第8話 割れ窓理論
1月の3日のことである。この年は年末から雪も少なく穏やかな正月が終わろうとしていた。午後、教頭からの電話で北田先生は小さな愛車を走らせた。正月休みの最後の日でもあり、いつもの通勤路は空いていた。スパイクタイヤで削った轍もさほど深くなく、冬場にしては珍しく快適なドライブになった。
だが、校舎内はとても穏やかとは言えない状態になっていた。体育館の窓ガラスを割って誰かが、いや、何人かが侵入したらしい。体育館の床が一面真っ白に変わっていた。廊下に備え付けてあった消火器がホースを伸ばした状態で転がっていた。つい一週間前の年末に野球部の練習で体育館を使用した後には、床にモップをかけ、ごみ一つないきれいな状態で一年の締めをしたはずだった。先に来ていた先生方が一面に白くなった床に立ち尽くしていた。
あの頃、中学校は荒れていた。
校舎の改築前年のことだった。木造校舎は傷み放題。荒れた生徒は古い校舎を平気で壊していった。
トイレのドアに蹴りを入れる。
廊下の壁板をはがし始める。
体育館には砲丸を投げつけ穴を開ける。
階段の手すりにはカッターで文字を掘ってある。
教室の窓にはシールが貼ってある。
掃除用具箱のドアにはげんこつで穴をあける。
新校舎と旧校舎とが入り混じっていたこの年、放火未遂で校舎の一部を焦がし、教師達は授業を抜け出す生徒を捕まえに走り回った。授業に出ないで帰宅するならばそれでもいいのだが、授業に出ないで校舎をうろついている生徒たちは何をしだすかしれない。事件が起こってしまう前に教室にいない生徒を見つけなければならない。それが、この年先生たちの大きな仕事だったのだ。朝登校してくるときには玄関で服装のチェックをしてからでないと校舎に入れられない。そして、校舎に入れば入ったで、授業中に巡回指導をしなければならなくなる。虚しさとやるせない思いの毎日だった。
そんな状態が半年続いた。
秋も深まりつつあったころ、校長と教頭が二人同時に途中交代した。そしてそこから、大きな変化が始まった。
生徒達は変わらずに校舎の破壊を続け、授業を抜け出し続けた。
そんな中、新しい校長と教頭が始めたことがあった。放課後、生徒達がいなくなり、くたくたになった教師達が帰宅を始める頃、二人の管理職は、板きれと金槌を持って校舎を修理し始めた。
穴のあいたトイレのドアや壁板に、板きれを打ち付けて歩いたのだ。
窓ガラスのシールは霧吹きでぬらしてカッターの刃で削っていく。
彫り込んだ名前や落書きはペンキを塗ってつぶして歩いた。
秋に始まったこの修理は雪のちらつく頃まで続けられた。二人の大先輩達がこうやって暗い校舎を修理する中、私たち新米が先に帰るわけにもいかず、一緒に金槌を振るい校舎の穴ぼこや落書きをなおしていった。
そのうちに生徒達が校舎の破壊をしなくなってきた。
「先生、トイレのドア直したんだって」
「誰に聞いた?」
「校長先生」
「良くなった?」
「釘曲がってたよ」
「そうか」
そんな会話が交わされる頃、雪が積もり新年を迎えた。きれいになったわけでも立派になったわけでもないが、荒れ放題の校舎に人の手が入ったことにより、生徒達には教師の姿勢として伝わったものがあった。
3年生が卒業し、新年度。大勢の教職員の入れ替えがあった。北田先生はもう一年この学校での勤務を続けることになった。昨年度途中からやってきた校長と教頭のもと、4月からこの「中学校の姿勢」は確固としたものになった。
「我々教職員は全力でこの中学校を建て直す。」
そういう無言の主張は生徒達にあっという間に広がった。この年の途中から新校舎の建設が始まり、旧校舎は取り壊されるのであるが、誰も破壊行為をするものはいなくなった。来年にはなくなってしまう校舎を最後まできれいに使おうとする動きまで始まった。この学校が立ち直るには、その後かなりの時間を要したが、自分たちで自分たちの中学校を創り上げようとする流れは着実にできあがっていた。
その後何年もしてから「割れ窓理論」という言葉を知ることになった。
割れ窓理論(Broken Windows Theory)によると、治安が悪化するまでには次のような経過をたどるという。
一見無害な秩序違反行為が野放しにされると、
それが「誰も秩序維持に関心を払っていない」というサインとなり、
犯罪を起こしやすい環境を作りだす。
そして軽犯罪が起きるようになる。
それによって、住民の規範意識が低下して、
秩序維持に協力しなくなる。
それがさらに環境を悪化させる。
やがて凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。
よって、治安を回復させるには、
一見無害であったり、軽微な秩序違反行為であっても取り締まる。
警察職員による徒歩パトロールを強化する。
地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する。
などを行えばよいという考え方である。
ジュリアーニ、ニューヨーク市長がニューヨークの犯罪を劇的に改善させたとのほめ言葉と共に我々の世界にも入り込んできた理論であった。
その理論を知った時、私はあの二人の素晴らしい管理職達が板きれと金槌を持って暗い廊下を歩き回っている姿を思い出した。
我々が学級担任として考えるべき学級環境も同じであった。掃除の行き届いたきれいな床は汚されなくなり、整然と並べられた机を無意味に乱して座る生徒はいなくなる。逆を考えると、壁に貼られた掲示物のいたずらをそのままにしておくと、次には掲示物は破られ、落書きが始まる。
犯罪と学校生活を同一視しているわけではない。人間の精神生活とはそういうものだし、集団生活の大切さもここにある。学校はミニ社会であり、本物の社会生活を疑似体験させ、社会人としての耐性を作り向上心を身につけさせたい。
学力の向上や基礎基本の確立が大切なのは言われるまでもなく理解している。だが、その前に人と人とが生きていく環境を無視していてはなにも始まりはしない。学校内の秩序を保ちたいばかりではない。子供たちが学校を卒業した後にどんな大人になっていくのかは極端に言えば、こういう学校生活での積み重ねによる影響が大きいと思うのだ。学校生活は子供を大人へと導くためにある。今更言い尽くされた言葉で、なかなか面と向かって言うのもおこがましいのだが、日本の未来を創っていく子供たちを扱っている私たち教職員は、いや学校は、間接的にではあっても、未来の日本を創ることにかかわっている職業なのだ。
中学校の三年間は人の一生の中でもとても重要な意味を持った時間であるはずです。一般的には、日本人はみな中学生として生活した経験をもって世の中に出ていく。この三年間がその後の日本人の生活に及ぼす影響について、教職を離れた今でも考えずにはいられない。
「割れ窓理論」も教育の現場にうまく適合させなければならない事柄なのだろう。しかし、この当たり前の事柄こそがなかなか続けることの難しい事柄なのだった。
あの素晴らしい管理職たちの下でも、㋀3日のような出来事がなくなりはしなかった。外に積もった雪よりも、体育館中にぶちまけられた消火器の粉の白さの方が、何倍もわたしたちの心を冷たくした。体育館に広がっていたその白い「雪」は私たちの記憶から一生消えることはないだろう。そして、その映像を頭の中にとどめておくことが、私たちが学校を考えるにあたっての大切な財産となってくるのかも知れない。
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