第13話
私は産後1ヶ月で仕事復帰した。
在宅万歳だ。
ネット通販、在宅ワーク、ベビーシッター。
この世の中は何て便利なんだろう。
私はそろそろ離婚後に住むアパートを探したいと思っている。
夫の浮気で離婚したとしても、不貞が親権に大きく影響するわけではない。
重要なのは子供にとって優れた養育環境の提供だ。
離婚後私に継続した給与所得があるのか、生活環境は整っているのか、近くにサポートしてくれる人はいるのか。
着実に足場を固めていかなければならない。
雄太が3ヶ月になって、やっと外出ができるようになった。
新生児の頃は気を遣う事も多いから、買い物以外は外に出る事を避けていた。
久しぶりに川崎夫婦の喫茶店へ行く約束をした。
「3ヶ月よね、凄いわ可愛い。いつでも雄太君を預かるから遠慮しないで言ってね」
川崎さんは雄太を初孫のように可愛がってくれている。
彼らは、私が離婚したら育児や家事のサポートすると申し出てくれた。
それを聞いて私はこのビルの一室を借りることにした。
このビルのオーナーで探偵の田所さんとも密に連絡を取っている。
今日は正式に夫の不倫調査の依頼をする為、田所さんの事務所で話をする。
「カーナビとボイスレコーダー。浮気相手のマンションに出入りする写真。これだけでも十分浮気の証拠になるよ。ホテルの領収書にレストランやバーのレシート。本郷さんうちの探偵になる気はない?」
「ふふふ。その手もありますね。けれど、浮気の慰謝料請求を目標にしている訳ではないんです。離婚は必ずするんですが、それより夫に子どもの親権を奪われたくない。雄太を絶対に渡したくはないので、裁判になっても勝てるような材料が欲しいんです」
「わかった。そこにポイントを置くんだね」
「はい」
田所さんは離婚歴があるらしい。37歳で私より10歳上だ。
ドラマに出てくるようなかっこいい探偵とは違って、どちらかというと庶民派っぽい雰囲気の人だった。
昭和レトロを彷彿とさせる室内は、雑に書類が山積みになっていて、圧迫感がある。お世辞にも綺麗と言えない事務所は依頼者を萎縮させること間違いなしといった感じだ。
「ここもさ、もう改修工事が始まるだろ。だから片付けなくてもいいかなと思って」
室内を興味深く見ている私の意図を読み取ったのか、言い訳っぽく説明した。
「いえ、いる物といらない物をきちんと整理しなければ、新しい事務所になっても片付きませんよ」
「それをしてくれる事務員さんを募集してるんだけど、応募してくる人がいなんだよ」
流石にこの荒れ果てた事務所の整理を素人に頼むのは無理だと思う。
多分捨ててはいけない資料がたくさんあるだろうし、重要な物と不要な物の区別が大変だ。
「全部パソコンのファイルに入れて、出し入れしやすい状態にすべきですね。無限の時間がかかりそうですが」
「そうなんだよね……美鈴ちゃんやってくれない?」
「いや……私、子どもがいますし。在宅じゃないと仕事ができないので無理です」
「以前は商社勤務だったよね?美鈴ちゃんパソコンは使えるよね?」
「できますけど。通勤が無理ですし、拘束時間も制限があります。子育てしながら8時間の勤務も無理です」
田所さんは何か考えているようだった。
「それじゃぁさ、段ボールに入っている資料を、家でパソコンに落としていくって作業できない?社員として雇用する」
「社員ですか」
「荷物は俺が家まで車で持っていく。距離的に車で20分くらいなら近い。で、入力ができたら家まで取りに行く。空いた時間でやってくれたら構わないし」
正社員……
その言葉に食指が動く。
英会話講師の給料は月15万ほどだ。これをずっと続ければ雄一さんの扶養を抜けなければならない金額。けれど一人で生活していくには足りない月収。
「少し考えてもいいですか?もしよければ、試しに資料を持ち帰って整理してみます」
「マジか!それならやってみて。無理にとは言わないけど、ここのフロアー賃貸契約してくれるんだから、福利厚生で家賃補助出す」
田所さんは嬉しそうに笑顔を見せた。
笑うと目じりが下がる親しみやすい顔は好感が持てる。田所さんは商店街の奥様達から人気があると聞いた。
「まだ、できるかどうか分かりませんから、試しに少しだけ仕事を頂くという事でいいですか?」
「ぜんぜんOK。なんなら子供手当も出すよ、前向きに考えて下さい」
今日は夫の浮気調査の依頼できたのに、なんだか話が違う方向へと進んでしまった。
その後、田所さんは、お試し仕事の段ボールを車に乗せて、雄太と私を家まで送ってくれた。
私はこのビルの2階の一室を賃貸する契約をしていた。
改修工事がまだだったので、住居として使えるようにリフォームしてくれるそうだ。
駅前で立地が良く、近くに保育所や学童もある。小学校まで徒歩で15分。
裏には公園があり、駅前に交番もある。
何より川崎夫婦のお店が1階にある。
申し分ない条件の住まいだった。
住めるようになるまで1年はかかるらしいけど、それくらいは十分待てるし、賃貸料がその間発生しないので問題ない。
私は新しい生活に向けて着々と準備を始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。