第7話 賢ちゃんは優等生

 入学式である。先頭で入場してきた小さな賢ちゃんを迎えたのは、PTA副会長として役員席に座る母親と、歓迎の言葉を述べた生徒会長の姉であった。賢ちゃんの父は2代目社長業で飛び回り、上の姉は東京で大学生をしている。彼女もまたこの学校の生徒会長であったという。


 超のつく程真面目な賢ちゃんは冗談を真に受けてしまう。笑って受け流すなどということはできず、何にでも必ず反応を返すため別の小学校から来た同級生にとっては奇異な存在だったろう。

 勉強も抜群に良くできた。中学入学までの生き方が他の生徒たちとは全く違っていただろうことがハッキリとわかる程、彼の知識の広さとその正確さは群を抜いていた。授業でも何でも一度聞いたことは必ず覚えていた。


 賢ちゃんは自分から進んで話すことはほとんどなかった。話せばそれなりに的を射た話し方はできるし、丁寧に伝えようとする努力もしていた。二人の姉たちより、彼の方が生徒会長として力があるという先輩教師たちの評価だった。

 そんなわけで、賢ちゃんはこの学級に王子様として存在していた。


 北田先生がこの学校にやって来ての一年目、賢ちゃんたちも1年生の秋、学校中にカンパの嵐が吹き荒れた。「族」がからみ、その上の組織にまでつながるひどさだった。後からわかったところでは一人から30万とも、50万ともいわれる金額が集められていたという。

 北田先生の学級でも多くの被害者がでていた。賢ちゃんもその一人だった。賢ちゃんにカンパをかけてきたのは、3年生の姉と同じクラスの男の子。しかも家が一軒おいて隣にある幼なじみの生徒だった。その生徒は上からのカンパを賢ちゃんに回してしまったのだった。


 カンパをかけられた生徒達は誰にも言うことができず、親にも見つからないように千円、二千円と調達しては渡していた。もし断ったら何をされるかわからない恐怖心からであった。が、賢ちゃんは違った。二千円のカンパをかけられた賢ちゃんは、その意味もわからないまま、中学生になった時の母親との約束通りに、学校への支払金として二千円を母親にもらいに行ったのである。


「3年生の○○から二千円持ってくるように言われたから。明日渡すからちょうだい。」

「どうして、渡すの?」

「カンパだって言われたけど?」

母親はPTA副会長である。姉は二人とも生徒会長。中学校の悪い部分は全部知っていた。しかも賢ちゃんにカンパをかけたのは、一軒おいて隣の家の子どもだ。

 母親はすぐに顔見知りのその家へ相談に行った。本人も交えて話していく中でこのカンパの全容が明らかになった。お互いに小さい頃から遊んでいた仲である。親どうしも昔からの付き合いが深かった。


 担任である北田先生に電話で連絡があった時には、もう既に3年生の姉の担任と生徒指導部長に話が通っていた。若くて頼りない担任なんかの知らないところで対策は進み、警察への届け出も済んでしまっていた。

 被害届の人数は30人にも及んでいた。そして、「族」につながる生徒とその上部組織への入口にあたる人物も特定された。すぐに金を巻き上げられた生徒たちの被害金額がまとめられ始めた。こうしてこの時のカンパの嵐は終息していったのだが、その後も小さな報復事件が何度か起こった。

 発覚の出発点は賢ちゃんなのだが、誰もそのことは知らずに済んでしまった。母親や指導部の進め方がうまかったに違いない。この対応の仕方を間違ってしまうと、賢ちゃんは身の危険を感じながら生きることになってしまう。

 実際カンパをかけられた生徒たちは、報復の恐怖から母親の財布のお金を抜き取ってまで金を払い続けていたのだ。


 賢ちゃんはその後も変わることなく生活を続けていた。しかし、その体格の変化は大きかった。男の子の場合、中学校の2年から3年にかけての身体の成長はめざましく、「子ども」の体から「大人」の体へと大変身する。入学式の時先頭で入場して来た賢ちゃんも、3年生の春には170センチを超える背丈になっていた。

 こうなるともう「賢ちゃん」などと、ちゃんづけで呼ぶことはなくなるものだが、彼に関しては相変わらず「賢ちゃん」であった。


 6月、修学旅行の夜。一部屋に6人や8人の生徒が布団を奪い合うように眠りにつく。なれない旅行、気持ちの高揚から寝付けずにいつまでもひそひそと話している生徒がいる中、賢ちゃんはすぐに寝てしまった。が、夜中になって突然大声を上げた。


「ウルセエ!おれだって男なんだから……。自分でちゃんと考えれる!」

廊下で舟をこいでいた北田先生も飛び起きてしまった。中に入ると部屋のみんなが賢ちゃんを取り囲んでいた。「なんだよ」と言う顔は普段と変わらない賢ちゃんだ。

「なんしたのよ?」

「いや、何だかわからないんですけど?」と賢ちゃん

「叫び声だったけど」

「いや、夢見たのかもしれません」

「大丈夫なのか?」

「別に、なんにもありませんから」

その日はみんなを落ち着かせて夜が明けた。

 次の日の日程も順調に進み、体調不良の子もなく夜になる。そしてまた賢ちゃんの叫びが。


「どっか具合悪くないのか?」

「いや、何ともないんですけど、すいません」

「寝られるのか?」

「はい、大丈夫です」

人に弱みを見せること、人に頼ってくることの無い賢ちゃんであった。何かがあるのだろう。旅行中に体調を崩させないようにしたいのだが。

 3日目、賢ちゃんは眠らずにいるつもりであったらしい。消灯から1時間。賢ちゃんの部屋は誰も寝ていなかった。2日間の賢ちゃんの叫びがあるのでみんなその時を待っていたのだ。巡回でそのことを知った北田先生は教師用の部屋へ連れ出した。


賢ちゃんは話し始めた。

「先生、すいません。」

「やっぱり何かあんだろう?」

「1ヶ月くらい前からこうなるらしいんです。」

「母さんとか知ってるわけ?」

「はい」

「で?」

「はい?」

「母さんには言ってないことがあるわけだ」

「いや……」

「3年生だもん、あって当たり前」

賢ちゃんが話したのは「男としての生き方」だった。


小さい頃からずーっと優等生の生き方をさせられてきた。それが普通だと思っていたが、最近そうじゃないことに気がついた。自分の生き方は自分で決めたい。でもそれはなかなか言い出せない。自分の進む方向は母さんがずっと決めてくれていた。それは自分のためだとわかっている。でも、自分は自分の考えで生きたい。それが言い出せない。夢では母さんに反抗している。その時はあんな声で怒鳴っている。らしい。

「で、どうしようとしてる?」

「どうにもしません」

「どうして?君の本心は、毎晩叫んでることなんだろう?」

「現実にはそうはいきません」

「まあ、叫んだり怒鳴ったりということじゃなく」

「母さんに、いやな思いさせようと思ってないから」

「うん、そうか。でも、母さんはおまえの親だよ」

「……」

「息子の本当の考えを知りたいと思うけど」

「……」

 その晩は朝まで話して終わった。二人とも一睡もしていなかったが、北田先生はおもしろい一晩と感じたし、賢ちゃんも初めて自分のことを話してすっきりしたよう顔をしていた。


 3年生も冬を迎え、受験のシーズンに入った。賢ちゃんの学力は、学年で1番を争うレベルである。受検に対しては何も心配はなかった。この地区では最難関の公立高校を受験する。誰もがそれを当然と考えていた。ところが賢ちゃんは合格できなかった。というより、合格しようとしなかった。白紙答案だったという。


「お前、やったな!」

「何がですか?」という賢ちゃんは、不合格者の顔ではなかった。

「母さんにはちゃんと話した方がいいぞ」

「わかりました」

「で、どうするの?」

「私立に行きますよ」

「本当にそうしたかったの?」

「いや。どっちでも」

「このままくだらない人間になっていくのもいるぞ」

「それは大丈夫です」

「母さんは?」

「みっともないくらいに僕をかばってくれてます」

「そう」

「悔しいんだと思います。一人っきりの男の子だから」

「どうする」

「このまま。とにかく動き出しました」

「おまえ、すごいな……」


 賢ちゃんは私立高校進学後、3年間大活躍だった。中学校ではなく高校で生徒会長を努めた。それは、姉たちには出来なかったことだった。推薦枠を使って大学に入学。卒業と当時に同級生と結婚。信用金庫に5年務めた後、父親の会社へ。現在は3代目の社長目指して頑張っているという。


母親も今は安心して、おばあちゃん業をやっていることだろう。それでも、彼は、今でも賢ちゃんと呼ばれているという。

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