3ー3「内気な来訪者」

 ―― 1100年 4月11日 ――



 この日、私の隠れ住んでいる山小屋に一人の女性が現れた。


「あなたが、ヒャリナさん……?」


 華奢で端正な顔立ちをした彼女からは、こちらに怯えているのとはまた違う、内気な雰囲気がした。

 年齢はニ十歳前後といったところか。

 

「……ええ」


 誰だろう?

 でも初対面のはずなのに、なぜかそんな感じはしなかった。

 というか、私の名前を知っている時点であまりいい予感はしない。


「あの――」


 私が尋ねようとしたところで、彼女は俯いてしまう。

 と、思ったら両手で顔を隠して口を開いた。


「やっと……」


 女性は今にも涙を流しそうな声で言う。

 

「やっと、会えました……! これで、ようやくおじいちゃんは……グスっ……」


 ああ、泣き出してしまった……。

 なぜか感極まっているようだけどこっちにはさっぱり理解が追い付かない。


「あの……あなたは……?」


「……ああ、ごめんなさい……一人で勝手に……」


 言いながら、女性はかけていた鞄から取り出したハンカチで涙を拭って、私と目を合わせる。


「申し遅れました……。……私は、ラベンダ・ニス・ヘイアル・と申します……グスっ……」



 ○



「モカはわたしのおじいちゃ……祖父なのです。ですからわたしはその孫ということになります」


 山道を歩きながらラベンダは告げる。


「孫……」


 正直、名前を聞いた時点でそんな気はしていた。

 ラベンダを初めて見た時、初対面だと思えなかったのは彼女の顔がどことなく亡き母に似ているからだとここで合点がいく。


「……それで、どうしてあなたは私を探していたの?」


 私が尋ねるとラベンダは、言いづらそうに、悲しそうに、答える。


「それが……実は、祖父はもともと自身の年齢もあって心身共に衰弱しており大分弱っていたのですが、つい一週間ほど前からそれが急激に悪化してしまい……今はいつ息を引き取ってもおかしくない、と医者に告げらてしまいまして……」


「……そう、モカが……」


 私が村を離れた時点でのモカの年齢は十歳。

 それからラベンダに聞いたところおおよそ八十年が経ったということなので、つまり今のモカの年齢は九十歳。

 以前のように病とかではなく、ラベンダの言う通り、単純に老衰……寿命で、死期が迫っているのだろう。


「それを聞いたわたしは、自分に何かできることはないかと考えていたのですが、ふとその時、祖父が常日頃口に出していた姉、ヒャリナさんのことを思い出しまして……」

 

「モカが私の名を……?」


「はい。祖父はずっとあなたに会いたいと話していました。ですからわたしはどうしても最期に一度だけでもお二人に直接会って欲しくて、ヒャリナさんを探していたのです」


 モカが私に会いたい?

 どうしてだろう?

 ……そうだ。

 やはりあの時、村を出ていったきり帰ってこなかった私に怒っているのだろう……。

 きっとそうに違いない。

 本当に本当に申し訳ない……。


 というか。

 ラベンダに言われるがままついてきたけれど、まさか……。


「それじゃあ今は村に向かっているの……?」


 私は足を止めてしまう。

 するとラベンダも私と同じように足を止め、視線をそらして申し訳なさそうに言った。


「……はい、そうです……。ごめんなさい、先に行き先を伝えるともしかしたらヒャリナさん嫌がるかもしれないと思ってしまい、黙っていました……。――けれど、祖父に残された時間が少ない今、一刻でも早くお二方には顔を合わせて欲しいのです……ッ!」


「でも……」


 勝手に家から出て行って、八十年もの間行方をくらましていたのだから、モカに咎められてもそれは当然のことだと受け止める(いや、むしろそうされることで自分の罪悪感が少しでも軽くなるかもと心のどこかで願っているだけかもしれないが……)。

 でもやっぱり、まだ村の住民たちが私の存在を覚えていたら……、今でも忌避されていたら……、なんて思うとあの頃の記憶が鮮明に蘇ってしまって、村に戻るのは正直物凄く怖い……。


 そんな私の気持ちを察したように、ラベンダは相変わらずの内気な感じで話し出す。


「……村でヒャリナさんのことを実見したことのある者は、勿論祖父の代までしかおりません。……けれども、遺憾ながら未だヒャリナさんの話は語り継がれております……。最近やっとその手の噂も減ってきている傾向にはあるようですが……」


 彼女は肩にかけていた鞄の中を探り出した。


「なのでもしよろしければ、ヒャリナさんにこれを――」


 そう言ってラベンダは、私に茶色いローブを差し出した。

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