第七章 玉座暖まるに暇あらず

第36話

 まずすべきは、黒ローブの男達の存在を確認することである。三人は、ほとんど道無き山々の谷から谷へと渡り、その目撃地と思しき辺りを目指した。折々、ビリッと生地の裂ける音が、小さな悲鳴と共に聞こえた。藪の中を歩くのに、アリーネのフレアスカートはもちろん適していなかった。

「何でそんなの穿いてきたんだ?」

「これしか無かったのよ。寝巻の他には、儀式用の正装と夜会用のドレスしか、私、与えられていないのよ」

 西の空が茜色に染まった頃、目撃地に着いた。藪の斜面を少し登り、獣道を見下ろす。あとはここにしゃがみ隠れて、対象の現れるのを待つばかり。幸い、気候は穏やかで、夜に入ってもほとんど冷え込まなかった。

 といって、ただ潜んで待つことは、それだけで忍耐がいる。それも、いつ来るかわからないどころか、本当に来るかどうかすらわからないのだ。はや、その翌々日の昼過ぎには、まずアリーネが音を上げた。

「飽きた。疲れた。からだ痛い。お風呂入りたい。一度帰って、別の方法を考えましょ」

「そう簡単にはいかないと、初めから覚悟してたろ。せめて、携行食のあるうちは頑張ろうや」

「その携行食も不味いし。何であんなにパサパサなの」

「贅沢言うな」

 結局、明後日の朝まで居て、それで誰も現れなければ、一旦、引き返そうと相談が決まった。ティルザもニナも本音では、アリーネ同様、待つだけの退屈さに既にうんざりしていた。

 期限の朝が来て、三人は来たとおりに戻っていった。昼頃、細い清流に出て、小休止を取った。そこで行く手の遠くから、ティルザの聡い耳に、草を踏む音が聞こえた。獣のものとは明らかに違う。三人は隠れて、その到来を待った。一人、姿を見せたのは、背に大きな荷を背負った黒ローブの男だった。ティルザがおどり出て、これを組み伏せた。



 彼らの拠点まで案内させるべく、ティルザは男を脅しつけたが、男は座り込んだまま動こうとしない。蹴っても殴ってもどうにもならず、却って「ああ、この痛みこそ、我の選ばれてある印。遠慮はいらぬ。もっとだ、もっとくれ」などと喜んでいる。その気色悪さに、ティルザも流石に気持ちを萎えさせていると、ニナが進み出て、男に何か魔法を掛けた。

 男の表情がぼんやりとし、虚ろな目でニナを見上げた。ニナが改めて「拠点まで案内して」と命じると、男は素直にスッと立って、先を歩きはじめた。

「そんな便利な魔法があるなら、最初から使ってくれよ」ティルザが、拳に付いた血をむしった葉っぱで拭いながら、責めるように言った。

「この魔法、地味に見えて、実は割と高度なものなんです。だから集中力がかなり必要で、いま実際、睡魔が私を襲ってきてる……ティルザさん、すいませんけど、しばらく私をおぶって歩いてください。背中の荷物は捨てるか、アリーネさんにでも渡すかして。魔法の効果は二時間ぐらいです。だから、男の様子からして、効果が切れかかっていると見えたら、私を起こしてください。魔法を掛けなおします」瞼を半分落としたニナが、ティルザに身体を寄せかけて言った。

 拠点は、ある低山の頂の噴火口跡にあった。土で完全に塞がれた浅い底の上に畑があり、貯水池があり、大小様々な建物が載って、ちょっとした規模の街の様相を呈している。ただ、普通の街と違って、畑に出たり普請中の建物に取りついたりして働いているのは、どうやら人間ではなく、ゴブリンやオークといった亜人の類のようだ。三人は火口の縁から顔だけ出して、それらを、信じられないといった面持ちで見下ろしていた。

「あの、真ん中に立ってる巨大な建物は何?」ニナが男に、改めて魔法を掛けなおして訊いた。

「聖堂です。建物の手前は礼拝堂になっていて、奥には総主教が住まわれています」男が、瞬時のためらいもなく、素直に答えた。

「その先のはずれに、広い平屋の建物がいくつかあるけど、あれは?」

「養殖所です」

「何を飼育してるの?」

「ゴブリンとオークとコボルトとオーガです」

「……何匹ぐらい居るの?」

「さあ……全部合わせて、たぶん一万匹ぐらいですかね」

「まさか。確かにどれも広い建物だけど、流石にそんなには入りきらないでしょ」

「小さな籠に一匹ずつ鶏を区分けした大規模な鶏舎を想像してください。だいたいあんな感じで、ぎっしりと詰め込んでます」

 他に、一般信者達の集団宿泊施設、学校と図書館、武器庫、品種改良研究所などもあった。品種改良研究所では今、人間の死体でなしに、ゴブリンの死体からゾンビやグールといったアンデッドを造る研究を急ピッチで進めているという。

「狂ってる……あなた達、一体なにをしたくて、こんなことを?」

「最終的な目標は、端的に言えば世界征服。さしあたっては、ピーラッカの占領」

「ピーラッカは、いつ攻めるの?」

「出陣の予定日は、今月の十五日と聞いてます」

「十五日って……明日じゃない!」

 陽は既に彼女らの横方まで傾き、西側の火口の縁のすぐ内側の辺りは、ほとんど真っ暗に陰っていた。今から援軍を求めに走っても、とてものこと間に合わない。アリーネとティルザとニナは、この三人だけでもって、今夜急襲を掛けることに相談を決めた。

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