第32話

 アリーネはもちろん、ティルザとニナに対しても下にも置かない扱いだった。豪華な食事を食いきれぬほど供され、部屋はそれぞれ王宮内に天蓋付きのベッドを据えた広い一室をあてがわれた。とにかくその日は皆疲れていた。彼女らは久々に心地よい睡眠を充分にむさぼった。

 翌日のこと、新教皇の代理と称する者が現れ、謁見の間に通された。どうやら、献金を求めて来たらしい。初めてのことではなく、これまでにも度々来ているとのことで、ピーラッカ王はその都度、曖昧な返事をしたり、仮病を使ったりして、その意をごまかしてきたという。それを今回王は、壇上の玉座の上から相手を冷たく見下ろしつつ、はっきりと断った。

「教皇の命を聞けぬというのですか?」代理が、わざとらしく驚いたふりをして言った。

「そもそも、お前が言ってる教皇とは誰のことだ?」王もまた、とぼけた様子で言った。

「知れたこと、ジェラートゥス六世様に決まっています」

「馬鹿な」

「馬鹿なとは何ですか。訂正してください。不敬ですぞ」

「マッカローンティヌス様亡きあと、教皇位を継ぐべきは、その御息女たるアリーネ・ウィスタリア様であろう。それを無視して新教皇を名乗る者こそ、まさに不敬であろう」

「……アリーネ様はマッカローンティヌス様と共にお亡くなりになられました。であれば、その次の継承順位者であらせられるジェラートゥス様が教皇位を継ぐのは至極順当でしょう」

「アリーネ様が本当に亡くなられておればな」

 王が目顔で侍者に合図をし、やがて、白を基調に金と赤をあしらった華麗な衣装を纏ったアリーネが、正面横の豪華な扉から現れた。代理の目が大きく見開き、その表情に困惑の色が濃く浮かんだ。王は自ら壇を降り、アリーネが入れ替わりにその玉座に腰を下ろした。彼女の態度は悠然として、衣装の変化と合わせ、昨日までの落魄ぶりが嘘のようだ。王は床に片膝をつき、再び立ち上がると、とまどう代理に向けて、叱るように言った。

「見てのとおり、アリーネ・ウィスタリア様は、ここにこうしてご健在だ。わかったか。わかったなら控えろ。頭が高い」

「……そんな馬鹿な」代理が睨むような視線をアリーネに据えて、咽喉から声を絞り出すようにして言った。

「馬鹿とは何だ。御前において不敬であろう」

「その女が本物であるわけがない。アリーネ様はアトロポシア陥落の際に確かに亡くなられている」

「お前がどう思おうと、事実はこのとおりだ。帰ってジェラートゥス殿に伝えよ。即刻、自らの教皇位を返上し、アトロポシアの街から退去せよと」

「その女が、アリーネ様であるという証拠はあるのですか?」

「我が妃は、アリーネ様の幼少のみぎり、その教育係を承っておった。その妃が確かだと認めている」

「フッ……愚かな」

「何だと」

「証拠というは、王妃の言葉だけですか。口では何とでも言えます。王よ、間違ってはいけませぬ。あなたは騙されていますぞ」

「……貴様、我が妃を嘘つき呼ばわりするか。誰ぞ、我が剣を持てい!」

 元より緊張に満ちていた室内の空気が一層張り詰めた。陪席している者どもには、ただ唾を飲み込む音を立てることすら、ためらわれるほどだ。表情を険しくした王は真っすぐと代理を見据え、代理も額に汗を浮かべながらも負けじと見返している。礼装した軍人が慌てた足取りで入ってきて、何の装飾もない大きな剣を両手に捧げて、王の前にひざまずいた。

「今のお前の発言、取り消し、謝罪せよ。儂は寛容だ。さすれば見逃してやる。さあ、早くしろ」王が剣を鞘から抜き出して、おごそかに言った。

「……我らに逆らえばどうなるか。ネピエル王の例は、王にもご存知でしょう。それだけのお覚悟はおありですか」代理が、面を紅潮させつつも怯むことなく、強い口調で言い返した。

 ネピエルの君主もジェラートゥスの即位を認めず、献金を初めとした全ての要求をピーラッカ王に先んじて全て断った。ジェラートゥスはネピエル王に破門を言いわたすと共に、その街の住民らに「蜂起して彼を倒せ」と促した。一部の住民がこの呼びかけに応じ、王宮になだれ込んだ。数といい武器といい、戦力においては王の側がゆうにまさっていたが、その兵隊達は、教皇の意に逆らい、彼らの君主同様破門されることを恐れ、そのほとんどが任務を放棄し、傍観に回った。ネピエル王は捕らえられ、街の教会の司祭の裁きにより、火あぶりの刑に処せられた。ネピエル王の例とは、これを指す。

「ジェラートゥスの僭称が明らかになれば、士庶の矛先は却って貴様らに向こう。覚悟すべきはお前達じゃないのか」

「……どうやら、これ以上の話し合いは無駄なようですな。帰ります。後で泣き言をおっしゃられても知りませぬからな」

「帰るのは構わぬが、その前に、先のお前の失言を謝罪していけ」

「はて? 失言などした覚えはありませぬが」

「我が妃を嘘つき呼ばわりした」

「どこの馬の骨とも知れぬ女を、恐れ多くも前教皇の息女と称し、世間をたばからんとしている。これが詐欺師でなくて何ですか」

 王の剣が横に一線を描いた。代理は逃げる間もなく、これを反射的に腕でかばい、その手首を両方共に斬り落とされた。悲鳴を上げてくずおれた彼のうなじに、さらに刃が振り落とされ、その頭もまた赤い絨毯の上に左右の手首と共に転がった。血を吸った保護色の絨毯はその部分だけ色を深くし、さらにその範囲をじわじわと広げていった。

 意外にも王の家来に、これを騒ぎ立てる者は一人もいなかった。むしろ皆、ついさっきまでよりも落ちつき払って見え、上の者が下の者に死体の清掃を指示したりしている。既にこのことあるを誰もが予想し、そのとおりになったことで、却って諦めがついたのかもしれない。侍臣の一人が王に近づき、小声で訊いた。

「控えの間で待つそいつの従者どもは如何様に?」

「聞くべきことを全て聞き出せ」

「その後は?」

「斬れ」

 その後一週間を経ずして、ジェラートゥスから各地の諸侯へ「ラスキベルギンを討て」と出陣を命じる「勅令」が下った。

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