4ー4「奈落の番犬」

 背の高い樹々に陽光を遮られていて薄暗い、森の少し開けた場所に、一人の幼い少女――チヨハが倒れていた。

 そしてチヨハのすぐ側には、一匹の獣がいた。

 その獣は剣呑な眼差しで、僕たちを睨みながら低く唸っていた。


「コイツは……」


 一目見た瞬間、僕は思い出した。

 深緋色の瞳、鋭い牙と爪、蛇のような尻尾。

 額から伸びた、長く反った頑丈そうな二本の角。

 体長二メートル程ある、黒い毛皮を被ったこの獣は、以前僕を追いかけていた角狼と全く同じだった。


「ドドヴァル……」


 ヒャリナが震えた声で呟く。


「奈落の番犬――ドドヴァル……。水を忌避する、この島に少数生息している猛獣よ。私も今の今まで存在すら忘れていたわ……」


 ドドヴァル……。

 チヨハはまだ傷一つ付いておらず、気を失っているだけのようだけど、だからといってどうやって助けたらいいんだ……。

 対抗したところで死人が増えるだけなのが容易に想像できる。

 それならもういっそ僕の方におびき寄せてまた命懸けの追いかけっこをするか……?


「アトタっ! ミィを使うミルっ!」


 僕が頭を悩ませていると、頭の上から声が聞こえた。

 見ると、ミミィルが僕の肩からジャンプをしていた。


「――《ウヨリンサ》!」


 そう言った途端、空中のミミィルは一瞬全身が淡い光に包まれた。

 そして次の瞬間。

 頭上から僕の目の前に一本の剣が降ってきた。

 慌てて横向きの剣を両手で受け止める。

 

「うぉっと、――剣?」


 淡緑色の鞘に収められた、一・二メートル程の細身の剣。

 口なんてないが、剣――いや、ミミィルは言う。


『アトタ! ミィたちであいつをやっつけるミル!』


「え、僕たちがこいつを……!?」


 この獣――ドドヴァルを倒す……?

 そんなことできるのか……?

 ……いや、でも。

 今は僕たちに気を取られているドドヴァルも、いつ側にいるチヨハに襲い出すかもわからない。

 そう思うと、僕にはもうこれ以外の選択肢は残されていないのかもしれない。


 剣を鞘から抜くと、美しい銀色の両刃の刀身が姿を現した。

 左手に握っていた鞘は、淡い光と共にパッと霧散していった。

 柄を両手で力強く握る。


「あーもう! いくぜ、オラァアアア!!」


 僕は死に物狂いでドドヴァルに突っ込んだ。

 ドドヴァルも臆することなく咆哮して僕に襲い掛かってくる。

 キーン! と甲高い音を立てながら、剣と角が衝突する。

 この時僕は気が付いた。


「!? 何だか力が……!?」


 この剣を握っているからだろうか、明らかに身体能力が全体的に上がっている。

 今の衝突で僕は吹っ飛ばされることを覚悟したが、決して力負けしておらず、互角に押し合えている。


 鋭い牙で咬み潰そうとしてくる攻撃は素早く避け、角での突進は剣で受け流す。

 ドドヴァルの方も僕が全力で振った剣をその長く反った頑丈な角で防いでくる。

 そんな互いに一歩も引かない接戦を繰り広げていたのだが――


「グハッ!」


 僕はついに押し負けてしまい、後ろに吹っ飛ばされた。

 地面に背中を強打し、激痛が走る。


「う、うう……」


『大丈夫ミルか!?』


 思わず呻き声を漏らしていると、どうやら思っていた以上に吹っ飛ばされてしまっていたようで、すぐ近くの後方から声が聞こえた。


「アトタっ! ……そうだ……私が囮に……」


「――ダメだ!」


 ヒャリナが聞き捨てならないことを呟いていたので、僕は叫んだ。

 ヒャリナは焦燥した声で言い返す。


「何でよ!? 私の身体はどんなに傷ついてもすぐに治るのよ! あなたも知っているでしょ!?」


「――そういう問題じゃないだろ!」


「……!?」


 僕は怒鳴った。

 全身の激痛に耐えながらも声を絞り出す。


「……お前もみんなと同じ……人間なんだぞ……」


 身体を無理やり起こして立ち上がる。

 そして剣の柄を最大限の力で握り直す。


「すぐに治るからって……傷ついていい理由にはならない……。それにミミィルだって……そんなことをさせるために……お前にその能力チカラを与えたわけじゃないんだ……」


『アトタ……』


「……行くぞ、ミミィル」


 ドドヴァルがここぞとばかりに襲い迫ってくる。

 僕も剣を大きく振りかぶって、


「うぉおおおお――!!」


 ドドヴァルに負けじと突進した。

 そして。

 互いがぶつかりそうになる距離まで接近したと同時に、


「おりゃアアアアア!!」


 僕はドドヴァルの頭に剣を振り下ろした。

 ドドヴァルは今回も角で受け止めた――けれど。

 僕の刃はその角すらも砕き、そのまま本体を斬った。

 血を大量に吹き出したドドヴァルは断末魔を上げながらその場で倒れ、動かなくなった。

 それを見て、僕は安堵の息を漏らす。


「ふう、良かった……。僕だって無闇矢鱈に攻撃していたわけじゃないんだぞ……」


 斬撃を受け止められる度に、角が傷付いていることを察知していたのだ。

 剣を振る手を止めない限り、いつかはあの角を折ることが出来ると確信していた。

 そんなことを思っていると、僕の握っていた剣はまた淡い光に包まれて小柄な兎に姿を戻した。


「ナイスミル! アトタ!」


 ミミィルのグッドポーズに僕も笑顔でグッドポーズを返す。


「アトタっ!」


 ヒャリナが心配そうに駆けてくる。


「ん、ンン……」


 気を失っていたチヨハも目を覚ましたようだ。

 僕たちはこの子も村を襲撃(あくまで推測だが)された際、他の島民たちと同様の被害に遭ったとばかり思いこんでいたのが、実はその半日前――ヒャリナの小屋からの帰り際にはもう既に亡くなっていた……ということなのだろう。

 ……ということは未来が変わった?

 このことについてもっとミミィルやヒャリナと話し合いたいところだけど、当の本人であるチヨハの前で話すのはさすがに酷だろう。


 ともあれ。

 僕もこれといって怪我をせずに済み、誰も被害はでなかったわけだし、当初の目的地である村にチヨハも連れて向かうとしよう。

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