第2話(後半)

「ちょっとあんた、大丈夫?」アリーネがティルザに寄ってきた。流石に心配そうにしている。彼女も巻き添えで転んだが、特に怪我はせずに済んだらしい。

「ああ、平気だ」ティルザは剣を構えなおしつつ、強がってみせた。「オークの一匹ぐらい、すぐに片づけて、あっ……」

 門の左右の陰から、また別にさらに三体のオークが現れて、門を塞ぐように一列に並んだ。

「後ろからも来てるわよ」

 オーガどもも迫りつつあった。手負いの一匹も血を流しつつ他の二匹と並んで歩き、特に弱っているようには見えない。

「……」

 都合七匹のオークとオーガ。一人で相手をするには流石に手に余る。あまつさえ、今のティルザは完調ではなく、少し身体を動かすだけでも、腹に軽くない痛みが走る。さて、どうしたものか。

「このままじゃ囲まれちゃうわよ」アリーネが忙しく前後を見回しながら不安げに言った。

「ゆっくりしてる余裕はないな。よし、一番左の比較的小さなオークを狙おう。あたしがあいつに掛かっていくから、お前はその隙に門を抜けて逃げろ。あたしのことは気にせず、前だけ向いて走り続けろ。じゃ、行くぞ」

「わかった。でもその前に、あっ、ちょっと!」

 ティルザが駆け出した。剣を身体の横に立てて、まっすぐにオークへと向かっていく。その動きはこれまでと同様、速く逞しく、先のダメージの影響が残っているようには見えない。

 目標のオークは、自分のところにティルザが向かっていることに気づくと、傍の留め金の壊れた門扉から、一メートル半ほどの長さの樫材のかんぬきを抜き取った。そしてそれを、比較的小さいとは言っても二メートルは越える大きな身体の前に、両手で持って構えた。

「ヤッ!」ティルザが鋭い掛け声と共に飛び上がり、その頂点から、上段に振りかぶった剣を振り下ろした。

 オークの腕が上がり、樫材で刃を受ける――と思いきや、ティルザの剣は樫材の手前を空振りし、その剣先は下方に落ちた。

 この初太刀はおとりだった。真の狙いは、いま無防備に空いた胴。ティルザは着地と同時に、剣を横に向けつつ、上体を大きく捻った。

 オークはティルザの技の速さについていけない。獰猛そうな目を、ただ大きく見開くのみ。そして、次の瞬間、

「アッ!」

 悲鳴を上げたのは、ティルザの方だった。剣を振り抜くべく腹筋に力を入れた途端、脇腹に激痛が走ったのだ。

 オークが自らの得物を横から大きく振り抜いて、動きの止まったティルザの脇腹を強打した。ティルザの身体が宙を舞い、やがて無様に背中から、もろに地面に落下した。

「なにやってんのよ」焦点の合っていないティルザの目を上から覗き込みながら、アリーネが言った。

「……逃げろ」先に殴られたのと同じ個所を打たれて薄れゆく意識の中、ティルザはかすれた声で呟いた。

「逃げろも何も、もう囲まれてるわ。だから、あんた寝てないで、とっとと起きて戦いなさい」

「……鬼だな、お前……」

 アリーネはそれには答えず、肩に掛けた巾着から木製の短い棒を三本取り出した。そして、それらの先端同士を手際よくねじり合わせ五十センチほどの一本の棒にすると、球形になった握りの部分をティルザの脇腹に向けて、何やら一人つぶやき始めた。

「天地に普遍すマドゥーカ神、畏れ慎み我は乞う。ここに一人の弱き婢ありて、悪に挑みて傷つき倒る。これに感じて憐れむならば、主が奇跡もて婢を救え――ヒール」

 球形の握りが光を帯びた。ティルザは腹部に熱を感じ、その患部から急速に痛みが退いていくのを感じた。そして、再び意識を覚醒させた彼女は、がばと上体を起こしてアリーネに訊いた。

「何をした?」

「回復魔法を掛けた」

「お前、そんなことできたのか?」

「私を誰だと思ってるのよ。時の教皇マッカローンティヌス十三世の娘よ。これぐらい出来なくてどうするのよ」

「よし、とにかく、これでまた戦える」

「ほら、また慌てて。ちょっと待ちなさい」アリーネは、腰を上げたティルザを止めると、今度は棒の握りをティルザの持つ剣の方に向けて、また何やら口の中で唱えた。

「何をした?」

「そのなまくらの刃を魔法で研いだ。多少は切れ味、良くなってるはずよ」

 さっきティルザをかっ飛ばしたばかりのオークがすぐそこに迫っていた。ティルザは相手を見据えつつ、剣を中段に構えた。

 それを見て、オークはニヤリとした。獣じみた相貌の中にも、嘲弄の気分がはっきりと読み取れる。舐められたティルザはたちまち逆上し、その怒りのおもむくまま、鋭い気合いを発しつつ、相手に突っ込んでいった。

「ウリャアアアアー!」

 ティルザが駆けながら剣を高く振りかぶり、オークはその斬撃を防ぐべく、樫材の得物を頭上に掲げた。剣が振り下ろされ、樫材に激しく跳ね返されると見えた。しかし、実際には、剣はあっさりと太い樫材を両断してしまい、のみならず、その勢いのまま、オークの首の付け根から股座までをも斬り裂いた。背骨のあたりを中心線として左右にパックリと腹から切り開かれたオークには、悲鳴を上げる暇すら無かった。

「あたしの身体の中に、まだこんな力が眠ってたなんて……」血まみれの断面を眺めながら、ティルザが感に堪えたように言った。

「あんた、人の話、聞いてた? まあ、いいわ。魔法の効いてる今の内に、他のも、さっさとやっちゃいなさい」アリーネが後ろから、疲れ切った人の口ぶりで言った。

 他のオークもオーガも、ティルザの剣の冴えを眼前に見て、既に逃げ腰だった。ティルザは次とばかりに直近の別のオークに掛かっていき、手にした何かの棒切れで守るばかりのそいつを、一方的にあちこちと斬りまくった。そして最後にその首を、見事に一刀で斬り飛ばした。

 残りのオーク、オーガらはさらにこれを見るや、皆一斉に逃げ出した。それぞれ背中を見せて、ばらばらの方向に走っていく。どれも普段の動きに似ず、なかなか足が速い。

「おっと、てめえは逃がさねえ」

 ティルザは、最初自分にきつい右フックを食らわした、どでかいオークを追いかけ追いつき、その背後から一刀の下に斬り伏せた。

「逃げる相手を後ろから斬るなんて、本当に野蛮極まりないわね」戻ってきたティルザにアリーネが言った。

「お前がやれって言ったんだろ。なんにせよ、落とし前はつけないとな」ティルザが剣を鞘に収めながら言った。

「まあ、いいけど」

「じゃあ、行くぞ。ん、どうした?」

 アリーネの瞼が落ちかけていた。立ったまま頭をかくんと揺らし、今にも眠り込んでしまいそうだ。

「散々走らされた上に、連続して魔法を使って疲れた……」

「あっと」くずおれかけたアリーネをティルザは咄嗟に抱いて支えて、「おい、ちょっと待て、こんなところで寝てどうする」

「もう無理……」

 ティルザの腕の中で、ささやかな寝息が聞こえ始めた。

 ティルザはアリーネをおんぶして門を出、低い草むらのあいだに踏みならされた一本道をそのまま愚直に歩いていった。

 時々、ゴブリンやコボルトらが彼女たちを見つけて襲ってきた。ティルザはその都度、どう声を掛けても起きないアリーネを背から降ろし、一人、剣を振るった。どれも五匹を越える群れは無く、追い払うのに大した苦労はなかった。

 日暮れて一度、アトロポシアの方角を振り返った。暗くなりかけた空に、炎と煙を上げる聖堂の尖塔が小さく見えた。ティルザは、背中のアリーネを起こさないよう気を付けつつ、また先へと道を急いだ。

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