第4話

 やがて東からパスチラーラ候の軍隊がアトロポシアの救援に訪れた。パスチラーラ候は五つの都市国家を支配する東方随一の有力君主である。暴虐の限りを尽くした亜人どもは既にその頃には盗る物は盗り尽くし、その多くは、それぞれ自分の元のねぐらに引き上げていた。パスチラーラ候の軍隊は易々と残りの亜人どもを駆逐し、そのままアトロポシアを自らの保護下に置いた。街の治安は一応、回復した。

 それから間もなくして、新教皇の即位が発表された。ピッツァータウフェン家のジェラートゥス六世がアトロポシアの聖堂の新しい主となった。本来、マッカローンティヌスの後を継ぐべきはアリーネである。しかし彼女の存在は、明らかに何者かの悪意により、既に亡き者として扱われていた。

 ティルザとアリーネの二人は今、ネピエルの街に滞在していた。既に二週間になる。アトロポシアの状況が落ち着くまで、動きようがなかったのだ。

 この間の食費宿泊費は、ティルザがこの街の傭兵ギルドからゴブリン駆除や護衛等の簡単な仕事を貰ってきて賄っていた。それらの仕事にはアリーネも必ず同行したが、彼女が役立つことはほとんど無かった。その働きの差の埋め合わせとして、ティルザは宿に帰るたびアリーネに、自身の身体のマッサージを必ず要求した。アリーネもまた、ぶつぶつ言いながらも、それを断ることは無かった。

「とにかく、私が私であることの証明をする必要があるわ」ティルザの腰に座ったアリーネが、重ねた両手に力を加えながら言った。

「下手な吟遊詩人の歌の歌詞か?」枕に顔を載せたティルザが目をつぶったまま言った。

「実際の話よ。誰か私のことを知っている人にそれを頼むほか、方法は無さそう」

「そんなの幾らでもいるだろ。いくらお前が深窓の令嬢だと言ったって、聖堂勤務の修道女とは、いつも当たり前に接してたんだろ」

「私が深窓の令嬢かどうかということはともかく、いずれ、一介の修道女が協力してくれたところで、役には立たないでしょうね。すぐに詐欺の共犯だとされて、捕まってしまうのが落ちよ。ある程度、力と立場のある人じゃないと」

「その、ジェラートゥスとやらの前に堂々と名乗り出たら? 彼はお前のこと知らないのか?」

「なんでわざわざ殺されに行くようなこと、しなきゃいけないのよ」

「そりゃそーだ。そいつが黒幕に決まってるもんな」

「黒幕かどうかは知らないけど、一味であることは間違いないわね」

「で、誰を訪ねていくつもりだ?」

「ピーラッカ地方の君主、ラスキベルギン候の王妃が親戚なの。その人を頼ろうと思ってる」

「ピーラッカと言うと、確か北の方で結構遠いよな。親戚って、どんな関係だ?」

「従妹の旦那の叔母」

「……それ、親戚か?」

「一時期、私の家庭教師をしてくれてたの。恐くて厳しい人だったけど、それだけに筋の通った人だった。とにかく、信頼のおける人」

 エドラの時の例から、お前の人物評など当てにできるか、とティルザは思う。もちろん口には出さないが。

 いずれ、この先の旅費を貯める必要がある。今のような簡単な仕事をこなすばかりでは、その日暮らしがせいぜいだ。その旨、ギルドの主人に相談してみた。

「この依頼はどうだ? 墓荒らしの検挙。捕まえられれば三十万リブラ出る」

「あまり気乗りのしない仕事だけど、報酬は良いな。詳しく」

「街の西へ三キロほど行くと、ちょっとした丘がある。その北の斜面の一部は墓地になってる。最近、墓の一つから掘り返された跡が見つかった。調べてみると、少なくとも三十を越える墓から棺桶が無くなってる」

「副葬品狙いか?」

「わからん。ただ、そこには庶民の墓しかない。副葬品と言ったって高が知れてる。仮に副葬品狙いだとしても、普通は中の物だけ盗ってく。ところがそいつら、何を考えてか、棺桶ごと持ってってやがる。わざわざご苦労なことだ。まあ、なんにせよ、けしからん奴らだ。どうする、やるか?」

 その日から、ティルザとアリーネの生活は昼夜が逆転した。朝から寝て、昼頃起きて、夕方墓地に向かい、夜通し斜面の草むらに隠れて墓地を見張る。

 五日目のこと。アリーネが音を上げた。

「もう無理。止めましょ。いつ来るかわからないものを待ち続けるなんて馬鹿げてる。今すぐ宿に帰って寝て、明日からまたゴブリン退治でもすればいいわ。多少日数は掛かっても、それで確実にお金は貯まっていくんだから」

「静かにしろ。暇なら空でも見てろ。星座が綺麗だぞ」

「そんなの、初日の最初の十五分で見飽きたわよ」

「じゃ、寝てろ。何かあったら、起こしてやるから」

 それから何時間が経っただろう。ティルザは、地べたに足を投げ出し、木の幹に寄っかかって、いつの間にか眠ってしまっていた。

「誰か来た」アリーネがティルザの肩を揺らした。

「寝てない。起きてた。本当だ。嘘じゃない」ティルザは目を開け、無駄な主張をした。

「いいから。あっち」アリーネがティルザの顔を両手で挟み、右に向けた。

 墓地に繋がる坂道をランプの灯りが登ってきていた。ティルザは音を立てないよう気を付けつつ膝で立ち、灯りの行方を見守った。灯りは墓と墓のあいだを迷うことなく進んでいき、ほどなく、ある一カ所でピタリと止まった。

 灯影に五人の男たちの姿が浮かび上がっていた。手に手に大きなシャベルやツルハシを持っている。

 男たちは無言のまま、墓標の下を掘り返し始めた。ザクザクと土を裂く音だけが、闇の中に響き続ける。やがて、充分な深さにまで達したのだろう、それぞれ道具を脇に置き、腰をかがめた。

「せーの」

 声がして、土の上に棺桶が上がった。それを確認したティルザが立ち上がりかけた。咄嗟にアリーネがティルザの腕を掴み、ささやいた。

「待って。少し泳がせましょ。棺桶の運び先を確認したい」

「そんな面倒なことしなくても、捕まえて殴って刃物で脅して、全部吐かせればいい」

「暴力に頼りがちなあなたの性向は改めるべきね。あなた、実は整った顔立ちしてるのに、その性格が人相に出ちゃって、誰もそうとは気づかない。勿体ないわよ」

「余計なお世話だ」

 作業が一段落してちょっと休んでいたらしい男たちが再び動き出した。一人がランプを持ち先頭に立ち、残りの四人が前後左右から棺桶を抱え、後に続いていく。空いた穴は後でまた埋め戻しに来る気に違いなく、シャベルやツルハシはその場に置いたままだ。

 ティルザとアリーネは足音を忍ばせて、斜面を下っていった。星明りのみが頼りで、何度も草や木の根に躓きかけた。

 男たちは、来た坂道を下りていった。ティルザとアリーネは息を殺して跡をつけた。途中、何の変哲もない場所で、男たちが急に右に折れた。ガサガサと大きな音を立て、棺桶を抱えたまま藪の中に突っ込んでいく。

 ティルザがそこを確かめると、藪の向こうに細い獣道が付いていた。アリーネが巾着から手燭を取り出し、火を着けて、ティルザに渡した。出来れば灯りは使いたくなかったが、星明りすら届かぬ藪の中を、それ無しに進むのは流石に無理だ。やむをえない。

 獣道は、斜面になった藪の中を緩やかに下りつつ延びていた。男たちのランプの灯りは、もうずっと先の方に小さくなっている。ティルザは手燭で足下を照らしつつ、ランプの灯りを目当てに進んだ。

 突然、頭上で何かが動いた気配がした。ティルザは咄嗟にその方を手燭で照らすと同時に、右手を腰の剣に伸ばし身構えた。イタチがその目を輝かせて、草のあいだからこちらを見ていた。

 ティルザはほっと息をつき、改めて道の先へと目を向け、少し慌てた。男たちのランプの灯りを見失ってしまったのだ。

 ティルザは足を早めた。ここで彼らを逃がせば、五日間の張り込みの苦労が無駄になってしまう。これまで音を立てぬよう気遣いつつ歩を運んできたが、今やそんな余裕は無い。こんなことなら、やはり墓場に現れた時点で捕まえておけば良かったと思う。

「待って」背中からアリーネの声がした。

 ティルザは無視して行きかけた。

「だから待てと言ってるでしょが、この脳筋馬鹿女」

「なんだとてめー」今度は流石に振り向き、立ち止まった。

「あそこを見て」

 斜面の一部が削れて、そこだけ切り立った崖のようになっている。近づいて、びっしりと繁り垂れたツタを分けてみると、そこには木も土もなく、空っぽの空間があるばかりだ。ティルザはツタの奥に灯りと頭を入れて覗いてみた。中は、ずっと奥まで続く、長い坑道のようになっていた。

「どうする?」ティルザが頭を突っ込んだまま訊いた。

「行く以外にある?」アリーネも隣から頭を入れて言った。

「ここで待ってれば、そのうちまた出てくるだろ」

「もし他に出口があれば、その限りじゃないわ。行きましょ」

 ティルザが一歩を踏み入れた。アリーネがすぐに続いた。中は少し蒸すようで、歩くに従い、二人の肌は汗ばんでいった。

 幸い、足下は均され、頭上にも余裕があり、進むのに不便は無かった。ところどころ材木を組み入れ、崩落の危険を防いでいた。角を一つ曲がると、壁にランタンの灯りが一定の間隔をおいて並んでいた。どうやらここは、奴らのアジトであるらしい。

 歩みを速め、また一つ、角を曲がった。ほどなく、かすかな腐臭が漂ってきて、二人は顔を見合わせた。進むにつれ、腐臭は強くなっていく。

 少し広い空間に出た。壁の灯りがロウソクに変わり、薄暗い。左右に棺桶がそれぞれ十基ずつ並んでいる。腐臭の出元はここだった。

「霊安室、といったところね」アリーネが小声で言った。

「臭くてこっちまで死んじまいそうだ。早く行こうぜ」ティルザが鼻と口を手で押さえて言った。

 部屋の半ばを過ぎたとき、背後でコトリと音がした。振り返ると、一番隅の棺桶の蓋が、あろうことか、中から開きかけていた。

「げ、マジか。死体が動きだした。恐っ!」ティルザが剣を抜いて構えながら言った。

「よく見て。あれは死体じゃない。生きた人間よ」アリーネが巾着から組み立て式の杖を取り出しながら言った。

 開いた棺桶から出て立ち上がったのは、黒いローブを着た中年の男だった。すぐに、他の三方の隅の棺桶も開き、それぞれ同じように黒いローブを着た男が出てきた。この三人は、それぞれまだ若そうだ。

「見た感じ、やはり、ただの墓泥棒ではないようだな。何者だ、お前ら?」ティルザが言った。

「恵まれない子供たちを支援する慈善活動家だ」中年の男が真顔で言った。

「嘘つけ!」

「もちろん冗談だ。どうせ、お前ら死ぬんだし、本当のことを言っても仕方なかろ」

「大人しく捕まる気はなさそうだな」

「女二人で何ができる?」

「あいにく、ただの男を四人斬り伏せるぐらい、あたしには何でもないことなんだよ」

「よほど腕に自信がありそうだな。だがこれを見たら、顔色も変わろうて」

「なんかあんのか? もったいぶってないで、とっとと見せろよ」

「わかった。それじゃ、期待に応えてやろう――出でよ、ゾンビども!」

「なに!」

 ゾンビと聞いて、ティルザは身構えた。まだ開いていない左右の棺桶に注意する。アリーネもティルザと背中を合わせて、反対側の棺桶に目を配る。しかし、すぐには何も起こらない。二人は緊張して、さらに五秒、十秒と待った。しかしそれでも何も起こらない。辺りはただひっそりとして、ロウソクの影が揺らめくのみ。

 二人が不審を感じ始めた頃、男たちの内の一人が、控えめに声を上げた。

「あの、主任、もっと大きな声で。奴らみんな、耳が遠いですから」

「うむ、そうか、わかった」中年の男は頷くと、今度は声を張り上げて「起きろ、ゾンビども! 起きろ、起きろ、起きろー!」

 他の三人も中年を助けて、同様に叫びだした。男たちの声が滅茶滅茶に反響して、やかましいことこの上ない。

 ティルザが呆れて見ていると、ようやっとのこと、棺桶の蓋が一つ、また一つと開きだした。中から現れたのは、もちろんゾンビだ。のっそりと棺桶の外に這い出て、気だるそうに立ち上がる。

「きしょっ! 臭っ!」

 まさに動く死体だった。全身腐り爛れ、何かの粘液でぬめり、骨が見えていたり、内臓がこぼれかけていたり、片目が眼窩から出てぶら下がっていたり。今や、ほとんどの棺桶が開き、ゾンビの数は十を超えていた。

「ゾンビどもよ、食事の時間だ。あの女どもを食っていいぞ」中年の男が、笑って二人を指さしながら言った。

 ゾンビ達が両手を前に伸ばして向かってきた。数が多い上にティルザには初めての相手であり、彼女はどう攻めればよいものかちょっと戸惑った。ただ、動きは遅い。順に倒していければ、囲まれるようなことはなさそうだ。

 ティルザは、前から来る一匹に走り掛かっていった。そして、その勢いを乗せて、正面から斜めに斬りつけた。

 ゾンビは倒れた。ティルザはほっとした。この程度の相手なら十匹でも二十匹でも平気だと思う。

 が、それも束の間のこと。ゾンビはすぐさま上体を引き起こすと、また何事も無かったかのように立ち上がり、ティルザに向かってきた。

「げ、何だ、こいつ」ティルザが後じさりながら言った。

「言っとくけど、ゾンビはなかなか死なないわよ。いや、既に死んでる彼らに対して、死なない、という表現は変ね。まあ、何というか、とにかくそいつら、すっごくタフに出来てるから、そのつもりでがんばって」アリーネが他人事のように言った。

 ティルザは同じゾンビに対し、さらに何度も斬りつけた。しかし今度は、なかなか倒れない。やっとのことで倒れても、またすぐに起き上がり、歩み寄ってくる。

「ちょ、待て、こっち来んな、わっ、止めろ!」

 両手を斬り落とされたゾンビが、ティルザの剣に胸を串刺しにされたまま、大口を開けて、彼女にもたれかかってきた。

「おい、これ、どうすりゃいいんだよ?」ティルザが、ゾンビのひどい口臭に顔をしかめながら、嘆くように訊いた。

「いくらゾンビでも首を斬り落とせば、流石に動かなくなるわよ」アリーネが言った。

「こいつ、首が座ってなくて、常に頭をカクンカクンと揺らしてるから、狙いが定めにくいんだよ」

「あんたの腕ならそのぐらい、どうとでもできるでしょ。踏み込みが足りないのよ。びびってんじゃないわよ」

「びびってねえ。ただ気味が悪いだけだ」

「しょうがないわね」

 アリーネがティルザのすぐ背後から、杖の頭を串刺しにされたゾンビの身体に突きつけた。そして何やら呪文を唱えた。

「――キュア・ウーンズ」

 ゾンビの動きがはたと止まった。全身から急に力が抜けたようにだらりとし、その重みで自然とティルザの剣から滑り落ちた。ゾンビはその場に倒れ伏し、今度はもう、立ち上がる気配を見せなかった。

「お前、攻撃魔法も使えたのか?」ティルザが驚いた表情で言った。

「今のは攻撃魔法じゃないわ、回復魔法よ」アリーネがちょっと得意そうに言った。

「どうして回復魔法で相手が倒れるんだよ」

「そんなの知らないわ。でも、そういうものなのよ、アンデッドに限って。先人の教えは偉大ね。じゃ、次、行くわよ。あなたは今みたいに、ただ私の壁になってくれればいい」

 二人は、同じ要領で、次々とゾンビを倒していった。

 ゾンビの数が減っていくにつれて、黒ローブの男たちの顔から血の気が退いていった。「こらっ、ゾンビども、もっと速く動かんか!」などと無理な注文も聞こえてくる。残り五匹まで減らした時点で、アリーネが言った。

「疲れた。ちょっと休む。あとはあんたが倒して」

「言ったろ、こいつら斬りにくいって」

「足を狙えば。歩けなくしちゃえばいいのよ。這ってきたら、手も斬っちゃう」

「お前やっぱり鬼だよな……でもまあ、そうだな。てか、先に言え」

 何とか残りも片付けた。黒ローブの男たちは奥の通路へと逃げ出した。ティルザは、逃げ遅れた一人の背中を捕まえて、フードを剥ぎ、床の上に退き倒した。

「お前ら一体何者だ? ここで何をしている? そして何を企んでいる? 今すぐ全部吐け。さもなきゃ斬るぞ」

「フッ、誰がそんな脅しに屈するものか。例え、斬られたって――エッ」

 ティルザが剣を横に振り抜いた。上体を起こして座った男の頭が首から外れて、床に転がった。

「相手が生きた人間なら、見事に斬れるのね。てか、なに証人、殺しちゃってるのよ」

「奥に行けば、まだ予備がいるだろ」

 二人は男たちの後を追った。緩やかな登りになった通路をしばらく進み、やがて、あちこちに支柱を入れて補強したかなり広い空間に出た。ランタンもたくさん壁に掛けられ、かなり明るい。

 そこに、逃げた三人の男たちと、その上役らしい初老の男が待ち構えていた。そして彼らの傍には鉄棒を巡らした檻が四つ置かれていて、それぞれ中には、鼠色した不気味な亜人が充血した目でこちらをじっと見て、座っていた。

「何だ、あれ?」ティルザが訊いた。

「グールよ」アリーネが答えた。

「強いのか?」

「強い」

「ゾンビよりもか?」

「馬鹿力の素早いゾンビと思えばいいわ」

「……勝てる気がしねえ」

 初老の男がローブの袖から何か出し、中年の男に手渡した。中年の男はそれをまた、若い男の一人に手渡した。若い男は檻の一つに近づき、鍵を開け、それからまた、次の檻へと向かった。初老の男がティルザとアリーネの方に首を向けなおして言った。

「お前ら、儂らのゾンビを全て壊してくれたそうだな。あれだけ作るのに、どれだけの手間が掛かったと思ってる。お前ら許さん。グールの餌になって死ね」

「そのグールも、あんたたちが作ったの?」アリーネが訊いた。

「そうだ。驚いたか。ゾンビから人工進化させた。儂らの研究の成果だ」フードの中の小皺だらけの顔が自慢げににやりとした。

「あなたたち何者なの? 新手のカルトか何か?」

「カルトの何たるかを儂は知らぬが、とにかく、真正の教えに目覚めた者たちの集まりだ」

「ゾンビとグールを使って、一体、何をするつもりだったの?」

「お前らが知る必要はない」

「なるほど、あなたも知らないのね。そりゃそーか。こんな郊外の墓場に左遷されてしまうような残念な人だもの。ただ上からアンデッドの製造を命じられただけで、他は何も聞かされてないのね。余計なことを訊いてごめんなさい、係長さん」とアリーネはせせら笑った。

 初老の男は顔を赤くして、

「左遷ではない。栄転だ。そして儂は課長だ。あなどるな。まあいい。どうせお前ら、生きては帰れないんだ。教えてやる。ここのゾンビとグールにはネピエルの街を襲わせる。街は混乱の極みに陥るだろう。そこに我らと協力関係にあるパスチラーラ候の軍隊が救援に来て、ゾンビとグールを退治する。街は平穏を取り戻すと同時に、勢い、パスチラーラ候の支配下に入る、というあんばいだ。どうだ、驚いたか?」

「別に驚かないわ。薄々、そうじゃないかと思ってた。アトロポシアの例の反復ね。あれも、あなたたちの一味が噛んでいたというわけね」

「あれは……うむ、まあ、もちろん、そうじゃ」

 初老の男は顎に手をやり、目を泳がせた。自身の答えに確信がないらしい。アトロポシアの件については、どうやら彼も、何も聞かされていないようだ。

「ゴブリンの類って、ゾンビみたいに人が操れるのか?」ティルザがアリーネに訊いた。

「一匹二匹ならともかく、アトロポシアを襲ったほどの大量の亜人を一度に操るのは、優れた術者をどれほど集めようと、まず無理ね。いくらゴブリンが低能だと言っても、彼らはゾンビと違って、魂まで空というわけじゃないから」

「でも、奴らは実際に――」

「ほんと不思議よね。どんな方法を使ったんだか」

「おしゃべりは終わりだ」初老の男が袖からタクトに似た短い棒を取り出しながら言った。「そして、お前らの短い人生も終わりだ。命乞いするなら、今しかないぞ。さあ、どうする?」

「どうするも何も、いま追い詰められているのは、あなたたちの方なのよ。悪いことは言わない。抵抗を諦めて、大人しく私たちに捕まりなさい。長い監獄暮らしになるだろうけど、ここで死ぬよりずっとましでしょ」アリーネが言った。

「強がりはよせ。そして今すぐひざまずき、我らに素直に許しを乞え。そうすれば、助けてやるばかりか、今後、儂の秘書としてでも使ってやって、ねんごろに可愛がってやる。よく見るとお前ら、悪くない器量をしとるからな、ただ殺すのは勿体ない。特にちっちゃい方、どうだ、考え直せ。悪いようにはせんぞ」初老の男の目が、まなじりに皺を刻んで、好色そうに細まった。

「……気持ち悪い。こっち見ないで。蕁麻疹が出そう。あんたはそこのグールとでもやってなさい。もともとそのつもりで作ったんでしょ。醜さといい浅ましさといい、釣り合いが取れて、お互いにぴったりの相手だと思うわよ。結婚式には呼んでね。行かないけど。お幸せに」アリーネが軽蔑をあらわにした冷たい目をして言った。

「お前ら、もう許さん」

「だからこっち見ないでってば。あんた本当にきしょいのよ」

 初老の男のこめかみにはっきりと青筋が浮かび、彼は、手にした短い棒で天を指しつつ、何やら呪文らしき言葉を唱え始めた。

「死界を統べるナハート神、生なき者をば操作す権能を暫時我に貸し給え。供物はそこなる女二人。瑞々しき贄なれば、ゆめゆめ不足は無かりしや――マニピュレーティング・アンデッド。グール達よ、そこの女二人を食い殺せ!」

 棒が振り下ろされ、二人の方を指した。

 四つ檻の扉が開いて、グールたちが外に出てきた。すべて背丈は並の男より少し高い程度だが鼠色の皮膚の下の筋肉はどこも隆々としていて、これが、あのやつれた腐肉のみを纏ったゾンビを元に作られたものだとは、ティルザにはとても信じられない。アリーネは散々馬鹿にしていたが、そのグールの主人のきしょい男は、実はそれなりに大した術者なのかもしれないと思う。

 グールらはそれぞれ、ティルザとアリーネに向かってきた。少し前かがみの姿勢になって、まっすぐスタスタと歩を運んでくる。

 二人は急いで壁際に寄り、ティルザはアリーネを背にかばい、剣を構えた。

「どうする? 逃げるか?」ティルザが出口を一瞬振り返って訊いた。

「そんな必要ない。少しのあいだ、時間を稼いで。とにかく私にグールを近づけないように」アリーネが落ち着いて答えた。

 ティルザは、あっちのグール、こっちのグールへと、忙しく方向を変えて進んでは、剣を大振りに振り回した。当たろうが当たるまいが、とにかく牽制になりさえすればいい。主人に従順なグールも、流石にそれを無視して進むわけにも行かず、ちょっと足を止めて、大風が止むのを待っている格好だ。

 しかし、一対四では流石に分が悪く、二人はほどなく半包囲された。ティルザの剣の勢いも、疲れから当初の勢いを失って、中段に構えた時の剣先も下がり気味になっている。

「まだか? 急げ!」

 その間ずっとアリーネは、目をつぶり意識を集中させていた。そして今、杖を持った手を上げて、何か呪文を唱えはじめた。

「天地に普遍すマドゥーカ神、畏れ慎み我は乞う。ここに不遜な痴れ者ありて、死者を使役し暴を為さしむ。元より死者は尊きにして、その眠りをば覚ますべからず。彼奴らにその罪自覚さすべく、主、死者をして、そのあるじに背かしめよ――ターニング・アンデッド。グールらよ、あなたたちが襲うべきは私たちじゃなくして、そこなる男どもよ。そいつら皆、やっちゃいなさい。回れ右!」

 ティルザの首に手を伸ばしかけていたグールの動きが急に止まった。そして、アリーネの命じたとおりに向きを反転し、初老の男の方へと戻りだした。他の三匹もそれぞれ踵を返し、別の男たちに迫っていく。

「な、何? まさか、そんなことが……ええい、もう一度――マニピュレーティング・アンデッド! き、効かぬ。ど、どうしてだ?」初老の男が狂ったように手にした棒を振り回しつつ言った。

「死者を玩具にした罰よ。反省なさい」アリーネが冷然と言った。

「儂の呪文の効果を消して、上書きしたというのか? それも、儂の作ったグールに対して。お前みたいな小娘にどうしてそんな真似が?」

「まあ、死体の扱いに関しては、元々こっちが専門だからね」

「お前、何者だ?」

「分を弁えなさい。係長程度の人間に名乗る名前はないわ」

「儂は課長だ!」

「失礼、課長か。それならまあ、名前だけは教えてあげる。私の名はアリーネ」

「アリーネ……貴様、マッカローンティヌスの娘か!」

「あら、よくわかったわね。まあ、それがわかったからって、今更どうにもならないけど」

 グールはもう、初老の男のすぐ傍まで近づいていた。初老の男は棒の先をグールに向けて「ファイアーボール」と唱えた。人の頭ほどの火球が飛び出し、グールの広い胸に直撃した。皮膚の焼ける臭いがして、あばら骨が何本か現れたが、それで、グールの歩みが止まることは無かった。

「こ、こっち来んな。ギャー!」

 グールは、逃げかけた初老の男の襟首を左手で捕まえ、強烈な右ボディアッパーを彼の鳩尾に食らわせた。初老の男の口から大量のゲロがだらりとこぼれ出た。

 他の三方からも、男たちの悲鳴や呻きが聞こえてきた。一人はグールから首を絞められつつ床から持ち上げられ、一人は引き倒され、腰に股がられ、顔面を繰り返し殴られ、一人は背後から腰の両側を持たれ、立ったまま身体をくの字に折り曲げられ、その尻を犯されている。地獄のような光景に、ティルザも流石に顔をしかめた。

「あの、掘られてる奴。あれはちょっと悲惨すぎて見てられない。止めてやれないか?」

「どうして? 一歩間違えば、私たちがあれと同じ目に合わされていたのよ。同情の余地なんかないでしょ。思い知るがいいのよ。それにあの男、もうとっくにショックで死んでるわよ」

「死んでいてもだ。さっき、お前も言ってたろ、死者を玩具にするなって」

「……わかった」

 アリーネはその一匹に命じて、元の檻へと戻らせた。他の三匹も、それぞれ仕事を終えた者から順に檻へと帰らせた。ティルザが鍵を拾って、全てに錠を施した。四つの死体の転がる血なまぐさい空間が急にしんとした。

「さて、帰るか」ティルザが疲れた表情で言った。

「そうね。じゃ、おんぶして」アリーネがその場にストンと座り込み、ティルザの方に両手を伸ばして言った。

「寝言は寝て言え」

「呪文を唱え過ぎて、疲れ果てちゃった。もう動けないの。それに今日は、私の方があんたより活躍したでしょ。私が居なければ、あんた間違いなくグールに食われてたし」

「……わかった」

「あと、宿に着いたら、マッサージもよろしく」

 夜の明ける頃、ようやく宿に着いた。アリーネはティルザの背中で既に眠っていた。

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