第二章 掘って掘られて
第6話
やがて東からパスチラーラ候の軍隊がアトロポシアの救援に訪れた。パスチラーラ候は五つの都市国家を支配する東方随一の有力君主である。その軍隊は精強を誇り、実戦経験も豊富であった。
暴虐の限りを尽くした亜人どもは既にその頃には盗る物は盗り尽くし、その多くは、それぞれ自分の元のねぐらに引き上げていた。パスチラーラ候の軍隊は易々と残りの亜人どもを駆逐し、そのままアトロポシアを自らの保護下に置いた。これにより、街の治安は一応、回復した。
それから間もなくして、新教皇の即位が発表された。ピッツァータウフェン家のジェラートゥス六世がアトロポシアの聖堂の新しい主となった。本来、マッカローンティヌスの後を継ぐべきはアリーネである。しかし彼女の存在は、明らかに何者かの悪意により、既に亡き者として扱われていた。
ティルザとアリーネの二人は今、ネピエルの街に滞在していた。ネピエルは商業の盛んな街で、人の出入りが多い。その点、余所者には身を隠すに都合よく、二人は既に二週間、ここに留まりつつ、脱出後のアトロポシアの状況の推移を見守っていた。
この間の食費宿泊費は、ティルザがこの街の傭兵ギルドからゴブリン駆除や護衛等の簡単な仕事を貰ってきて賄っていた。それらの仕事にはアリーネも必ず同行したが、彼女が役立つことはほとんど無かった。その働きの差の埋め合わせとして、ティルザは宿に帰るたびアリーネに、自身の身体のマッサージを必ず要求した。アリーネもまた、ぶつぶつ言いながらも、それを断ることは無かった。
「とにかく、私が私であることの証明をする必要があるわ」ティルザの腰に座ったアリーネが、重ねた両手に力を加えながら言った。
「下手な吟遊詩人の歌の歌詞か?」枕に顔を載せたティルザが目をつぶったまま言った。
「実際の話よ。誰か私のことを知っている人にそれを頼むほか、方法は無さそう」
「そんなの幾らでもいるだろ。いくらお前が深窓の令嬢だと言ったって、聖堂勤務の修道女とは、いつも当たり前に接してたんだろ」
「私が深窓の令嬢かどうかということはともかく、いずれ、一介の修道女が協力してくれたところで、役には立たないでしょうね。すぐに詐欺の共犯だとされて、捕まってしまうのが落ちよ。ある程度、力と立場のある人じゃないと」
「その、ジェラートゥスとやらの前に堂々と名乗り出たら? 彼はお前のこと知らないのか?」
「なんでわざわざ殺されに行くようなこと、しなきゃいけないのよ」
「そりゃそーだ。そいつが黒幕に決まってるもんな」
「黒幕かどうかは知らないけど、一味であることは間違いないわね」
「で、誰を訪ねていくつもりだ?」
「ピーラッカ地方の君主、ラスキベルギン候の王妃が親戚なの。その人を頼ろうと思ってる」
「ピーラッカと言うと、確か北の方で結構遠いよな。親戚って、どんな関係だ?」
「従妹の旦那の叔母」
「……それ、親戚か?」
「一時期、私の家庭教師をしてくれてたの。恐くて厳しい人だったけど、それだけに筋の通った人だった。とにかく、信頼のおける人」
エドラの時の例から、お前の人物評など当てにできるか、とティルザは思う。もちろん口には出さないが。
いずれ、この先の旅費を貯める必要がある。今のような簡単な仕事をこなすばかりでは、その日暮らしがせいぜいだ。その旨、ギルドの主人に相談してみた。
「この依頼はどうだ? 墓荒らしの検挙。捕まえられれば三十万リブラ出る」
「あまり気乗りのしない仕事だけど、報酬は良いな。詳しく」
「街の西へ三キロほど行くと、ちょっとした丘がある。その北の斜面の一部は墓地になってる。最近、墓の一つから掘り返された跡が見つかった。調べてみると、少なくとも三十を越える墓から棺桶が無くなってる」
「副葬品狙いか?」
「わからん。ただ、そこには庶民の墓しかない。副葬品と言ったって高が知れてる。仮に副葬品狙いだとしても、普通は中の物だけ盗ってく。ところがそいつら、何を考えてか、棺桶ごと持ってってやがる。わざわざご苦労なことだ。まあ、なんにせよ、けしからん奴らだ。どうする、やるか?」
その日から、ティルザとアリーネの生活は昼夜が逆転した。朝から寝て、昼頃起きて、夕方墓地に向かい、夜通し斜面の草むらに隠れて墓地を見張る。
五日目のこと。アリーネが音を上げた。
「もう無理。止めましょ。いつ来るかわからないものを待ち続けるなんて馬鹿げてる。今すぐ宿に帰って寝て、明日からまたゴブリン退治でもすればいいわ。多少日数は掛かっても、それで確実にお金は貯まっていくんだから」
「静かにしろ。暇なら空でも見てろ。星座が綺麗だぞ」
「そんなの、初日の最初の十五分で見飽きたわよ」
「じゃ、寝てろ。何かあったら、起こしてやるから」
それから何時間が経っただろう。ティルザは、地べたに足を投げ出し、木の幹に寄っかかって、いつの間にか眠ってしまっていた。
「誰か来た」アリーネがティルザの肩を揺らした。
「寝てない。起きてた。本当だ。嘘じゃない」ティルザは目を開け、無駄な主張をした。
「いいから。あっち」アリーネがティルザの顔を両手で挟み、右に向けた。
墓地に繋がる坂道をランプの灯りが登ってきていた。ティルザは音を立てないよう気を付けつつ膝で立ち、灯りの行方を見守った。灯りは墓と墓のあいだを迷うことなく進んでいき、ほどなく、ある一カ所でピタリと止まった。
灯影に五人の男たちの姿が浮かび上がっていた。手に手に大きなシャベルやツルハシを持っている。
男たちは無言のまま、墓標の下を掘り返し始めた。ザクザクと土を裂く音だけが、闇の中に響き続ける。やがて、音が止むと、彼らはそれぞれ道具を脇に置き、穿った穴に両手を入れ、腰をかがめた。
「せーの」
声がして、土の上に棺桶が上がった。それを確認したティルザが立ち上がりかけた。咄嗟にアリーネがティルザの腕を掴み、ささやいた。
「待って。少し泳がせましょ。棺桶の運び先を確認したい」
「そんな面倒なことしなくても、捕まえて殴って刃物で脅して、全部吐かせればいい」
「暴力に頼りがちなあなたの性向は改めるべきね。あなた、実は整った顔立ちしてるのに、その性格が人相に出ちゃって、誰もそうとは気づかない。勿体ないわよ」
「余計なお世話だ」
作業が一段落してちょっと休んでいたらしい男たちが再び動き出した。一人がランプを持ち先頭に立ち、残りの四人が前後左右から棺桶を抱え、後に続いていく。空いた穴は後でまた埋め戻しに来る気に違いなく、シャベルやツルハシはその場に置いたままだ。
ティルザとアリーネは足音を忍ばせて、斜面を下っていった。星明りのみが頼りで、何度も草や木の根に躓きかけた。
男たちは、来た坂道を下りていった。ティルザとアリーネは息を殺して跡をつけた。途中、何の変哲もない場所で、ランプの灯りが急に右折し、ガサガサと藪を掻きわける大きな音がした。
ティルザがそこを確かめると、藪の向こうに細い獣道が付いていた。アリーネが巾着から手燭を取り出し、火を着けて、ティルザに渡した。出来れば灯りは使いたくなかったが、星明りすら届かぬ藪の中を、それ無しに進むのは流石に無理だ。やむをえない。
獣道は、斜面になった藪の中を緩やかに下りつつ延びていた。男たちのランプの灯りは、もうずっと先の方に小さくなっている。ティルザは手燭で足下を照らしつつ、ランプの灯りを目当てに進んだ。
突然、頭上で何かが動いた気配がした。ティルザは咄嗟にその方を手燭で照らすと同時に、右手を腰の剣に伸ばし身構えた。イタチがその目を輝かせて、草のあいだからこちらを見ていた。
ティルザはほっと息をつき、改めて道の先へと目を向け、少し慌てた。男たちのランプの灯りを見失ってしまったのだ。
ティルザは足を早めた。ここで彼らを逃がせば、五日間の張り込みの苦労が無駄になってしまう。これまで音を立てぬよう気遣いつつ歩を運んできたが、今やそんな余裕は無い。こんなことなら、やはり墓場に現れた時点で捕まえておけば良かったと思う。
「待って」背中からアリーネの声がした。
ティルザは無視して行きかけた。
「だから待てと言ってるでしょが、この脳筋馬鹿女」
「なんだとてめー」今度は流石に振り向き、立ち止まった。
「あそこを見て」
斜面の一部が削れて、そこだけ切り立った崖のようになっている。近づいて、びっしりと繁り垂れたツタを分けてみると、そこには木も土もなく、空っぽの空間があるばかりだ。ティルザはツタの奥に灯りと頭を入れて覗いてみた。中は、ずっと奥まで続く、長い坑道のようになっていた。
「どうする?」ティルザが頭を突っ込んだまま訊いた。
「行く以外にある?」アリーネも隣から頭を入れて言った。
「ここで待ってれば、そのうちまた出てくるだろ」
「もし他に出口があれば、その限りじゃないわ。行きましょ」
ティルザが一歩を踏み入れ、アリーネもすぐに続いた。中は少し蒸すようで、歩くに従い、二人の肌は汗ばんでいった。
幸い、足下は均され、頭上にも余裕があり、進むのに不便は無かった。ところどころ材木を組み入れ、崩落の危険を防いでいる。角を一つ曲がると、壁にランタンの灯りが一定の間隔をおいて並んでいて、どうやらここは、奴らのアジトであるらしかった。
歩みを速め、また一つ、角を曲がった。ほどなく、かすかな腐臭が漂ってきて、二人は顔を見合わせた。進むにつれ、腐臭はより強くなっていき、じき、目にまでも沁みてきた。
ほどなく、縦横二十メートルから三十メートルはありそうな広い空間に出た。壁灯りにはロウソクが使われていて薄暗い。左右を見ると、棺桶がそれぞれ十基ずつ並んでいる。腐臭の出元はここだった。
「霊安室、といったところね」アリーネが小声で言った。
「臭くてこっちまで死んじまいそうだ。早く行こうぜ」ティルザが鼻と口を手で押さえて言った。
部屋の半ばを過ぎたとき、背後でコトリと音がした。振り返ると、一番隅の棺桶の蓋が、あろうことか、中から開きかけていた。
「げ、マジか。死体が動きだした。恐っ!」ティルザが剣を抜いて構えながら言った。
「よく見て。あれは死体じゃない。生きた人間よ」アリーネが巾着から組み立て式の杖を取り出しながら言った。
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