2ー2「空疎」
―― 1015年 5月24日 ――
「本当にすまない、ヒャリナ……。けれど、これも島のためなんだ……」
私の正座している小舟のロープを解きながら、心の底悔しそうに言う島民。
「私の命一つでたくさんの人が救われるのでしょ? それなら、あなたが気にすることではないわ」
この人に余計な罪悪感を与えてしまわないよう、私は微笑む。
けれど、きっと今の自分の目は笑えていないし、顔もどこか曇っていることだろう。
「…………」
川岸に十人程集う島民。
その一人が天を仰ぎながら、呪文のようなものを淡々と唱え出した。
その間に私は事前に指示されていた通り、目を閉じる。
どうやらこれから先、滝から落ちるまで、この目を開けてはいけないらしい。
瞼越しでも陽の光を感じるとはいえ視界を奪われるというのは、やはり、不安だった。
先程声をかけてきた島民が瓢箪を私の頭上に持ってきて――そのまま中身である酒を私にかける。
そして私はそれを全く動じず受け止める。
これには自身の身をさらに清くし、少しでも神に失礼のないようにする効果があるのだとか――
それが終わり少しすると儀式の準備が終わったらしく、私一人乗っている小舟がロープから解き放たれ――川の流れに従い、進み始めた。
ゆらゆらと、川の中間を流される。
時間が経つにつれて、滝へと近づいていく――否、死へと近づいていくのを実感する私であった。
――昨日。
私は、自分が《へブカランガ》に選ばれたことを告げられた。
その話をされた時、それは勿論、戸惑った。
でも、その後――承諾した。
モカには黙って――、島民たちに弟のことは託して――、この場に来た。
けれど、実際のところ。
私はこの島の住民にしては珍しく、島民たちの神に対する思想に、特に関心があるわけではなかった。
とはいえ、特別否定的な意見を持っているわけでもない。
言うならば――中立。
肯定しているわけでもなければ、否定しているわけでもない。
そんな立ち位置を私は保っていたのだ。
私が周囲と違ってそんな考え方になった理由は、いかなる場合でも神の名を口にしていたギエが身近にいたことが大きいのだろう。
私は自分でも気付かぬうちに、毎度毎度同じようなことを語るギエに対して、少しながらも嫌気がさしていたのかもしれない。
故に、この儀式の存在を、私は昔からギエに教えられていた。
同時に、この儀式はもう数百年行われていないとも聞いていた。
けれど、まさか、自分が生きている間に行われるとは――いや、それ以上に、自分が選ばれるとは、思いもしていなかった。
――しばらくが過ぎ。
出発地点からも大分距離が離れた。
川岸に集まっていた島民たちから見ても、おそらくもう私の乗っている小舟を視認できないくらい、遠くに来てしまった。
「はぁ……」
死に対する恐怖……と、いうよりは、うんざりとした――呆れまじりのため息が漏れる。
よりにもよって唯一、神を信仰していない私が選ばれるとは何とも皮肉な話ね、と心の中で自嘲する。
ドリカーデを信仰していなかった自分に罰が下った。
まさに――天罰、天誅。
そんな気がした。
――その時だった。
小舟の足元から――
――ふぁーぁぁ……
「……むにゃむにゃ…………ふぁぁ~あぁ……。……あーあ、ま~た寝すぎちゃったミル……。ミィはどれくらい寝て――」
その中性的な高い声に、私は反射的に目を開けてしまう。
そして、
「――!?」
頭から伸びた二つの長耳。
ちょこんとついている小さくて真ん丸な尻尾。
つぶらな碧い瞳と、うっすらと紫がかった右手と左手の葉っぱの模様。
淡緑色の毛皮を被った二足歩行の小柄な『兎』が――そこにいた。
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