第37話

 用済みの男を始末して、三人は仮眠を取った。彼女らが前後して起きた時、横になる前に見えていた信者達の宿泊施設から漏れる数々の灯りは、全て消えていた。月は、動かぬ薄雲に覆われて、淡く光っている。三人は首を集めて、改めて作戦を確認した。

「ニナの魔法でもって、可能なかぎり多くの建物を燃やして回る。私とティルザはその援護。ニナの魔力が尽きたら、その時点で即撤収。最優先放火対象は養殖所。以降の順序は、状況に応じて適当に」

 敷石で舗装された広い道が、中央の聖堂から四方に伸びていた。全てがひっそりと静まり返った中で、その聖堂の正面とその道筋だけに、かがりが焚かれている。かがりの数はそう多くもなく、その間隔は広かったが、それが却って、ぼんやりとした神秘的な雰囲気を辺りに醸していた。

 ティルザを先頭に、火口のへりを下った。真っ暗な急斜面に、しばしば足を踏み外しかけた。ようやく底に着いて、ちょっと一息いれた。辺りはやはりしんとして、わずかな虫の音だけが、どこか遠くから響いていた。

 まずは養殖所へと、底のへりに沿って、忍び足で向かった。途中、西の舗道上に、黒ローブを着た男が一人、手にした警棒で自分の肩を叩きながら退屈そうに歩いているのが見えた。こちらは陰に居て、相手からは気づかれていない。男は完全に油断して、鼻歌なども歌っている。三人はそのままこっそり通り過ぎ、そのあと他には、人間の見張りにも、亜人の夜警にも、一切出会うことはなかった。

 養殖所に近づくにつれて、異臭が強くなった。鼻から息をするだけで、誇張でなしに吐きそうになる。アリーネが急に立ち止まり、私はここで待っている、と仕草でしらせた。ティルザは許さず、彼女の襟首を引っつかみ、一緒に引きずっていった。

 ニナが呪文を唱え、その杖先から火の玉が飛び出した。火の玉は夜の空に綺麗な放物線を描き、一番広い養殖所の屋根の上にストンと落ちた。

 これを何度か繰り返すうち、その屋根に一点、小さな火が点いた。さらに何発か撃ち込むと、また、同じ屋根の別の個所にも火が点いた。それぞれ段々と燃え広がり、やがて合流すると、その火勢はいよいよ激しく盛んになった。

 燃えさかる屋根が落ち、火は建物の内部に引き移った。そこはどうやらゴブリンの養殖所だったらしく、彼らの住まう狭い檻々には、ベッド兼トイレの藁がぎっしりと重ねて敷き詰められていたようで、これはもちろん良い燃料になった。黒い煙がモクモクと上がり、燃え崩れてゆく建物の中からは、絶えず凄惨な絶叫が重なり響いた。

 部屋着あるいは寝巻のままの男達が、異変に気づいて集まってきた。ニナが引き続き、少しずつ移動しながら、あちこちの屋根の上に火球を落とし続けていた。これを間近に見た男達は皆狼狽し、それぞれ猪突的に取り押さえに来た。そして、その傍で待ち受けるティルザに、片端から斬り捨てられた。

「迂闊に近づくな! 腕の立つ剣士が居る。こいつら、ただの放火魔じゃないぞ!」

「ここに居るのは三人きりだが、きっと他にも居る。鐘を鳴らせ、敵襲だ、皆の者、出あえ!」

 やがて、攻撃魔法の使い手も一人二人と集まってきて、雹だのツブテだの小さな稲光だのが女達を襲い始めた。アリーネが防御魔法を発動し、それらの着弾を防いだ。これを尻目にニナは放火に専念し、ついには各養殖所の他に武器庫や品種改良研究所なども大きな炎に包んだ。

「もう充分よ。撤退しましょ。敵も増えてきたし」

 ティルザが先頭を駆け、包囲を切り開いて逃げた。しかし、敵は行く手に欠くことなく、斬っても斬ってもまた現れた。三人はもちろん、火口の外へと出たかった。しかし、そのへりの急斜面に取りついて這いのぼる暇などとてもなく、彼女らは自ずと土地の内側へ内側へと追い詰められていった。

 路地を抜け、広い舗道に出た。すぐ先に、大きな屋根をたくさんの太い円柱で支えた豪壮な建物が見える。アリーネが、また別の路地に入りかけていたティルザを呼び止め、その豪壮な建物を指さして言った。

「あそこに押し入るわよ」

「あれは確か……聖堂とか言ってたな」

「押し入って、どうするんですか?」

「奥に総主教とやらが住んでるとも言ってたでしょ。それを捕まえて、脱出の為の盾なり交渉なりに使うのよ」

 玄関の前に守衛が一人、立っていた。三人は構わず、競走するように舗道の上を駆けた。守衛が大声を出し、仲間を呼んだ。その響きの消えぬうち、ティルザがこれを斬り倒した。

 玄関の鍵は開いていて、入るとすぐ、広い礼拝堂に繋がっていた。一脚で十人は座れそうな長椅子が四列になって十段以上も並び、奥には何か奇妙な姿をした巨きな座像が、聖壇の太い蝋燭に照らされて、据えられている。三人はそれぞれ黙って長椅子のあいだを通り抜け、その座像を足下からまじまじと見上げた。

「何の神様ですか、これ? アリーネさん、知ってます?」

「さあ……でも、このまがまがしい姿からして、愛や平和とは無縁の神様であることは確かね」

 像は、人間の女の胴体に、羊の頭と足と、蝙蝠の羽をくっつけ合わせたような奇態な代物だった。見れば見るほど不気味で滑稽で、ティルザには、こんな神様を真面目に拝む人間の気持ちが知れなかった。

 その時、玄関から、はや追手がなだれ込んできた。ドタドタと床を踏み鳴らし、近づいてくる。後続が引きも切らず、その数は増える一方で、三人は奇態な神様を据えた聖壇を背に半包囲された。

 多くの者が弓を持っていた。後ろから号令が掛かり、それぞれ前に出て、弦を引き絞った。数十本の矢の先が全て真っすぐに女達に向き、ティルザが二人をかばって前に出た。

「騒がしいわね。何事?」

 だしぬけに、聖壇のすぐ傍の壁の一部から灯りが射して、女の声がした。陰になっていて気づかなかったが、そこに奥へのドアがあったらしい。厚い夜化粧をした三十絡みの美人が、睡眠を途中で断たれた人の不満な顔で立っていた。三人はすかさず同時に動いて、この年増を捕まえた。

「お前は何者だ? ここで何をしている?」ティルザが年増を矢の盾にしつつ、その首筋に刃を突きつけて訊いた。

「こっちのセリフよ。あんた、あたしを誰だと思ってんのよ。この無礼者め!」年増が怯えの色も見せずに、鋭く言い返した。

「知らないから訊いてる。命が惜しくば、さっさと答えろ」

「あ、待って、肌を傷つけないで……あたしはジェーン。猊下――カルボナウス総主教の第二婦人で、セック――夜のご奉仕を終えて、これから帰るところよ」

「なるほど。つまり愛人だな」

「違うわよ! 第二婦人は第二婦人で、愛人や妾とは断じて別のものよ。その言葉、撤回して、今すぐ死んで詫びなさい!」

 ティルザはそれには答えず、男達の方に向かって、声を張り上げた。

「この女を殺されたくなければ、弓を下ろし、道を開けろ!」

 男達は戸惑い、顔を見合わせた。誰もが黙り込み、年増の不平の呟きだけが堂の中にむなしく響く。時間がゆっくりと過ぎてゆき、弓を張り続けている者達の腕ばかりが、無駄に疲れていった。

「隊長、どうしますか?」射手の一人が流石に焦れて、一旦、引き手を戻して、大声で訊いた。

「うーむ、そうだな……副隊長、お前はどう思うか?」陰になっている後ろの方から、声のみがした。

「ハッ、二号といえど、猊下の奥方であることに変わりはありません。無念ではありますが、ここは要求を容れるより仕方がないかと」

「やはり、そうよな……兵長、お前はどう思うか?」

「ハッ、近々猊下は第三婦人をめとる予定と噂に聞いております。であれば、どうせジェーン様も、じき、用済――あ、いえ、えーと、その、とにかく、そこの女三人の仕出かしたことを思えば、どんな犠牲を払っても、これを逃すわけにはいかぬかと」

「……よし、多数決を採る。全員、どちらかに必ず手を上げろ。ではまず、ジェーン様を助けるべきと思う者、さあ」

 挙がった手は三本だけで、しかもその内の一本は当の年増のものだった。なお、残りの二本はアリーネとニナのものである。ティルザは年増を捕まえていて、手を離せなかった。

「では次、犠牲やむなしと思う者」

 全ての男達の片腕が一斉に挙がった。彼女を助けるべく意見したはずの副隊長の手も挙がっている。これを見た年増はたちまち耳まで真っ赤にし、気の触れたような甲高い叫び声でもって、男達を罵りはじめた。

「この、腐れ童貞どもめが! やっぱり童貞なんかを信用しちゃいけないのよ。あんたらみんな童貞だからこそ、こんな薄情な真似ができるのよ。そもそも童貞なんて汚物は、この世に存在しちゃいけないのよ。お前ら全員、童貞のまま梅毒こじらせて、脳まで犯され、狂い死ぬがいい!」

「弓隊、構え、撃て!」

 女達に矢が殺到し、ティルザから盾にされた年増は、哀れ、針ネズミのようになった。年増の入ってきたドアの内へとニナもアリーネもさっさと逃げ出し、すぐにティルザもそれに倣った。幸い、ドアの内側にはかんぬきの錠が付いていて、いずれ、力まかせに破られるにしても、しばらくは持ちそうだった。

「これからどうするんだ?」ティルザが、身体の前面にびっしりと矢を突き立てた年増の死体を丁寧に壁際に横たえながら訊いた。

「決まってるでしょ。所期の目的どおり、猊下だか総主教だかを捕まえるのよ」アリーネが、人質としての価値すらなかったその無残な死体を、冷たく見下ろしながら言った。

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