第3話(後半)

 朝、ティルザが宿を出ると、東門の辺りに人が集まっていた。掲示板に何か新しい告知が張り出されたらしい。

 ティルザは文字を読むのが苦手だ。近くの男にその内容を尋ねた。

「教皇様が崩御なされたらしい。亜人どもにやられたってよ」

「そうか……」

 やはり助からなかったかとティルザは思う。自分に無価値の紙幣を掴ませた憎い男ではあったが、あのアリーネが悲しむと思うと、流石に少し心が痛む。

「あと、その娘さんも一緒に亡くなられたって」

「は? 娘?」

「アリーネ様だよ。俺は見たことないけど、ずいぶんと綺麗なお方だってよく聞いた。お可哀そうに。で、早速その名をかたる偽物が現れて、あちこちで詐欺を働いて、まだ捕まってないらしい。そいつに関する情報を提供した者には最高額で五百万リブラ、捕まえた者には一億リブラの報奨金だってよ」

 ティルザは耳を疑った。何かの間違いだろうと思う。あのアリーネが偽物のはずはないので、お上の方でもあの混乱の中、情報が錯綜しているのに違いない。しかし、もしこのお触れが、誰かの何らかの悪意によって、意図的に出されたものだとしたら――。

 ティルザは咄嗟に駆け出した。人を避けながら、目抜きを西へと走ってゆく。心配ないとは思いつつも、なぜか胸騒ぎがしてならない。

 通りを抜け、右へ折れると、目指す教会はすぐそこだ。ティルザは玄関を開ける手間ももどかしく、教会の中へと飛び込んだ。

 人を呼んだが、すぐには誰も出て来ない。彼女は構わず通路をずかずかと進んでいき、正面隅の小さなドアを勝手に開き、くぐった。

 そこは住居施設になっていた。廊下の左右に二つずつ部屋が付いている。

 左奥の部屋だけ、ドアが開いていた。中から何やら騒がしい声と物音がしている。ティルザはその前に立って、驚いた。若い修道女がアリーネに馬乗りになりその身体を床の上に取り押さえ、乱れた裾から露わになったアリーネの白い両脚をエドラが麻縄で縛りくくろうとしていたのだ。

「何をしている!」ティルザは若い修道女をいきなり蹴倒した。

「ティルザ!」アリーネが高い声を上げた。

 二人の修道女はどちらも顔を青くして、その場に固まってしまった。ティルザは剣を抜き、その剣先を横座りに倒れた若い修道女の喉元に突きつけた。

「正直に答えろ。何をしている?」

「わ、私はただ、エドラ様の指示に従っただけ」

「何を指示された?」

「この女を縛り上げてお上に突きだすから手伝えと」

「あの告知を見ての振舞いだな」

「そうよ」

「だが、このアリーネが偽物でないことは、お前も知ってるよな?」

「私もそう思ってた。でも今朝になってエドラ様が、やっぱりこの女は偽物だと……」

「なっ……」アリーネの表情が唖然とした。

 ティルザはエドラを睨みつけた。麻縄を握りしめたままのエドラの手が震えている。

「育ての親とまで呼ばれたあんたが、まさかその当人を間違えるはずはないよな?」

「いえ、その、あ、えっと、こ、これは、ち、違うんです……」エドラが目を泳がせて言った。

「訳を話せ」ティルザは剣を振りかぶった。

「す、すいません、ごめんなさい、ゆ、許して。どうしてもお金が必要だったんです。ほら、この教会、古いでしょ。だから、あちこちと直す必要があって」

「必要な修繕費は申請さえすれば本部が出すはず。なぜ、そうしなかったの?」アリーネが感情を抑制した静かな口調で訊いた。

「そ、それは……」

「お前、知ってるか?」ティルザが再び若い修道女の喉元に剣先を擬して訊いた。

「申請はしました」

「金は降りなかったのか?」

「いえ、満額いただきました」

「その金はどうした?」

「確かには知りませんが、たぶん、男に……」

「男?」

「こ、これ、止めなさい」エドラが慌てて口を挟んだ。

「詳しく」ティルザは剣の横腹で若い修道女の喉をぴたぴたと叩いた。

「この街の芝居小屋で役者をしている男です。エドラ様は、しばしば変装して芝居を見に行かれては、毎回必ず高価な贈り物を」

 ティルザは呆れて声もない。若い修道女はさらに続けて、

「そしてその男はその都度お礼に、深夜、エドラ様の部屋の窓から忍び入ってきて――」

「もういい!」アリーネが叫んだ。顔をうつむけて、その表情はよく見えない。

 部屋の中が急に静かになった。誰も動かず、何も言わない。息の詰まる不快な時間がゆっくりと過ぎてゆく。やがてティルザがまた剣を振りかぶって、アリーネに訊いた。

「どうする、この女、斬り捨てるか?」

「ヒィッ!」エドラの表情が恐怖にひきつった。

「好きにしていいわよ。私はそんな女、もう知らない」アリーネが思いのほかあっさりとした口ぶりで言った。

「わかった」

 ティルザはそう言うと、剣を鞘に収め、足の裏でエドラの顔に蹴りを入れた。ギャッと小さな悲鳴を上げて床に倒れたエドラの鼻から血の筋が一本、たらっと流れ出た。

 アリーネはその様子を横目に見ながら、ベッドの傍に揃えておいた自分の靴を履き、棚から巾着を取り上げると、そのまま何も言わずに、さっさと部屋から一人、出て行ってしまった。ティルザもすぐに後を追った。

 二人無言のまま縦に並んで教会を後にした。アリーネの足取りは速く、一時も早くこの不浄の地から離れたいという気持ちが伝わってくる。西門を出たところで、アリーネが背後を見ずに訊いた。

「何で付いてくるのよ?」

「……報酬に貰った金、両替できなかった。よくわからなかったけど、とにかくあの金、無価値なんだとよ。だから改めて、お前から取り立てることにした」

「私、お金なんて持ってないわよ」

「じゃあ、お前に金ができるまで付いていく」

「……勝手になさい」

 二人はまた無言に戻り、長く延びる道をやがて横並びになり、歩いていった。

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