第16話 「l love you」が歌えない ~部活動の外部委託って究極の選択なのかい? その2 ~


「アイ ラービュー フフフフフ、フフ……」

誰もいなくなった放課後の教室で一人外に向かってそう口ずさんでいたのは、杉田亮輔だ。尾崎豊が人気だった頃だ。


「おー、しぶい声してんだな」

学級活動が終わった後に学年の打ち合わせを終わらせて、教室に戻った北田先生がそう言うと

「……ッセー」

と小声で言ったきり、杉田は出て行った。


「なに黄昏れたんだよ! 格好付けやがって!」

もし自分が彼の仲間だったらそう言って尻に蹴りでも入れてやるんだろうが、先生という立場ではそうもいかない。杉田の方も、見られたくない場面を見られてしまったかっこ悪さで素直には反応できないことだろうし、こんな時はどうしたら良いのだろう。そんな何でも無いことに思い悩んでしまうのも先生という職業が持つ特殊性なのかも知れない。


 杉田は硬式野球のクラブチームを辞めてしばらく経つ。勉強はずっとやってこなかったから、三年の今になって取り返すことはかなり難しくなっている。母さんはとっても腰の低い優しい人なのだが、父さんは残念ながら離婚して一緒に暮らしてはいない。

 クラブチームでは主力投手として使われていたのだが、肘を痛めたことがもとで仲間や監督ともめてやめてしまった。大柄でパワーも中学生としてはかなりのものだったらしいが、もともと器用でもないし足が速いわけでもない。バッティングについても主力だったのだが、肘が痛くて投げられないとなると使う場所がないらしい。


 彼は以前から野球の名門高に進学することを希望していたし、進路相談の時にも推薦入学の話をもらっているから、希望を叶えてやりたいと母親は嬉しそうに話していた。


 その年の暮れ、結局杉田の推薦の話は流れてしまい、肘の怪我のことも了承したうえで本人は希望していない他の高校にスポーツ推薦の形で進学する手続きを取った。ところが2月の入学試験の時に彼は白紙答案を提出してしまった。推薦の手続きで進学を希望していたので、学科試験については参考程度ということで点数が問題とされることはなかったのだが……。試験の後に高校の野球部担当の先生からいただいた電話では、最後まで何も書こうとせずに机に伏していたままだったのだという。


 「試験の点数じゃなくて、入学してからの三年間をしっかり生活できるという姿勢を見せてもらいたかったのですが……学校の入試選抜委員会の中でも、ちょっと問題になりまして……」

担当の先生は怒りを表すというよりも困惑の語調でそう話していた。


 母親は学校長に謝罪に来たのだが杉田本人は顔を見せないままだった。自分が希望しない学校にはどうしても行きたくなかった。そのことで入試の直前まで迷っていたらしいのだ。


 高校進学をやめた杉田はその後、住宅基礎工事を請け負っている会社に就職し、型枠づくりに夢中になっているという話を彼の友達を通して聞くことになった。そしてその会社の草野球チームで朝野球をやっているのだと聞いた。


 あれからもう長い年月が流れた。そして今、中学校の部活動を外部委託にするという「究極の選択?」が好意を持って受け入れられようとしていると聞いた。

 その一番の目的は、「教員の働き方改革」と呼ばれる「学校教育の大きな問題点の解決策」なのだという。教員の労働環境が過酷であり、改善が急務とされているから……。


 部活動の外部委託は、教員の負担軽減や生徒の成長を促進するための有効な手段で、教員の負担軽減や専門的な指導の提供を目的として進められます。教員が部活動の指導から解放されることで、授業準備や生徒指導に専念できるようになります。それにより、教員の働き方改革が進み、過労の防止にもつながります。

 また、外部の専門家が指導を行うことで、生徒はより高度な技術や知識を学ぶことができます。そしてそれは、地域のスポーツクラブや文化団体との連携を進めることにつながり、それによって地域全体で子供たちを育てる環境が整い、地域社会の活性化にも寄与します。


これが部活動の外部委託に対する評価と期待の言葉だった。

確かにそう言われればいいことばかりのような文言が並んでいるのだが、それですべてが解決するとは全く思えなかった。


 国島先生が若くして亡くなってしまった後、北田先生たち部活動に夢中になって取り組んできた先生たちは、研修会や勉強会を通じて部活動について考える時間を何度か持つことがあった。そこではいろいろな考えが披露され、一度きりで収まることのない会合は二度三度……、と回を重ねることになった。


 歴史的には中学校で部活動が開始されたのは明治20年ころだった。知育偏重だったものに体育へ目を向ける狙いがあったという。中学生の年代の子供たちが偏りなく成長を育めることを目的に始まったと聞く。


 随分と古いころから始まったのだということに、参加した先生方は改めて驚くことになった。だがそれ以上に「もし今、中学校から部活動が消えてしまったら?」そう考えてみるととてもやりきれなくなってしまった。長い間中学校とともに生きてきた北田先生たちにとってそれは全く想像すらできないことだった。


「あの、先生方、学校で部活動が出来るから運動を始めたという生徒がどれだけの割合になると思いますか?」


 研修会の際に最初に発言したのはバレーボール部担当の先生だった。

「いやー考えたことなかったですけど、アンケートかなんかあるんですか?」

「うちの学校の三年生に聞いてみた結果なんですけど、80パーセント超えてました」

「やっぱり! そうだよなー、わざわざ校外のスポーツクラブって言ってもねー」

「野球とかサッカーとかさ、クラブチームがちゃんとあるやつはわかるけどねー。あと、水泳とかかい?」

「でもそれって、小学校の時からのつながりがあるからでしょう?」


「それとですね、文科系の部活動では100パーセントでした」

「あー、そうだわなー、吹奏楽なんてさ、やりようがないものね」

「演劇だとか合唱だってそうですよ!」


「もし、もしですよ、そんなことはないと思いますけどね、部活動が学校から離れたらどうなると思いますか?」

「つまんねー学校生活だと思うよー」

「生徒がさー、放課後わざわざどっかの会場に行って部活やるってかー?」

「やらないやつ多くなるべやなー」

「うちの学校だと、部活動参加状況は全校生徒の68パーセントです」

「そんなもんかな。うちの学校も調べてないけどさ、そのくらいはあるだろうさな」


「部活に入ってない生徒の中でも、野球やサッカーのクラブチームに行ってる生徒もいますからね」

「あとほら、近くに道場があったりしたら柔道とか剣道やってる生徒だって結構いるよ」

「そうなんですよ。それで、その子たちも学校内では別の部活に入ってることが多いんですよね」

「基本的に体動かしたいんだよね。小学生のさ、中学になってやりたいことの一番目が部活動だっていうアンケート結果もあるしね」


 中学校から部活動を切り離すことはできない。

 研修会の最終結論はいつもそうやって纏められる。確かに部活動によって教員の時間的拘束や家庭生活の束縛という大きな問題も存在する。部活動を積極的に取り組みたくない先生方だって少なくはない。


 しかしながら、もしも部活動が学校生活とは別な形で行われるようになったら……。まず、校外まで出かけて運動に参加しようとする生徒たちは、現在の部活動参加状況の三割程度にしかならないだろうと考えられている。学校の置かれている環境によってはもっと下がってしまうだろう。


 中学校に部活動があるからこそ参加する機会が増えていったスポーツ人口は激減するに違いない。中学校で始めたからこそつながっている高校スポーツに至ってはさらに減ずるだろう。スポーツ以外のいわゆる文科系の部活動に至っては限りなくゼロに近づいてしまう。小学校で「習い事」としておこなっていたものに戻ってしまうか、高校生になったからもうすでに終了してしまうか、そのどちらかだろう。


 地域スポーツの発展に期待するという考えに至っては、まったく実情が呑み込めていないとしか言いようがない。各地区にある少年野球のようなものを想像しているのかもしれないが、野球にしろサッカーにしろ、チームの存続のためには「勝利」が絶対的に必要な要件になっていくしかないだろう。そこに教育的目的は存在しなくなってしまうかもしれない。


「うちの学校ではバスケ部に外部指導者を入れてたことがあるんですけど、やっぱりうまくはいきませんでした。」

「ああ、うちの学校もね、バスケで専門家入れてたよ。でもねえ、結局はだれか教員が取りまとめ役で走り回ってるんだわ」

「はい。そうなんですよ。技術指導は素晴らしいみたいなんですけど……。やっぱり先生じゃないんですよね……」

「前にいた学校ではさ、父兄がね担当してたことがあったよ。でもねー、そうすると間に入った先生がなかなか辛くなるんだよね……」


 場所が学校であっても、学校の先生が担当しない部活動にはそれなりの問題点が生じていた。確かに専門的な指導はうまくいくかもしれないのだが、部活動の目的はそれのみじゃない。


 学校生活の一部として、日常の生徒たちの生活をも考えながら「先生たち」が部活動を指導していくことに意味がある。


「勝つ」「負ける」「上達する」「褒められる」「落胆する」「先輩がいる」「後輩がいる」そんなことを学校生活の一部として経験できることに意味がある。そこを出発点にして高校へと結びつく生徒もいるだろうし、中学生の時代だけで終了する生徒もいる。どちらにしても、義務教育最後の三年間を学校の部活動の一員として過ごすことが子供たちに与える意義は多大なものがある。

 敢えて付け加えれば、それは学校で日常生活を熟知している先生が始動し、仲間たちと行う活動だからだ。


「部活動の外部委託」それは、けっして教員の働き方改革の目玉となることではない。

 学校改革の一番最初に手を付けるべきことは「一学級の生徒人数を減らすこと」でしかない。

 例えば中学校の40人学級を25人学級にする。そうすることで各学校の教員人数は担任だけでも5割増しになるのだ。教科担任の受け持ち数もあるので、当然担任以外の先生たちも増えていく。

 

 それによって、各学校で行われている学校運営にかかわる仕事(校務分掌と呼んでいるものも、雑務と考えられているものも)の割合も人数が増えた分だけ各先生で分担して受け持つことになる。教員の仕事量の軽減はそこが始まりになるしかない。そんなことはもうずっと以前から言われ続けていることなのだ。


 「人に金をかける」

残念ながら、それが今まで日本国で一番取られてこなかった政策だ。それはイデオロギーの問題などではない。右でも左でもない。現実の学校生活から最も必要とされる方策だと断言できる。


 「小学校で英語教育を始めます」となった時にどう対応していたか。それは、現有勢力で対処しなさいというやり方だった。今いる先生方で英語を教えられるように研修を積みなさい。そのためには中学校の先生たちと交流を深め、より良い英語教育の仕方を身につけなさいという方針なのだ。

 つまり、新しい英語担当の専門家を雇わないということだ。


 「プログラミングをカリキュラムに入れます」となった時も全く同じ……。専門の先生を配置することなく、今いる先生方にプログラミングを教えさせようとする。それは結局、教員の負担増を助長するだけになってしまう。そこには教育の質の向上など存在するはずがない。


「人に金を掛けない」とは「教員人数は増やさない」ということを意味している。

北田先生が何年もの間、臨時採用教員として非常勤扱いのまま学校に勤めていたことも同じ発想なのかもしれない。


 教員のなり手が減少しているという現状を何をもって理由づけているのだろうか。教員数を増やしたくない理由は何だろうか。もちろん膨大な費用が掛かることも大きな理由に違いない。けれども、最も有効な方法は教員数増である。

 一人の担任が40人の子どもたちを把握するのと25人とではどのくらいの違いがあるか想像してみてほしい。学校を取り巻く大きな問題がたくさんある中で、その違いから発生するものが実は……。


 部活動の外部委託に対する研修会で、具体的な問題点として取り上げたことはいくつかある。

 ・家庭の経済的な負担が増える。

 ・部活だからこそ促進されていた運動する機会が減少する。

 ・指導者の質のばらつきや教員ではない指導者への不安がある。

 ・学校との指導内容や方針の不一致が生じる可能性がある。

場所を学校外に移したり、外部指導者を招いたりすることが、生徒の学校生活を改善することに本当につながるのだろうか。


 もし杉田が自分が担当していた学校の野球部の一員だったらどうだったろう。肘を故障した時点で彼は部活動を離れたであろうか。あの時、放課後の教室でたそがれていた杉田は「I LOVE YOU~」に続けてなんて歌いたかったのだろう。北田先生は、今でも窓の外を見ていた杉田の後姿を思い出しながらそう考えてしまうことがある。

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『遅れてきた先生』~リンサイ中学教諭の物語~ @kitamitio

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