第六章 命名、ラングダムール
第31話
遺跡から出た三人は、その足でモンテゴーニュの役所へと向かった。言うまでもなく、仕事の首尾を報告し、報酬を貰うためだ。ところが、そこで彼女らは、ねぎらわれるどころか、酷い批難に晒された。他の隊員らは全て殺されたというのに、どうしてお前らだけ生き延びることが出来たのか、きっとお前らだけまともに闘わず、すぐに逃げてきたに違いないと、彼らは決めつけて責めるのだ。
「これだから女は」
「何だと!」
ティルザの手が出た。アリーネもニナも別に止めなかった。いずれ、報酬どころの騒ぎではなく、三人は逃げるように街を出ざるを得なかった。
「あんた、どこまでついてくる気?」ピーラッカへと向かう道に出て、アリーネがニナに訊いた。
「別に、あなたをつけているわけではないです」ニナが澄まして答えた。
「現に、ついてきてるじゃない」
「私はあくまでティルザさんと行を共にしているだけです」
ピーラッカに着いたのは、その六日後だった。三人は、良く栄えた街の見学は後回しにして、すぐにその中心に位置する王宮へと向かった。王宮はコの字型をした壮麗な三階建てで、白亜の壁が美しかった。その奥まった内側に、広い庇の付いた立派な玄関が設けられていて、アリーネはそこに立つ衛兵に、王妃への取りつぎを求めた。
「その道を右にしばらく行くと、貧窮者のための施設がある。施しなら、そこで貰え」
旅中、雨に降られたり、風に砂を吹きつけられたりして、三人はみじめに薄汚れていた。見た目、乞食と変わりなく、衛兵の誤解も無理はない。
「いいからとっとと伝えてきなさい。アリーネが来たと、それだけでいいから」
「さっさと失せろ。さもないと、ひどいぞ」
「わっかんない男ねえ。もういい、勝手に入りましょ」
「ま、待て!」
ポーチに上がったアリーネの肩を、衛兵が慌てて押さえた。気安く触るなとばかりに、アリーネの平手が即座に飛んだ。頬を打たれた衛兵は顔を真っ赤にし、彼女の胸倉をその身体が浮くほどに掴み上げた。
「貴様、何をする!」
「放しなさい、下郎!」
ティルザの手が横から伸びて、衛兵の手首を捻った。うめきつつアリーネから手を放した衛兵はますます逆上して、今度はティルザに殴りかかってきた。ティルザはこれを容易に躱しつつ、足を掛けて転ばせた。騒ぎを聞きつけて、他の兵士や役人達が中からわらわらと出てきた。
「出直した方が良くないですか?」ニナが目立たずするりとアリーネに近づいて言った。
「良いのよ、これで。騒ぎを大きくし続ければ、やがて何かしら、王妃の耳まで届くでしょ」アリーネが澄まして言った。
「王妃の耳に届く前に、鎮圧されてしまったら?」
「そこはもう、ティルザのがんばり次第よね」
ティルザは今、複数の兵士達と同時に殴り合い、既に三人までも地面にその身を這いつくばらせていた。
その時、建物のあいだに、肥えた騎馬が入ってきた。蹄の音を響かせて、玄関に近づいてくる。男達はこれを見て、急に拳を収め、煽りも止め、全て大人しく静まり返った。そして、それぞれその場に跪き、その騎馬を待ち受けた。
騎馬から降りたのは、服の上からでもそれとわかる、筋肉隆々たる大男だった。左のこめかみから頬にかけて目立つ傷跡があり、それが、元よりいかつい顔にさらに凄みを加えている。着ている物は、ここの兵士達が着ているのと同じ麻服で、背には体格に相応した大きな弓を負っている。周りの者どもの態度からして、かなりの貴人に違いないが、それらの風体は彼をして、あたかも山賊の親分か何かのように見せしめた。
「何事だ?」大男が、地面に伸びた三人を見て、訊いた。
「実はそこの女が――」近くの一人が、恐縮しながら馬の手綱を取って、経緯を説明した。
「情けない。女ごときにやられおって。お前ら全員、鍛錬のし直しだ」
「ちょっと待て。女ごときって何だ?」ティルザが横から食って掛かった。
「何だと言われても困る。女ごときは女ごときだからな」大男がニヤついて言った。
「女はみんな例外なく全て弱っちい。そう決めつけてるわけだな」
「決めつけるも何も、実際そうだろう」
「試してみるか?」
「必要ない。知れたことだ」
ティルザは構わず掛かっていった。大男は特に構えることもなく、そのまま自然と突っ立っているだけだ。ティルザは右腕を大きく振り上げ、顎を狙うと見せかけて、その実、右足でもって、相手の股のあいだを下から蹴り上げた。
蹴りは狙いどおりにしっかりと当たった。しかし、大男は眉根をちょっと寄せただけで、ほとんど痛がる様子を見せなかった。ティルザはもう一度蹴り上げるべく脚を引こうとしたが、その足は相手の股座にがっちりと挟まれて、押しても引いても抜けやしなかった。大男の片手が伸びてきて、彼女は首から顎にかけての辺りをぎゅっと乱暴に握られた。
「お前、なりは汚いが、磨けば化けそうだな。気に入った。俺の妾にしてやる」大男が、ティルザの顔をまじまじと見ながら、嬉しそうに言った。
「ふざけるな、放せ!」怒りと屈辱で、ティルザの目は燃えていた。
その時、ポーチの奥から、深緑色のドレスを纏った貴婦人が現れた。年齢はたぶん四十代の中ほどで、姿勢が良く、厳しい顔立ちをしている。それに気づいたアリーネが「先生!」と弾んだ声を上げると、その貴婦人は声のした方を見てハッと驚き、感に堪えないといった表情をした。
アリーネが貴婦人のもとへと駆け出しかけて、すぐに止まった。貴婦人が再び表情を引き締めて、目顔でその軽率を押さえたのだ。彼女は自分の方からアリーネの前まで進み出て、衆人が一層緊張した面持ちでその様子を見守る中、スカートの左右を握りちょっと持ち上げつつ片膝を軽く曲げて、三十ほども年下の元教え子に対し、目下としての礼を取ってみせた。
「アトロポシアが陥落して以来、ずっと心配しておりました。今ふたたび謁を賜り、御身のご無事をこの目で確かめられ、これ以上の喜びはございません」
「先生、いえ、王妃。ご無沙汰しておりました。あなたも変わらずお元気そうで何よりのこと。こうしてまたお会いできて、私も嬉しいです」
「おいっ、ジスレーヌ、どういうことだ? そいつは何者なんだ?」大男が、ティルザの顎を捕らえたまま、大声で問うた。
「あなた、お控えください。こちらにおわすは、故マッカローンティヌス十三世様のご息女、アリーネ・ウィスタリア内親王でございますよ。つまりは教皇位の第一継承者にして、本来、現教皇たるべきおかた。ほら、おわかりになられたら、もたもたされてないで、疾く、お跪きなされませ」
「えっ、ではあれが、ピーラッカ王のラスキベルギン候ですか?」アリーネが目を丸くして訊いた。
「そうですの。ご覧のとおり、野蛮な男でお恥ずかしいかぎり。王といっても、しょせんは海賊の血筋ですから」
唖然とする海賊王の末裔の横面に、ティルザのフックがもろに入った。
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