3ー2「そう、それは」

 ――そして。

 二日後、大樹の下。

 今に至る――というわけだ。


 文字通り村から追い出された私は、あてどなく島中を彷徨った末――この村から離れた深山の山頂に行きついた。

 鬱蒼とした森を抜けないと辿り着けないこの場所は、平地で開けているが、見えるのはこの樹齢三千年ほどありそうな今は落葉している大樹だけと実に殺風景。


 どうしてこんな何もないところに来たのかというと、この山頂へはまだモカが生まれていない頃に一度、両親に連れてこられたことがあったからだ。

 私と亡き父母しか知らないこの場所なら、何か、何かしらこの冬を乗り切れるものがあるかもしれないと思ったのだが、まあそれはとんだ当て外れだった……ということになる。


 ずっとここにいてもしょうがないと思った私は村を出るときに持ってきた、今現在まで傍らに置いておいた剣、《ウヨリンサ》を両手で抱え、立ち上がる。

 そして猛吹雪に押し倒されそうになる中、深く積もった雪の足場をふらつきながらも、大樹の裏側――崖端の木柵の前までまわる。


 そういえば記憶が正しければ、この場所から見える景色は見晴らしが良かった気もするが……今は吹雪で視界が悪く、それも見えない。

 ふと、私は昔この場所で父母に言われた言葉を思い出した。



 ――ほらヒャリナ、ど~だこの頂は! 恐らく父さんたちが一番最初に見つけたのだぞ! 何だかワクワクするだろう! はっはー!


 ――ふふふ。あなた、声が大きいですよ。


 ――ス、スマン……。だが、ヒャリナが泣き止まぬ……。なあヒャリナよ。ここへ辿り着くまでの途中に雨が降ってきたことは残念だったが、今は止んでいるのだから、それで良いではないか。


 ――ヒャリナ。毎日生きていると、どうしても苦難や困難に直面し、つい悲観的になってしまう状況が必ずしも訪れます。ですが、ずっとそのままというわけではありません。艱難辛苦を乗り越えた先には、いずれ、幸福が訪れることでしょう――



 普通の人間なら、もうとっくに凍死しているであろうこの状況。

 だが、私は不死身の肉体のおかげで死なない。

 けれども、皮膚感覚――冷覚、温覚、痛覚などは一般人通り――ある。

 だから今はただひたすらに、寒い。

 いや、それを通り越して、痛い。

 こんな生き地獄が続くならいっそここから飛び降りて、死にたい。

 でも、死ねない。

 それどころか、老いることもない。


 ――死なない。

 ――死にたい。

 ――死ねない。


 だが、こうなったのは、誰のせいでもない。

 強いて言うならば、ただ私には、理解が足りていなかった、覚悟が足りていなかった。

 それだけのこと。


 私は肉体的にも、精神的にも、限界だった。

 苦痛に耐えるように下唇を噛み締める私の顔には、十年ぶりに一滴の涙がこぼれていた。



 ○



 ――そして、それから。


 あの日から一週間、私はほぼ意識のない状態のまま、同じ山を彷徨った。

 その末ようやく、山の中腹に、今は使われていない小さな山小屋を見つけた。

 もとは物置か何かであったであろうこの廃屋は、とてもじゃないが人が住めるとは思えない。

 だがその遮蔽で何とか吹雪は防げそうだと判断し、私はその小屋に居座らせてもらうことにした。

 そして。

 私はそこで冬を乗り切り――春を迎えた。

 

 その間に大分正常な意識を取り戻した私の――その後。

 その後のことも、少し話そうと思う。


 私は孤立したが故に自給自足の生活を余儀なくされた。

 それは初めてのことで不慣れな点ばかりだったが、死なない肉体の効果を最大限に活用し、その生活は思いのほか順調にいった。

 小屋を修繕して何とか人が住める程度にし、食べられる植物を採取したり育てたり、時には野生動物を狩ったりして食糧問題を乗り越え――最悪食事はいらないのだが、以前冬を乗り切った際、空腹の限界が続く状況は想像を絶するほど辛いことを知ったため食事は最低限摂るようにしている――不自由ではあるが、それなりに生活は成り立っていた。

 成り立っていた――けれど。


 その間、私には――何もなかった。


 不変的な、ただ虚しさだけの積もる日々。

 弟を実質人質に取られ、これは致し方ない行為ではあったのかもしれないけれど、それでも彼のもとを勝手に離れた自分に果てなく積もり続ける『罪悪感』――孤独の寂しさなんて疾うに何も感じなくなった私に今残された感情は、もはやそれくらいだった。


 冬に葉を落とした大樹が春に新しい芽を出して――

 夏にかけて鮮やかな緑の葉が一斉に茂り――

 秋には枯れ――冬になるとまた葉を落とす。

 そしてまた春が訪れて――新しい芽が生まれてくる。

 その繰り返しをもう何度見たことか。

 下手に出歩いて、島民や凶暴な野獣に遭遇してしまうわけにもいかないので、この山から離れることもできない。

 何かを期待しているわけでもないけれど、これが後続く年月を考えると、どうしても倦んでしまう。


 ――そのような。

 特に変化のない、意味のない、ただ有り余る時間を消化するだけの日々が流れ続けた結果、、この時の私はまだ、気付いていなかった――

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