3ー5「終わり」

 ―― 1715年 4月29日 ――



 いつものように無心で、森で食料になる植物を採取した後、それの入った布袋を片手に握りながら帰路に就く。

 しばらく歩いた末に私の拠点である深山に潜む小さな山小屋が見えてくる。

 ここまでは、いつも通りの流れ作業。

 だがそこからは、いつもと違った。

 今日は小屋の前に、一人の少女がいた。

 少女は屈んで土の地面に絵を描いて遊んでいるようだった。

 その子は背後にいる私に気付いた途端、タッタッタッとこちらに寄ってきた。


「お姉ちゃん誰? こんなところで何してるの?」


 キョトンと小首を傾げながら訊いてくる彼女は、七、八歳くらいだろうか。

 パチッとした両眼と二つ結びにしているミディアムヘアが特徴的な少女は、何となく子犬のような可愛らしい印象を受けた。


 こんなところに人が来るなんてあの時以来だ。

 服装から見てもおそらく村からの迷子なのだろう。


「いや、私は……」


 突然のことに戸惑っていると少女は私の手を引っ張って、


「わたしはチヨハ! ねえお姉ちゃん、一緒に遊ぼうよ!」


 と、無邪気な笑みを見せた。



 ○



 チヨハと名乗った少女の事情を探るべく、私は彼女の遊び相手になることにした。

 基本、土の地面に小枝で一緒に絵を描いていただけだったのが、その際、色々な話を聞かせてもらった。

 自分は一人っ子だとか、一ヵ月前に母親が亡くなったとか、そして父親と喧嘩したとか――

 そんな話をしているとあっという間に二時間が経ち、時刻は午後二時となった。

 すると少女はそろそろ村に帰ると言って森の方に駆けて行った。

 確かにそっちの方向には村がある。

 となると迷子ではなかったようだ。

 父親と喧嘩したと話していたし、それでここまで偶然逃げてきたのだろう。


 まあもう会うことはないだろうが、本当に活気のある元気な子だった。



 ―― 1715年 4月30日 ――



 次の日も、チヨハは私のもとに現れた。


「お姉ちゃん遊ぼ―!」


 私は目を見開いた。

 まさかまた来るとは……、と最初に思った。

 けれど。

 もしかしたらまだ自分の家に居づらいのかもしれない。

 もしそうなら、私が少しくらい彼女の拠り所になってあげてもいいだろう。


 この日も私はチヨハの遊び相手になった。

 そして昨日と同様、夕方になる前には帰っていった。

 そして。


 ――次の日も。


「今日はこんなの持ってきたんだ!」


 ――その次の日も。


「おーい! ヒャリナお姉ちゃーん!」


 ――そのまた次の日も。


「あ、ヒャリナお姉ちゃん! ねえ、どうこのリボン! いいでしょ!」


 チヨハは私のもとに現れた。

 その際に聞いたのだが、父親とはもうとっくに仲直りしたそうだ。

 ならどうしてここに来るの? と尋ねたら、ヒャリナお姉ちゃんといるのは楽しいから、と言われた。

 どうやら私はこの子に懐かれたらしい。

 そして私も、彼女といるのは楽しかった――のだと思う。

 妹ができたみたいで、嬉しかった――のかもしれない。

 人と話すことで、長らく薄れていた感情が少しずつ、戻ってきているのを感じた。



 ―― 1715年 5月24日 ――



 午後二時、今日の別れ際。


「ヒャリナお姉ちゃんも村に来てよ!」


 突然、チヨハにそんなことを言われた。

 出会って一ヶ月、毎日顔を合わせているが、初めてのことだった。


 ――私が村に行く……?

 『村』という単語を聞いただけで体が微かにビクッと震えたのを感じた。

 私にとってあの場所は、精神的苦痛トラウマを幾度となく経験した故に、近寄りたくない――視界にすら入れたくない場所である。

 今でもあの頃の、あの時の悪夢を見てしまう。

 どれだけ時が過ぎようとも、私の本能が怖がっているのだ。


 けれど。

 チヨハは毎日村からこの深山の山小屋に来てくれているわけだし、待っているだけの私はそれに申し訳なさを感じている気持ちもあった。

 だから私は島民たちの起きてくる前、明け方にちょっとだけなら……という条件で――最初は難しい顔をしてしまったが、最終的に、


「わかったわ」


 と微笑んだ。

 それを聞いたチヨハはあどけない笑みを浮かべて、


「やったー! じゃあ明日、約束だよ!」


 と、私に手を振りながら森の方へと駆けて行った。

 本当に短い時間で申し訳ない……と思いつつも、その背中を見ながら控えめに手を振り返した。



 ―― 1715年 5月25日 ――



 今日は雨が降っていた。

 おそらく夜中からだと推測する。

 小雨なので特に気にする風でもなく、傘を差して予定通り目的地へと向かう。


 午前五時。

 外はまだ真っ暗だ。

 もうすぐ村に着く。

 少々早く出発し過ぎたと思ったが、約束に遅れるよりかはマシだろう。

 そんなことを考えていると、村が見えてきた。

 村も森と変わらず真っ暗だ。

 やはりまだ島民たちは寝ているのだろう。

 だが。

 私は違和感を覚えた。

 遠目に見ても村からは、何故だか不気味な雰囲気が漂っていたからだ。

 根拠は何一つとしてない。

 暗闇だから――雨が降っているから――まだ距離が離れているから――、それらが重なってそういう印象を受けているだけかもしれない。

 私は一抹の不安を抱えながら村の方に足を動かした。


 村の入り口である北の橋に到着。

 そして。

 その光景を見て、



 ――ガタンッ



 私は手の力が抜け、傘を落としてしまう。

 理解が全く追い付かない。


「……どう…………して………………?」


 呆然と呟いた理由は、単純だ。




 村が――滅びていた。




 民家は崩壊し、田畑は荒れ果て、牧場の家畜は全滅している。

 人の気配は微塵もしない。

 聞こえてくるのはザーザーと降りしきる雨の音だけ。

 灰色という言葉が似合うこの光景。

 これではまるで廃村だ。


 いつから……?

 と一瞬思ったが、チヨハは昨日まで何も言っていなかったから、昨日の今日にしてこうなったということだろう。

 が……そうだ。


「……チ……ヨハ…………」


 私は北の橋を渡り村に足を踏み入れた。

 思考が追い付かない故に、おぼつかない足どりで村の大通りを前進する。

 視界に映るもの全てが見ていられないほどに残酷な光景である。

 その間、人をただの一人として見かけなかったが、しばらく歩くと、


「ぅ……ぅぅ…………」


 微かに誰かが、苦しそうに呻る声が聞こえてきた。

 音の聞こえる方を見ると、そこには崩壊した建物の下敷きなっている一人の男がいた。

 男は頭から大量に出血しており、その血が顔中に垂れている。

 建物に埋もれている下半身の様子は想像もしたくない。


「ほ……他の人、たちは……?」


 震えた声で私が問うと、男は悶えるような痛々しい声で答えた。


「み……皆、殺されました…………。ア……アヤツの……アヤツらのせい……で……」


 言っている途中に男はバタンッと倒れて、そのまま微動だにしなくなった。

 反して私は足の先から頭の先まで全身が戦慄く。


「あ……あ……ああ…………」


 消えかけていた語彙力が完全に消滅する。

 三歩後ずさった末、恐怖というよりどん底まで絶望した、雨の音すらもかき消すような私の悲鳴が島中に響き渡った。

 そして。

 限界まで引っ張られていた糸が切れたように――、限界まで膨らました風船が割れたように――、七百年間傷つき、耐え続けた硝子がついに割れたように――

 雷に打たれたような激痛と共に、パチンッ――と突然悲鳴の止まった私はその場で倒れ込み、



 ――そのまま意識を失った。

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