「あら、よくわかったわね。まあ、それがわかったからって、今更どうにもならないけど」

 グールはもう、課長のすぐ傍まで近づいていた。課長の表情に怯えの色が走る。

 彼は声を上擦らせて「ファイアーボール!」と叫んだ。その棒先から人の頭ほどの火球が飛び出し、グールの広い胸に直撃した。皮膚の焼ける臭いがして、あばら骨が何本か現れた。しかしそれで、グールの歩みが止まることは無かった。

「こ、こっち来んな。ギャー!」

 グールは、逃げかけた課長の襟首を左手で捕まえ、強烈な右ボディアッパーを彼の鳩尾に食らわせた。課長の口から大量のゲロがだらりとこぼれ出た。

 他の三方からも、男たちの悲鳴や呻きが聞こえてきた。一人はグールから首を絞められつつ床から持ち上げられ、一人は引き倒され、腰に股がられ、顔面を繰り返し殴られ、一人は背後から腰の両側を持たれ、立ったまま身体をくの字に折り曲げられ、その尻を犯されている。地獄のような光景に、ティルザも流石に顔をしかめた。

「あの、掘られてる奴。あれはちょっと悲惨すぎて見てられない。止めてやれないか?」

「どうして? 一歩間違えば、私たちがあれと同じ目に合わされていたのよ。同情の余地なんかないでしょ。思い知るがいいのよ。それにあの男、もうとっくにショックで死んでるわよ」

「死んでいてもだ。さっき、お前も言ってたろ、死者を玩具にするなって」

「……わかった」

 アリーネはその一匹に命じて、元の檻へと戻らせた。他の三匹も、それぞれ仕事を終えた者から順に檻へと帰らせた。ティルザが鍵を拾って、全てに錠を施した。四つの死体の転がる血なまぐさい空間が急にしんとした。

「さて、帰るか」ティルザが疲れた表情で言った。

「そうね。じゃ、おんぶして」アリーネがその場にストンと座り込み、ティルザの方に両手を伸ばして言った。

「寝言は寝て言え」

「呪文を唱え過ぎて、疲れ果てちゃった。もう動けないの。それに今日は、私の方があんたより活躍したでしょ。私が居なければ、あんた間違いなくグールに食われてたし」

「……わかった」

「あと、宿に着いたら、マッサージもよろしく」

 夜の明ける頃、ようやく宿に帰り着いた。アリーネはティルザの背中で既に眠っていた。

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