第15話 部活動の外部委託って究極の選択なのかい?その1
「北田さん! 国島先生、死んだって!」
土曜日がまだ半日授業を行っていた頃、午前の四時間授業が終わり、給食もないのでみんなで注文したラーメンの到着を待っていた時のことだった。同じく野球部を担当してくれていた大下先生が仲間からの連絡を受けて職員室に駆け込んできた。
「国島さんって、東中のか?……職員体育で野球やったの去年だったよね……、うん、おととし? えー、入院してた?……ほんとに?」
休憩所のコーナーで新聞を広げていた野球好きの教頭が沈痛な顔をして、持っていた新聞をくしゃくしゃにして机にたたきつけた。名誉四番バッターの教頭は、二年前に行われた東中学校との野球の試合で国島先生のカーブに全くタイミングが合わずに3三振をくらい、その夜の反省会で強烈に悔しがっていた教大野球部OBだ。
「まだ……、30ちょっとだろうさ……」
「子供、たしか、二歳になったばかりのはずです……」
「そんな、悪かったのかい?」
国島先生に初めて会ったのはもう10年も前になる。ようやっと臨採の先生を卒業して次の学校に移ってからのことだった。
「あのー、ピーチャーにプレート踏んでサイン見る習慣付けさせてもらえませんか!」
練習試合にやって来た西園中学の若い方の先生が北田先生に向かって大声で叫んでいる。
「いやー、あの人たちさー、うちの学校に来てんのに挨拶もしねえのかよー!」
年配の松井先生がプレーボールが掛かったとたんにそう言って不機嫌な顔になってから間もなくのことだった。
松井先生は野球に詳しくないが生徒指導の観点から部活を手伝ってくれていた。北田先生も野球に詳しくないのは同じだったが、今までいくつかの学校で経験があったのでこの学校でも中心になって野球部を指導していた。
この年のピッチャー大瀬は結構運動センスのいい大柄な選手だったので、野球部もそこそこの戦績を残していた。何と言っても野球はピッチャーの出来に左右されるスポーツなので、この時の大瀬のような選手がいると必然と周りの学校にも注目されてしまう。
でもこの学校では野球の専門家が部活指導に当たったことがなかったので、細かな指導がなされないまま大瀬も三年生まで自分なりの感覚だけでやってきていた。
「あのー、プレート踏んでないと牽制し放題なんですけど! サイン見ちゃうとボークになるんですよね!」
会場校の監督に挨拶もないまま練習試合が始まり、そのとたんに大声で注文を付けてきたこの若い先生こそ国島先生だった。
「あいつさ、新卒のはずだったな!教大の野球部らしいけどよ、ちょっと言い方失礼すぎるべや!」
松井先生は敢えて相手に聞こえるくらいの強い言い方をした。
その後すぐ、西園中学のもう一人の年配の先生がこちらのベンチまでやって来て、ピッチャーの動きについて説明してくれた。
後でルールブックのわかりにくい日本語を確認してみると、野球規則ではサインを見る際は、ピッチャーズプレートの上に立つか、ピッチャーズプレートに触れていなければならないと規定されている。プレートをまたいでいたり、プレートの後方からサインを確認したりすることはできないのだ。
セットポジションに入る前、ピッチャーは片方の手を下ろした状態で体の横につけなければならないという規定もあった。そして、その状態から動作を中断することなく、一連の動きのなかでセットポジションをとる必要があるのだ。
だから、プレートを踏まずに牽制をしようとしながらサインを見たりするとボークになってしまう。
北田先生はそこまで詳しい野球をしたことがなかったので、ルールについてもそれまではあまり細かく考えることがなかった。
さらに国島先生はこちらのベンチに向かって言った。
「あのー、わかります? プレート踏んでから牽制する習慣付けさせもらえませんか。ランナーの子が困ってるんですけど!」
確かにランナーの選手は口をとんがらせて何か小声で一塁コーチャーと話していた。北田先生がピッチャーのところに行き、教わったようにプレートを踏んでからサインを見るように伝えた。ピッチャーは初めて聞くことなので自分の動きをうまく制御できないでいた。次のバッターに四球を与え、その後エラーとヒットを絡めて初回から3点取られることになってしまった。
この日の練習試合は間近に控えた中体連の前哨戦となるべく対戦を計画したものだった。西園中学校はこの地区では強豪で全市大会出場の常連校だった。そして今年一番の注目ピッチャーであった大瀬の力を測りに計画された試合だったはずだ。と同時に、本番大会へのプレッシャーをピッチャーに与えることになった。この日から大瀬はセットポジションへの入り方で迷うことになってしまった。けれどもこれを中体連の本番で指摘されるよりは良かった。
この時の練習試合で大瀬は、初回の3点のほかは1点に抑えた。攻撃陣が相手の変則ピッチャーの緩急をつけた投球に合わず1点しか取れなかったので負けてしまったのだが、選手たちはかえって相手に対するファイトを燃やすことになり、中体連の準決勝では3対1というスコアで本命とされていた西園中を破り決勝へと駒を進めることになった。
決勝では接戦の末破れ、残念ながら全市大会への初出場はかなわなかった。
この年に新卒の中学校教員として野球部の指導を始めた国島先生は、教大野球部出身の立場から地区専門委員としてこの地区の代表として活躍することなった。そして、強豪である西園中学をさらに強めることになっていった。そのため北田先生をはじめ他の中学野球部顧問の先生たちは「打倒西園中」「打倒国島」という気持ちで自分の学校の生徒を指導することになっていった。
ただ、国島先生は野球に対する情熱をいっぱい持った人で、若さに任せた生意気なだけの先生ではなかった。
「北田先生。審判講習会に参加しませんか?勉強になりますよ」
その年の中体連も終わり、新チームの活動が始まったころ練習試合の後で国島先生からそんな声をかけられた。
実は北田先生は大学の陸上仲間から「陸上の公式審判資格」をとるように何度も勧められていた。ただ、自分の仕事の不安定な状態や陸上部にかかわっていないことからずっと固辞してきたのだ。
陸上の審判資格を取得すると、まず休日は何かの試合でお呼びにかかることは目に見えていた。陸上は2日日程や3日日程も多く、1日日程であっても、必ずフルに1日かかってしまう。正式な教員になって間もない北田先生にとってはそれはとても大きな負担になると考えられた。自分が陸上部を担当しているのならばそれもいいが、今の状態ではそうもいかない。ましてや臨採先生だったころには全く考えられないことだった。
「審判講習会って言ってもですね、ルールを熟知するためと、自分たちが審判するときにみんなが共通して動けるようにするだけですから、そんな難しいようなことじゃないですから」
「……」
「みんな顧問の先生は参加しますよ。学校にも正式な案内状行くはずですから。行きましょうよ。今年の講師は軟式野球連盟の審判部長と南都中学の清野先生だからわかりやすいですよ」
この地区では最も若く、フットワークも軽い国島先生が中体連野球の取りまとめをしていることで、10校近くある地区の野球部顧問の先生たちは随分と彼の恩恵を受けることになった。
部活動の顧問は二人体制でやるとことが多いのだが、それも建前のところが多く、実質一人の先生が練習から選手の管理から遠征の計画や部費の活用などを任されているところがほとんどだった。
土日の練習や試合が大変な負担になるのは当然なのだが、それ以上に大会になると自分の学校の試合がない時には他校の試合の審判が割り当てられる。生徒指導の観点から二人体制になっている学校でも、もう一人の先生は野球が本当に詳しくない人が割り当たっているところが多い。大学野球部出身の二人が担当している学校など市内でも数えるくらいしかない。
野球が大好きな先生たちはたくさんいる。部活動がやりたくて中学校の先生になった人もたくさんいる。それでも自分が望む部活にはならないことだって多い。
「4トントラック借りてるんで、僕がそれ転がして各校周りますから。北田先生のところは、えーと、長机2脚とパイプ椅子6脚借りることになってるのでお願いしますね」
中体連の大会が地区の野球場を借りて行われる時、国島先生はいつも当たり前のように自分が運転するトラックで会場準備の物品運びをする。三日間日程の中体連野球大会はその年の年度初めに集まって決められる準備割り当てから始まる。専門委員の仕事はそれ以外にも会場との交渉、各校への周知徹底のための文書作りや管理職への物品借り受けのための要望などなど……、秋の新人戦大会の準備も含め本当に多岐にわたる大変な仕事だ。
大学の野球部経験者が中心に引き継ぐことが多いのだが、この地区では長い間一人しか対象者がいなかったので、その仕事を国島先生は毎年一人で行っていた。
大会が終わると片づけはもちろんのこと、反省会と称した担当の先生たちを対象とした打ち上げの手配まですることになるのだ。
そして、もちろん自分の学校の野球部の指導も他校に負けずに熱心に行うことになる。しかも彼らの場合、大学野球部のつながりから逃れることはできないようで、審判資格を取得したうえで、全市大会などの公式戦では自分のチームの出場いかんにかかわらず「審判割り当て」が行われる。それは野球部出身者として教員になった時から決められたようなものだった。
「教員の働き方改革」などと呼ばれる報道を頻繁に目にすることになった。教員の職場が「ブラック」だと断定されて喧伝されることになってきた。そして、その中心となる悪者になったかのような言い方をされるのが「部活動指導」だ。
「部活動の外部委託」が大々的に進められようとしている。あたかもそれが究極の選択でもあるかのような論調で進められようとしている。でも、北田先生をはじめとする熱心に部活動を指導してきた先生たちは、そのことに全く賛成の気持ちを持てなかった。
国島先生の「早すぎる死」と部活動との関係は全くないのだが、北田先生たちはこの時から部活動に対する取り組み方を考え始めることになった。
* 次回「~その2」に続きます。 *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます