2ー4「私と兎」

 でも……、とミミィルはまたもや言いづらそうに口を紡ぐ。


「もう、さっきから何なのよ。言っとくけどこの病は村の医者たちでも治せなかったのよ。そう簡単にどうにかなるような問題ではないの」


 先程警告した通り、実際もう滝までの距離はほとんどない。

 ミミィルもこの儀式に巻き込まれてしまうかもしれないという焦りから、つい語気が強くなってしまう。

 

 私の言葉を聞いたミミィルは何かの躊躇を諦めたかのように、はあ……、と深くため息を吐いた。

 そして自分の小さな右腕を、手の平が上に向くようにして、私の前に伸ばした。

 するとその上に何処からともなく――『黒紫色の小さな球体』が現れた。

 それはどういう仕組みだか、ミミィルの手の平から二センチほど浮いている。


「これは、千世録せんせろく――《ギミルマ》っていうミル。これをヒャリナが食べればその病から、島の危機を救えるかもしれないミル」


 言いながら次は左手も前に出し球体の乗っている右手に自然に繋げ、両掌で器のような形を作った。

 その動作中、右手にあったはずの球体がこれまた自然に繋げられた両掌の中央に移動している。

 まあ、それはともあれ。

 どうやら、ミミィルには本当に案があるらしいけれど――


「……何よ、それ。気味が悪いわね……」


 私はその球体を見た直球な感想を述べる。

 ミミィルの手の平に収まる程度の小さな小さなそれは、禍々しい邪悪なオーラが溢れ出ている。

 不気味だ、と思った。

 よく見ると、先程までうっすらと紫がかっていたミミィルの右手の葉っぱ模様がなくなっている。

 これは、そこに収められていた『』を取り出したという解釈でいいのだろうか?


「これを食べた人の身体の一部……爪でも髪でも血でも何でも構わないミル。それを混ぜて作った薬は、この世に存在する病や怪我のほとんどを治すことができるミル。勿論、この島の病もおんなじミル」


 私は、ふーん、と眉をひそめ、じろりとミミィルのことを睨む。


「……ものすごーく訝しい話ね」


 正直、私が最初に感じたのは、不信感だった。

 この球体を食べる?

 毒……いや、以上に呪われそうだ。

 と、そんなことを思った。

 ――けれど。

 そのミミィルの表情は、何一つ嘘をついているようには見えなかった。

 なので私は、ミミィルの続く話を真剣に聞いてみる。


「……でも、この方法には、代償が伴うミル……」


「代償?」


 ――代償。

 それは、対価でもあり、犠牲でもある。

 《へブカランガ》も――同様だ。

 島を救ってもらうため、生贄――そう、言ってしまえば代償として生身の人間を捧げるのだから。

 そして私は、信仰もしていないのに《へブカランガ》に選ばれた身としては、他の島民以上に『代償』という言葉に対して悪い印象を持っているし、かなり重く捉えている節がある。

 故に、私はミミィルの続く話を覚悟した。

 けれど、そんな私の想定とは裏腹に。


「これを食べた人は怪我や病気がすぐに治る体質になる代わりに、その時点で身体の成長が完全に止まっちゃうミル……。しかもその期間は――千年もミル……」


 ミミィルの言う代償は想定外のものだった。

 私の頭に疑問符が浮かぶ。


「? 千年間身体の成長が止まる? つまりその間、不老不死ってことじゃない」

 

「……ミル、そうミル。ホントに困った能力ミルよね……」


 ミミィルが肯定したことで、私の疑問は深まるばかり。

 私は思ったことをそのまま口にしてみる。


「いや、そういうことではなく、それのどこが代償なのよ。むしろ、誰もが一度は望むことじゃないの」


 死への恐怖からの解放は、誰もが望んでいることだ。

 永久的ではないものの、『千年』も生きられるというのは、相当喜ばしい内容である。

 都合のいい話過ぎて、却って不審になりそうだ。


「……まあ、確かに……そうミルね……」


 ミミィルはなぜか歯切れが悪い。

 まるで何か不安要素があるかのように。


「…………」


 いささかお互いの沈黙が流れる。

 そこでミミィルが話を戻す。


「さて、どうするミル? ミィの話を信じてくれるミル? 食べるか食べないかを決めるのはヒャリナ自身ミル……ってウギャアアッ!」


 言いながらミミィルが後ろに振り向いた先――小舟の進行方向に見えたのは、残り二十メートル程まで迫っていた大滝の滝口。

 どうやら、遂にこの時が来てしまったようだ。


「ヤバいミルヤバいミルヤバいミルっ! ヒャリナ、どうするミル!?」


 人間とは自分よりも焦っている人間を見たら逆に落ち着けるというもので(いや、ミミィルは『人間』ではないのだけれど)。

 「ヒャリナァァァァッ!!」とミミィルが泣き叫ぶ中、私は冷静に思考する。


「そうね、あなたが嘘をついているようには見えないし……」


 連続して目の当たりにした非現実的な現実。

 加え、ミミィルのただ純粋に私のことを心配してくれている瞳見た以上、この話の信憑性は高く思えてくる。

 本当にいるのかも定かではない――神。

 目の前にいる、尚且つ明確にその方法を語る――兎。

 どちらに賭けた方がいいかなんて一目瞭然である。

 特に義理のないミミィルの善意に頼ることになるが、この千載一遇の機会、逃すわけにはいかない。

 私はミミィルの目を見て真剣に――告げる。


「いいじゃない。あなたの話、信じるわよ。それ――いただいてもいいかしら」


 焦燥に駆られていたミミィルは、待ってましたと言わんばかりに表情がぱあっと明るくなった。

 それでも、滝まで時間がないのには変わりない。

 ミミィルは補足するようにあどけなく早口で言った。


「了解ミル! あっ、ちなみにこれからの千年間、ミィは千眠の《ウヨリンサ》って状態になるミルからミィのことは気にしなくてもいいミルよ!」


 言葉の理解が全く追い付かない……そんな私を待ったなしでミミィルは最後に、ミミィルらしい快活な口調で千世の別れを告げる。


「――それじゃ、また千年後ミル! バイバイミル!」


 言い終わると同時に、ミミィルの手の平にあった球体が何の前触れもなく私の口目掛けて、吸い込まれるように飛び込んできた。


「ぐはっっ!」


 かなりのスピードに乗せられた球体が反応する隙もなく私の口の中に直撃した。

 そのため私は一瞬、目玉が飛び出そうになるほど悶えてしまう。

 口に入ってきた球体は特に味がある訳でもないが、想像以上に柔らかく何だかとても気持ちが悪い。

 私は目を瞑って無理やりそれをごくりと飲み込んだ。


 そして、私は再び目を開けた。

 その時にはもう、同じ小舟に乗っていたはずのミミィルの姿はなく、代わりに乗っていたのは淡緑色の鞘に収められた一本の剣だけ。

 いや、状況から考えて、ミミィルがこの剣に姿を変えた……?

 そんなことを深く考えている暇もなく私が正面を向くと、すでに滝までの距離は三メートルを切っていた。


「…………」


 私は再び目を閉じた。

 私はとても冷静だった。

 死を悟ったわけではない。

 ついさっき出会ったばかり且つ、素性の全く分からないミミィルと名乗る未知の兎。

 そんな謎の存在の嘘のような……けれど、きっと嘘じゃないであろう話を私は信じることにしたからだ。

 これからの人生自分がどうなるのかなんて考えている暇はない。

 私はただモカの無事だけを祈りながら――滝に落ちた。

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