第3話(前半)

 どこか鍾乳洞の中らしい。

 広い空間の暗い天井から、石のつららがびっしりと連なり垂れている。対となる地面にも同様につららが生え育ち、場所によっては上下のつららが繋がって細い一本の柱となっている。

 空間の左側は全て池で、澄んだ水が地面すれすれにまで溜まっている。正面の中ほどから右奥に向かい、蹴込みが低く踏み面が広い石の階段が扇状に出来ている。

 その階段の一段々々に、淡い蝋燭の灯りに照らされて、薄手の白装束に身を包んだ女たちがピクリともせず転がっていた。その数は五十を越え、すべて意識を完全に失っているようだ。そしてその手前には、黒ローブを着た八人の者どもが並んで跪き、それぞれ両手を胸の前で握り合わせ、何か誦していた。

 また、その背後に、細工の凝った錫杖を突いて、男がひとり別に立っていた。やはり他と同じ黒ローブを着て、容貌はよくわからない。ただ、雰囲気からして、彼らのボスに違いない。

 通路から、誰か小走りに来て、その男の前に跪いて言った。

「猊下、アトロポシアが落ちました」

「そうか。マッカローンティヌスは?」

「死にました」

「死体は確認したか?」

「ハッ、手の者が確かに」

「娘は?」

「……わかりません。ただ、報告によると脱出は難しかろうと。おそらくオーガあたりに既に食われてしまったのではないかと」

「万全を期す必要がある。逃げのびた前提で手配しろ」

「ハッ」

 伝令が下がると、猊下と呼ばれた男は、八人の者どもの背中に向かい、厳かに告げた。

「皆、ご苦労であった。目的は達した。帰って休め」

 空間に重なり響いていた陰気な低声が一斉に止んだ。猊下と呼ばれる男が踵を返し、八人の者どももそれに付いて、その空間から出て行った。

 あとは石の上に、女達だけが残された。どの女も、元の姿は知らず、すべて痩せて骨と皮ばかりになっていた。



 ティルザとアリーネの二人は昼頃、ホスケージの街に着いた。

「もう、くたくた。早く休みたい」

「お前が言うな。明け方までずっとあたしの背中で寝てたくせに」

 ホスケージは、アトロポシアと西の商業都市ネピエルのあいだの宿駅といった感じの街である。その性質から東西の門は夜を除き常に開かれ、一応、門番の兵士は居るものの、よほど怪しい人物でない限り、まず止められることはない。ティルザとアリーネも別に声を掛けられることもなく素通りした。

 宿屋と飯屋の立ち並ぶ目抜きを仕舞いまで抜け、西の壁に沿って少し上ると、そこに、古びた教会が立っていた。中に入って、出てきた若い修道女にアリーネが自らの名と身分を告げると、その修道女は慌てて奥へと戻っていき、ほどなく、太った中年の修道女が、やはりこれも慌てて出てきた。

「まあ、アリーネ様、よくぞご無事で! 心配しておりました」

「久しぶりね、エドラ。元気だった?」

 二人は抱き合い喜んで、中年の修道女の方は涙まで流している。

「誰?」ティルザが訊いた。

「エドラ。私の小さい頃、世話をしてくれてたの。私は母を早くに亡くしているから、彼女は私にとって、いわば育ての親ね」

「まあ、アリーネ様、なんともったいないお言葉」エドラは神に感謝するように両手を胸の前で組み合わせ、目を閉じた。

「ところで、エドラ、お願いがあるの。アトロポシアのことは聞いてる?」

「ええ、詳しいことは知りませんが、なにやらゴブリンの大群に襲われたとか何とか」

「そうなの。それで、事が落ち着くまで、しばらくここに泊めてもらいたいんだけど」

「もちろん、お安い御用です。さあ、とにかく部屋の方へ。お疲れでしょう」

 アリーネは左右に並ぶ長椅子のあいだをエドラに付いて歩いていった。途中、ティルザが付いてきていないことに気づいたらしく、振り返った。ティルザは入口の傍に突っ立ったまま、じっとアリーネの方を見ていた。

「どうしたの?」

「あたしはここで失礼するよ」

「なんでよ?」

「あたしの仕事は、これで終わりだろ」

 ティルザがマッカローンティヌスから頼まれたのは、アリーネを無事にどこかの教会まで送り届けること。とすると、確かに彼女の役目はもう済んだ訳だ。特にこれ以上、二人が一緒に居るべき理由は無いといえば無かった。

「……お茶ぐらい飲んでいけば」アリーネが白けた表情で言った。

「いや、いい。ここの雰囲気、なんか落ち着かないから」ティルザが正面に祭られた聖母像をちらと見て言った。

「そう。で、あなた、お金はあるの?」

「ああ、依頼の報酬を先払いで貰ってる」

「なら問題ないわね。ここまで世話になったわ。じゃ」

「ああ、じゃあな」

 ティルザは踵を返すと、振り返ることもなく、さっさと教会を離れていった。命懸けの脱出行を共にした相手と別れることに、何の感慨も湧かないではなかった。しかし、アリーネと自分とは、あくまで客と傭兵の関係であり、そこを間違えてはいけないと思う。ティルザは自らをもってプロの剣士であると任じていた。

 彼女はその足で、さっき西門の傍に見かけた両替所へと向かった。懐中の報酬を、この街の通貨と交換する為だ。

 その額、五十万リブラ。仮に手数料を十パーセント取られたとしても、四十五万リブラも残る。それだけあれば、ここの目抜きの食物屋のメニューを全て食べ尽くして、まだ余るだろう。ティルザは、何から食おうかと楽しく考えながら、両替所の戸をくぐった。

「無理。お客さん、これは両替できない」

 のっけに店主からこう言われて、ティルザは一瞬、呆然とした。

「はっ、なんで? これは偽物じゃない、本物の――」

「知ってるよ。でもこの紙幣の発行人、アトロポシア政庁じゃねーか」

「それが何?」

「何って、あんたもアトロポシアの惨状は聞いてるだろ。潰れた街の貨幣にどんな価値があるってんだよ。こいつはもう、ただの紙屑だよ。これがまだ硬貨なら、地金の価値で買い取ってもやるがな」

 ティルザは、この店主は自分に学が無いと見て、騙そうとしているのだと考えた。それですぐにその店を出て、東門近くの両替所へと向かった。しかし、そこの店員の対応も先と全く同様だった。

 店員の前で、目に見えて落ち込んだティルザの腹が鳴った。店員は彼女のことを余りに哀れに感じたらしく、

「三千リブラで良ければ買い取るよ。五十年もすれば、滅びた都市の貨幣として骨董品的価値が出るかもしれない」と言ってくれた。

 三千リブラあれば、今日の飯と宿にはとにかくありつける。ティルザはその申し出に応じるよりなかった。

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