第9話 生まれくる子どもたちのために


「学校の先生」をやっていると、昼には生徒と同じ給食を食べられる。もちろんちゃんと給食費は払っているし、補助がないぶん子どもたちよりも多くの金額だ。だが、金額以上のメリットをいっぱいいただいている。市内で給食を実施していない学校も数校あったのだが、北田先生が赴任した十数校では、すべて給食を実施していた。

独身のころはもちろん、結婚してからも温かい昼食が食べられることに大きな幸福感とともにいた。そんなわけで、北田先生はどんなメニューであっても給食を残すなんてことは考えられなかったし、担当した生徒達にも食べ物を残すことは厳に戒めてきた。だから未だに彼が担当した学級で給食が残ってしまうなんてことは一度もなかった。時には、どうしても食べ切れなくて余りそうな給食を男子生徒と一緒に無理して食べ尽くしたこともあった


そして給食のない日には、昼食に出前を取ることが多かった。給食は大好きであったが、週に一度の土曜の午後の出前もまた大きな楽しみの一つだった。出前の種類とその当たり外れについては、学校の存在する地理的な条件が大きく関わっていると言える。それぞれの立地条件に合わせて、学校によって出前のメニューも大きく違い、転勤のたびに美味しいと評判のラーメンから、蕎麦から、定食から……様々なお得意先を見つけることができた。  

中でも北田先生はラーメンが大好物だったので、昼食の出前にはラーメンを頼むことが圧倒的に多かった。そして、札幌ラーメン独特の太い縮れ麺のように、一緒にラーメンをすすることで仲間としてのつながりも太くからまりあっていった。特に北田先生のように一つの学校に一年か二年しか勤務することのない臨時採用教員にとっては、付き合いの短い仲間とのコミュニケーションを深めるための大切な時間だった。土曜日にはまだ半日の授業がある頃のことだった。


 中学校では定期テスト三日前は部活動もなく、テスト前の土曜日の午後はテスト作成のピークとなる。生徒たちは4時間で帰宅し、出前のラーメンをみんなですすった後は早いもの順で印刷機の取り合いになる。「花の金曜日」ならぬ「花の土曜日」なので、先生達はみんな早く印刷を済ませて久しぶりに自由な時間に浸りたいのだ。部活動のない土曜の午後はめったにあるものではない。

この当時の印刷機は輪転機とも呼ばれ、今よりずっと扱いにくく、時間もたっぷりかかる代物だった。もちろんパソコンが普及する前の時代だ。テストの作成は手書き以外にない。いや、正確に言えば「日本語タイプ」と呼ばれる、漢字やひらがなの活字を拾って文を組み立てる「機械」はあった。その機械を使うと確かにきれいに印字されて見栄えは良い。だが、やたらと時間がかかるし、紙面のレイアウトが制約ばかりでやたら面倒になってしまう。そんなやっかいな機械だった。おまけにそれはあの「グリコ森永事件」に使用されたものだったから、当時の捜査員達が全国の同じ機種を使用している家庭すべてを聞き込み調査に回ったといういわく付きの代物だった。 


一学年に6クラスあるとすると、同じ教科は二人で一つの学年を担当することが多かったので、テストの作成は順番に行うが、相手のチェックなしには印刷することができない。当然ながら経験の少ない北田先生に対する先輩のチェックは厳しく、一度で印刷になることはまずありえない。「花の土曜」の午後も時間はどんどん過ぎていき、二台の印刷機が休みなく回る音を聞きながら何度目かの作り直しをする。印刷の終わった先生は次々に楽しい週末のために帰宅していき、いつものように学校の中が楽しい週末になってしまった北田先生たちは、もう何時間も問題用紙と解答用紙とのにらめっこだ。そして、時折うめきながら鉛筆と消しゴムが動く。午後が夕方になり、夜と呼んでいい時間になると、職員室に残るのはわずか数名になる。

「部活もないのにー、明日は日曜しゅっきんー!」

そう言いながらあきらめて夜の街に直行してしまったバレー部のT先生に続いて、残っていた先生達も次々に離脱してしまった。


北田先生と先輩の杉山先生だけが職員室に残された。二人ともデートの相手もいないし、あきらめて明日にかけるだけの度胸もない。それから2時間、外は真っ暗になり、やっとのことでOKがでて印刷が完了した。

「ラーメン?」

「昼に食ったよラーメン」

「じゃあ、居酒屋ですね」

「今日は、割り勘ね!」

という杉山先生と一緒に玄関を出ようとすると、思わぬ来客がドアの外に立っていた。


「2年生のY先生って、いるかい?」

「いや、職員室にはもう誰もいませんが……」

「校長や教頭は?」

「いや、もう帰りました」

目をそらすことなく、真っ直ぐに北田先生の方を向く彼の姿は、ずいぶん昔に「ヒッピー」と呼ばれた人たちに似ていた。周りの暗さとも重なって、やせた頬に当たる光がいっそう影をはっきりと作り、彼が何か怒りの感情を持ってやって来たのだと感じさせていた。白黒写真のジョンレノンを思わせる彼の口がゆがみ、目に光が差した。

「学校の先生ってこんなに早くいなくなるのかい!」

時計の針は夜の八時を大きく回っていた。


「今日は土曜日ですから」

つっけんどんに杉山先生が返す。

「レノン」のひげが持ち上がった。

「あんたらなー、自分たちの生徒がどんな思いしてるかわかってないだろう!」

「保護者の方なんですか?」

後ろに縛った長髪やもみあげから続くひげ面から年齢を判断できずにいたが、どうも保護者という感じはしない。

「こどもたちにはねえ、親にもいえないことがあるんだよ」

「あの、もうかぎ閉めてしまったんですけど、職員室で話を聞きましょうか。ここで立ち話も何でしょうから……」


せっかくテストが終わって帰れると思ったのに、最終下校にはいつも何かがつきまとう。生徒の起こした事件の処理のこともあるし、こうやって保護者からのクレームへの対処のこともある。これも教師の仕事の一つと、教頭には何度か慰められはしたが、何もこんな時に来なくともいいのに。そう思ったことは何度もある。これも仕事の遅い自分に与えられた罰なのかもしれない。

北田先生がそう思い始めた頃、長髪ちょんまげのレノンは思わぬことを言い始めた。


「2年生のY先生に言いたいことがあったんだけど、もう切羽詰まってるんだから、黙ってるわけに行かない。ちょっと一緒に来てくれ!」

二人の返事を待ちもしないで、ひげ面ちょんまげは歩き始めた。そのままシカトして逃げてしまうこともできず、北田先生と杉山先生は顔を見合わせた。そしてあきらめざるを得ないことを知った。

 初夏を感じさせる柔らかな風の中を10分も歩かないうちに、ひげ面ちょんまげレノンは二階建てアパートの入り口に立ち止まった。2階の窓には「Free Style」という手書きのシールが貼り付けてある。個人指導を歌う学習塾の看板だ。短い階段を上ると塾の名前がプリントされた入り口が現れた。レノンがドアーを押して入っていく。それに杉山先生が続き、北田先生は少し間をおいて中をのぞき込んだ。

 靴脱ぎのスペースがわずかにあり、背の高さほどの靴入れには一つだけスニーカーが突っ込まれてあった。女の子のもののようだ。


「ああ……」

という声に迎えられるように部屋の中に入ると、十脚ほど並んだ二人がけようの机の奥の方に山本さんが肩をすぼめたように座っているのが見えた。2年D組の生徒だ。週に一回だけ実施されていた「必修クラブ」の時に顔を合わせる生徒だ。授業は杉山先生が担当していた。

「山本!」

という杉山先生の声に彼女は座ったままわずかに会釈した。

レノンはそんな彼女に厳しく言った。

「おまえな、せっかく来てもらったんだからちゃんと挨拶しなさい!」

ただ勉強を教えることだけの塾ではないことが分かった。

山本さんは、立ち上がって二人に向かって頭を下げた。

「その辺の椅子に座って下さい」

さっきまでとは違って穏やかな話し方になった。

「この子の学級が今どんな状態か知ってるのかい?」


もらった名刺から武村健司と言う名前であることがわかり、二人はちょんまげレノンを武村さんと呼び始めた。

「族とつながった奴らがいくら上納金収めてるかわかんないでしょう!」

中学校で「カンパ」という言い方でのカツアゲや恐喝が行われていた。カンパというのは「活動資金集め」というのが本来の意味なのだろうが、学校で言われるこの種のカンパは間違いなく「恐喝」や「カツアゲ」でしかない。

以前に在籍した学校では、親の経営する店の金庫から数十万もの現金を持ち出し、空き巣事件として取り調べた結果事件が発覚したこともあった。特別に荒れた学校で起こったことではない。多くの学校が経験していたことだった。この頃の子供達にとって最も危険なものは学校内にいる仲間なのである。そして、それを治めることもできずにいた先生達は次第に子ども達の敵になってしまうことになった。


「この子はまだ対象にならないみたいだけど、そのうち必ずこの子にも回ってくる。カンパかける方も困ってんだから」

「族ですか?」

「学校でもつかんでんのかい?」

「ここは二つの暴走族がいるみたいで……」

「そんなことは……」

杉山先生の言葉を遮って武村さんが声を荒げていった。

「そんなことは、わかってるって! それがわかってるのに何で黙ってるんだってことさ!」

「カンパの実態がつかめてないんですよ」

生徒指導部の一員である杉山先生が言った。内部の事情を細かく話すことができないのは武部さんもわかっているらしい。

「この子のクラスに、Mって男がいるだろう!」


武村さんのいうMは2年D組の学級委員長である。この生徒も必修クラブの一員だ。

「父さん、道庁勤務のはずですよ」

杉山先生はPTAの会議で予算にクレームつけていた父親の姿をよく覚えているという。

「大人としての配慮に欠けた幼稚な対処の仕方だ」

とずいぶん声高に批判を繰り返したそうである。

その大人としての配慮というのも、うまく帳尻を合わせてあとに残さないことを最優先した「ごまかしの対処方法」で、事実を事実として実際の計算数値を出すことを非難した内容だった。つまり、波風を立てないような終わり方をしなければうまくいかないということを「大人の対処」として強く主張したのだという。


「だから、終わんないんだって! いいかい、先生方の先入観、いやー、偏見って言ったほうがいいかも知れない……」

「ケンサン、それは言い過ぎだって!」

奥の方から成り行きを心配そうに見ていた女性が声をかけた。後で聞いた話では、武村さんの奥さんで、ともに塾の先生としてここで教えているのだという。奥さんの専門は英語で一時期中学校で教えていたこともあるのだという。

「学校の先生だって、わからないことあるけど、そんなに悪意ある人ばっかりのはずないでしょう!」

「けどおまえ、現にこの子の担任みたいなやつだっているだろう」

ちょんまげが激しく左右に揺れた。

「いいかい、この子が学校に行くの嫌がってる理由はね、Mじゃないんだよ。Y先生なんだよ!」

Y先生は、2年D組の担任だった。

「先生達に正義もなんもなくなったら……」

武村さんは言葉を探しているように間をおいた。

「……生徒はどうすれば良いって問題よ!」


武村さんの話はこういうことだった。

この学校でカンパがかかっているのはMで、あの父親の目を盗んでMは自分の家から金を持ち出すことができない。そこで、学級の仲間達にカンパをまわしている。

「あんたらはどう思ってるか知らないけど、Mは『裏番』だよ。いいか、学校を本当につぶすのは『裏番』なんだぞ。見た目や成績も立場も人一倍ちゃんとしてるように見えても、あいつこそあんたらの学校を潰してる張本人だって。それと、あいつの父親!」

武村さんは父親に対して何か特別な思いがあるような言い方をした。

「あいつは大嘘つきだって!」

Mのことを言っているのか、その父親のことなのかわからない言い方だった。

「おまけに、今度生徒会長に出るって言うじゃないか!」

それは、初めて聞くことだった。

「そうなんですか?」

北田先生は杉山先生に聞いてみた。だが、同じ学年の杉山先生も知らないことだった。


中学校の生徒会役員は、なかなかなり手がなかった。当該学年間で人数の調整をしながら先生方が候補を絞って声をかけることも多い。力のない生徒が突然立候補してくることのないように押さえてしまうこともある。それでも、少ないながらも積極的に役員を目指す生徒がいて、その生徒に対する先生方の評価が立候補の出発点になることが多い。Mが立候補すると言えば誰も止めることはできないだろう。

「父親は大喜びだろうなあ」

杉山先生がつぶやいた。

「いいか、あいつが生徒会長になることがどんな意味を持つかわかるだろう?」

諭すような言い方に変わった武村さんは、さっきから下を向いたままの山本さんを見た。

「もし、Mが出たら、誰も対抗するやつはいないって言うじゃないか。良いのかそれで? 終わっちゃうよ、あんたらの学校」

止められるのは、先生達だけだろう、ということを言いたいらしい。


現生徒会長の関口は責任感の強い前向きな発想をする生徒だ。が、この何年か女の子ばかりが会長を務め、男の子はなり手がなかった。会長になるのは多くの場合、前年度に副会長なりを経験した2年生であることが多いのだが、今の生徒会に2年生は一人だけしかいない。そして残念ながら彼女には生徒会長は務められない。話すことに難のある生徒なのだ。ここでMが武村さんの言うように立候補してしまったら、誰か強力な対立候補を出さない限り決まってしまうだろう。Mが立候補しないのであれば、きっと学年内で調整していつものように役職は収まっていくに違いなかった。

ところが、山本さんやそのクラスの生徒達の話しでは、Mが生徒会に立候補することは父親からの強い命令でもあり、本人の邪な計画でもあるという。担任のYは懇談で父親から直にこの話を持ち出され、しっかりと受けてしまったらしい。だから担任とMとの間では、もうすでに立候補の予定で物事は進んでいるという。そのことを知っているのは担任とクラスの何人かだけだという。その子達も、M本人がもし生徒会長になったら、自分のカンパのことももっと大々的にできるとうそぶいていたという。そして、担任のYはことあるごとにMを持ち上げ、見苦しいほどだという。


「オレは教育大じゃなく東京の私大出身だから、なんぼ頑張っても出世の道はないさ」

酒の席で酔うと必ずそう言って周りからたしなめられていた社会科教師のYは、前々から「教育委員会に行きたいんだ」と大っぴらに言っていた。

「教育委員会で指導主事になってよ、ちょっと目立ったことやったら、すぐ教頭だよ。教頭を2校か3校経験して校長だろ。今のまま黙ってたら、そんなことできるわけないからさ。」

「お前、授業してるの嫌なのか?」

「一生このままじゃな。いつまでも若いわけじゃないから。」

「まだ三十だろうさ!」

「定年迎える先生達がよく言うだろう。あっという間だったって。生徒のことで走り回って、授業に四苦八苦してるうちに四十歳も五十歳もすぐやってくるってさ。」


「くだらねえやつだな」

「何がよ?」

「おめえの考えがよ!」

「なんで?」

「一緒に働きたくねえ奴だよ」

「……」

「教育学とか何とかやってきてないのか」

「社会の教職課程に理論なんて必要ねえだろ」

「違うって、なんでお前教師になったのってことだよ」

「仕事だろ、教師だってよ。経済の法則で世の中が動いてるってのは中学生でも知ってるって。自分の出世だとか、栄誉だとかを求めることに何の問題あるってのよ」

「お前がどうしようと俺は関係ねえけどよ、担任やってるお前がそんな下らねえ奴だってのが許せねえ」

「誰も好き好んで担任やってるわけじゃないって。管理職に言いな」

「本州のやつってそんなのばっかりなのか? だから組合活動もつぶれてるし、教育委員会にやられてばっかしだってことだ」

「北海道と沖縄が異常なだけだって。これはみんな言ってることだぜ」

「へん! ハンカクセエ野郎だ」

杉山先生からそんな話を何度も聞いた。確かにT先生は孤立しているのかもしれない。


「Мはよ、子供だからさ、全部悪いとは言わないさ。でもよ、担任は大人だろ? 学校の先生だろ? いいのかこれで?」

武村さんは強くそう言った。

「今日、Y先生がいたら、どうしようとしたんですか?」

杉山先生はこわごわそう言っている。

「あの先生のさ、間違ってるとこ、教師に向かないとこ、言ってやろうと思ったさ」

壁際に動いた武村さんが言った。

「……ちょっと、この曲聞いてくれ」


静かなイントロのあと、オフコースの曲が流れてきた。

「多くの、過ちを……、」「……生まれ来る子供たちのために、何を語ろう……」

途中で語りが入った。

10畳ほどの教室の、入り口から見える壁に下げられた大きなスピーカー。そこから流れてくる曲が山場を過ぎ、言葉が繰り返されてフェードアウトした。

その間、四人の大人と一人の中学生は一言も発することなく流れる曲を追いかけた。

武村さんの奥さんが口を開いた。武村さんは下を向いている。涙ぐんでいるようにも見えた。

「オフコースって、なんか、しみるでしょう? メロディーがっていうより、なんか言葉の一つ一つが、こう、深くまで入り込んでくるような気がするんですよね……。」

「小田和正の声がやっぱり魅力的ですよね。透き通ってるって言うか、なんか、不純物のない水のような……。中学生も好きですよオフコース」

杉山先生がそう続けた。


「先生は? こんな歌聞きませんか?」

武村さんの奥さんが北田先生に話を振ったとき、彼は別の歌手のことを考えていた。

「あの、この歌は今、初めて聞いたんですけど、僕はなんか、中島みゆきを思い出しちゃったんですよね」

「オフコースだよ! 全然、『みゆき』と違うだろう」

杉山先生がおかしそうに言った。

「いや、なんかその、人の生き方って言うか、少し悲哀を帯びた生き方って言うか、人生観って言うか、なんか中島みゆきを想像してしまって……」

「中島みゆきはすごいよ。確かにさ。札幌の出身だしな」

「僕は、天才だと思うんですよね、中島みゆきって。与謝野晶子みたいな気がしてね。『時代』聞いたときにもう、何にも比べることできなくなっちゃったような気がしてた。天才ですよ絶対」

「私はわかりますよ。中島みゆきは大学の後輩だったから」

「そうなんですか?」

「私は英文科だったから、学部は違うけど、確かにあの人は天才的な人だった、みたい……」


「……大人がさ、子どもたちに何を教えるかってことだよ!」

武村さんが話を元に戻した。

「この歌はさ、生まれ来る子供たちに何を伝えよう。大人として何を語るべきか、って問いかけてるんだよ……」


武村さんの演説が始まった。

「いいか、子供たちは大人から学び、そしてやがて自分も大人になって、子供たちに自分の言葉で伝えることになる。そうやって、その国やその地域の文化が継承されていく。そういう伝えるべきものを私たちは大人を見本とすることから得ていたはずだ。……そうだろう。けど、今、大人たちはその伝えるに値するものを持っているのかい? 次の世代の子供たちに何を伝え、何を語ればいいんだ? 私たちが、今こうして大人となったとき、伝えるべき何を学んできたんだろう。目指す大人の姿をどう言葉にすればいいんだろう。自分の存在意義さえも見つけられずにいる自分が、大人として……、子供たちに一体何を伝え、何を残せるというのか。その切ない思いに迷う大人であるから、教育に携わるものとしての価値があるんだろう?」


 武村さんはコーヒーカップに口をつけ、音を立てて中の液体を飲み込んだ。そしてまた「演説」を続けた。

「結局、大人が自分に有利に働くことにばかりに頭を使うから、子供たちは乱れる。子供に伝えるどころか、自分の楽しみのために子供たちの将来の力になるべきことを伝えないでしまっている。それが今の時代の姿じゃないの? けどさ、それを教育に携わる先生方がやってたらだめだろ! 物事の真実だとか、あるべき姿だとか、事の是非を判断できる力を身につけさせるのが大人の役割で、学校のなかでもさ、特に中学校なんか、その最も大事な時期の子供を扱ってるんじゃないですかって? そのことを先生方が考えずに自分の保身のためだとか出世のためだとか、楽しみのために投げ出すようじゃだめだろう。話になんねえだろ?」


息を継ぐのも忘れたように一気にそこまで話し、武村さんは少し言葉のトーンを落とした。

「先生方は、この歌を聴いてそんなことまで考えませんか?」


北田先生は「さよなら」という曲の頃のオフコースが好きというのは、男には少し恥ずかしいことのような気がしていた。だがこの曲には少し違ったものを感じていた。

「生まれ来る子供たちのために何を語ろう」

そのフレーズは、確かに私たちの中に「自分自身を大人として見つめ直す」目を持たせてくれた。

それは大人としての最も大きな役割だし、人はそうして何世代にもわたって人としての生き方や文化を伝え、そして発展させてきた。近代化がなされ学校という公的機関が生まれてからは、学校がその伝承の中心を担ってきたはずだ。それなのに今、学校の先生はその役目を捨てようとしてはいないか。先生としての立場だけでなく、大人としてそれでいいのか。物事の是非を判断できる力を育む、その機会を子供たちから取り上げてしまってはいないか。


600人の生徒がいて、15の学級がある中で、たったひとつの学級だけでも崩れてしまうことがどんなに大きなことか。その一つの学級だけでも学校全体が成り立たなくなることもある。その原因が担任の大人としての欠陥であったなら……。しかもそれが人としての曲がった意思による原因だったなら……。世の中にはいろいろな社会があって、そこにも似たような人たちがいるのだろうが、ことは学校の中、しかも担任の教師であることの意味はとても大きい。


 自分の思いを吐き出したからか、険しかった武村さんの表情が少し和らいできたような気がした。

「Y先生は東京の出だろ?」

「N大の文学、らしいですよ」

「やっぱりな!」

「ケンサンの言ってたとおり!」

「何ですか?」

「美咲紀! お前はもう帰る時間だから、奥で支度しなさい」

山本さんが隣の部屋に行くのを待って、武村さんが静かに言った。

「同じ学部さ、同級生……」

「武村さんと、ですか?」

服装や髪型が、Y先生と同い年には見せていないのを強く感じたが、杉山先生も北田先生もそれを口には出さなかった。


「学生時代からあいつは裏切り者で……」

「ケンサン、美咲紀を送っていかないと……」

「あ、僕たちが送っていきますから」

杉山先生が間を置かずに答えた。

「……、そうですか」

奥さんは少し安心したような言い方をした。

「ええ、もう遅い時間ですから、僕たちもこれで失礼しますから」

その場にいた三人とも、うつむいた武村さんの目に光るものを感じていたのだ。


入り口に向かう二人の先生と教え子である山本さんに向かって武村さんが言った。

「そのうちにきっと、学校に適応できなくなる子どもたちがたくさん出てしまう。俺たちはそんな子どもたちのための学校を造りたいと思っている。『自由学校』『フリースタイルスクール』そんな名前にしたいところだ。そう遠くなく、絶対にそんな時代になるぞ!」

それは、武村さんの宣言のようでもあった。

 山本さんは靴箱からスニーカーを出して、丁寧に紐を結び直して履いた。学力的には高くないらしいが、何事にもきっちりとした取り組みをする子だった。


「武村先生って、何の教科を教えてるの?」

足早に先を歩く彼女に、杉山先生が声をかけた。

「国語と数学」

「わかりやすい?」

「声出して本読むことばっかり。あと、字を丁寧に書けって。漢字の練習いっぱいやってる」

「国語の先生なのか」

「社会が専門だって真知子先生言ってた」

「社会か……」

この子の担任のY先生も社会の先生だ。杉山先生も北田先生も、それ以上彼女に聞くことはやめた。三人は無言で歩いた。

 

山本さんを家まで送り届けたときには、もう10時に近い時間だった。忘れていた空腹の欲求に勝てずに、二人は近くのラーメン屋に飛び込んだ。

「餃子と……、チャーハン大盛り」

杉山先生が席に着くのも待てずに宣言するような口調で注文した。

「北田さんは、何にする?」

「俺は、コーンバター味噌ラーメンの大盛り」

「昼に食ったっしょ、ラーメン!」

「三食でも大丈夫です」

「そう。……学生の時、学食で何食ってた?」

「ラーメン」

「ラーメン」

二人は同時にそう言って笑った。

「あんたの結婚式の時さ、お祝いにラーメンどんぶり贈ってあげるよ」

「いいっすね。あの、夫婦茶碗みたいな、夫婦ラーメンどんぶりお願いします」

「お、いいねそれ!」

「でも、俺より杉山先生の方が先じゃないっすか?」

「いや。俺は一人の方が気楽でいいし、めんどくさいから結婚しないことにしたから」


やってきた「夕食」を二人はすごい勢いで胃袋に納めた。

「オフコースにさ、『僕らの時代』って曲あるんだ。『もうそれ以上ここに立ち止まらないで……』って、フレーズがあってさ、なんか気持ち動くんだよな……オフコース。いいよ」

杉山先生はあえてY先生の話題に触れようとしなかった。北田先生もその気持ちはよくわかった。それでも、週明けには必ず大きなことが動き出してしまうこともわかっていた。

「やっぱ、中島みゆきですよ。なんか人の生き方歌いこんでるでしょ!」

「いやいや、あんたねえ、中島みゆきっていくつさ。俺とたいして違わないでしょ? 何十年も何百年も生きてるわけじゃないっしょ!」

「いや、でも、良いものは、いい……」


若い先生二人では解決できないことはいっぱいあった。でもそれをなんとかしなければならない、という思いは人一倍あった。餃子とチャーハンも味噌バターコーンラーメンもすぐに二人の胃袋に消えてしまったが、このときの思いはいつまでも互いの中で消えることはなかった。


武村さんはその後、夫婦そろって東京へ越してしまった。彼が学校を開けたかどうかはわからない。だが、あのとき彼が予言したとおり、中学校でも小学校でも学校生活を送れない生徒達が増え、「フリースクール」と呼ばれる「学校」が幾つも生まれた。文科省も教育機関と認めざるを得なくなり、フリースクールへの登校が、学校への出席日数として計上できるまでになったのだ。彼、武村さんの予想通り、いや、危惧したとおりになったのだった。


子どもたちに「伝えるべきものを持った大人」として、学校の先生の存在感とその価値は、ますます薄れてしまったのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る