3ー4「八十年分のごめんなさい」
八十年が過ぎたところで、村の建造物や雰囲気は何にも変わっていなかった。
無論、すれ違うのは全員見知らぬ人物だったが。
私はラベンダから貰ったローブを纏いフードを深く被り――それでもバレないかと不安だったのでフードの先を両手でぎゅっと下に引っ張って、目元を最大限隠している――、用心深くラベンダについて歩く。
「ここが私たちの家です……ってごめんなさい。それはヒャリナさんなら知ってますよね」
そうして辿り着いたのは、ラベンダの苦笑する通り勿論私は知っている、八十年経っても何ら変わっていない、レレーフォル家の屋敷。
玄関から中に入り、
「今は祖父以外留守にしています。さあ、こちらです」
廊下を歩き、そのまま数ある部屋の一室に案内された。
その部屋に辿り着いてすぐに気が付いたのだが、ここは昔、ギエの部屋だった場所だ。
フードを外して部屋に入って早々、私は足を止めてしまう。
ギエの時代から配置の変わっていない、部屋の端の寝床の布団。
そこには白髪と白髭を生やし、顔中に深い皺がある一人の細身の老人が横たわっていた。
そして私はすぐにその人物が誰か分かった。
レレーフォル家特有の色白い肌に柔和な顔立ち。
歳を取っても感じさせるその心優しそうな雰囲気と清潔感。
幼い頃の面影がしっかり残っている彼は、間違いなく私の弟――モカだ。
「モカ……」
しかし、本当に死期が間地かなのだろう。
身体は骨が浮き出るくらいやせ細ってしまっており、顔は青白い。
耳を澄ますと弱弱しい呼吸も聞こえてくる。
目を閉じていて今は寝ているのだろうがラベンダの言う通り、本当にいつ永眠してもおかしくない。
私はモカの布団の側に寄ってやおら正座する。
とはいえ近づいたものの、もう会うことのないと思っていた弟との八十年ぶりの再会に静かながら気持ちが混乱する。
きっと今の私は物凄く沈んだ面持ちをしているだろう。
自分の体が震えているのが分かる。
そして私はその原因に気が付いた。
――私は怖いのだ。
八十年も会っていなかった私にそんなこと思う資格はないのかもしれないけれど、この目で現状を把握し実感してきた今、弟の死が怖いのだ。
「モカ……」
目を閉じて、涙ぐみながらも呟いた――時だった。
「…………ねぇ…………さ……ん…………?」
布団の方から微かに、弱弱しい声が聞こえてきた。
「!? モカっ! 私起こしてしまっ――」
私が慌てて言おうとすると、モカは変わらずの儚げな声で、
「……ごめ…………」
「……?」
「……ごめ……ん、な……さい…………」
と、言った。
モカは私の目を見て、無理やり声を絞り出す。
「ぼ……僕、姉さんが村のみんなから酷いこと言われてるの、知って……たんだ……。でも、姉さんは……みんなの言うような悪い人じゃ……ないし……むしろ優しくて、良い人なのを……僕は、わかっ……てた…………」
それは心の底から――悲しげに。
「だ……だから……あのとき……姉さんを励ましたいが一心で……、苦しんでいる姉さんの気持ちも考えずに……、羨ましいとか、言ってしま、って…………」
それは心の底から――悔しげに。
「僕だけは、絶対に……、絶対に姉さんの味方でいようと……、決めていた……のに……。むしろ……僕のせいで……弟の僕が、追い打ちをかけるようなことを言ったせい、で…………」
その声には、自責の念が詰まっていて。
「……姉さん、は……、……村を離れたきり……、……帰ってこなかっ、た…………」
小さく唇を嚙んでいる弟の頬を伝うのは、一滴の涙。
そして続く言葉は、この八十年ずっと後悔が積み重ねられてきたかのように――ずっしりと重かった。
「だ……から、本当に、……ごめん……なさい…………」
言い終わるとモカは「でも……」と呟きながら表情を少し緩めて、私の目を見て、瘦せこけた頬で――優しく微笑んだ。
その時のモカは今日一番、子供の頃の面影を感じた。
「……最期に……会えて……、良かっ……た…………」
口を閉じると同時に、彼は再び目を瞑った。
沈黙が訪れても、呼吸の音は聞こえない。
「おじいちゃん!? おじいちゃんっ!? た、大変、すぐに医者の方を呼んで参りますっ!」
そう言って先程まで部屋の入り口で私たちを見守りながら涙していたラベンダは、外に駆けて行った。
再び流れる静寂。
それを破ったのは、
「そんな……そんなこと……」
私だった。
頭が真っ白になる。
今の私は、言葉がうまく話せないくらい、震えている。
「私は……一つも……あなたのせいじゃ…………」
あなたは一つも悪くないのに……。
あなたのせいで村を去ったわけじゃないのに……。
純粋なモカはあの時私が咄嗟についた「そのうち戻ってくる」という嘘を信じてくれたが故に、そのあと自分が言い放った言葉のせいでそのまま戻ってこなくなってしまったと勘違いしてしまって……。
私があの時限り弟の悲しい顔を見たくなくて嘘をついてしまったがために……。
八十年もの間、何も悪くない弟に罪悪感を抱えさせてしまって……。
私はあの時モカが放った言葉なんて、一つも気にしていないのに……。
それどころか、私はあなたに相談すらせずに、あなたの気持ちも聞かずに逃げ出してしまって……。
「むしろ……私の方こそ…………」
モカの骨張った冷たい手を優しく握って、私の額に持ってくる。
弟と同じように目を瞑っても、私の目から溢れる雫が止まることはなかった。
「……ごめんな……さい…………」
○
数日後。
ラベンダからモカの訃報が届いた。
どうやらと言うよりやはり、モカはこの村の村長をやっていたらしく、そのためか今回の件は瞬く間に広まった。
私はその後、ラベンダと共に村の中にモカの墓を作り、葬った。
その際、
「今後、ヒャリナさんはどうされるのですか?」
と、ラベンダに内気に問われた。
「私がここにいると、また自分のせいで誰かが不幸になってしまう……。私はあの深山に戻ることにするわ。――きっと、その方が良いもの」
そう自嘲気味に苦笑すると、ラベンダは悲しそうに返事をした。
「そう、ですか……」
そうして私はラベンダと別れ、この山に――山小屋に戻ってきた。
もう今後、あの村に行くことはないだろう。
あそこに私の居場所はもうすでにないし、私が居ても本当に良いことなんて一つもない。
そう改めて思うと私は本当に、災いをもたらす化け物なのかもしれない。
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