第6話
あれから2年が経った。
夫から大事な話があると言われて覚悟していた。
「君もわかっていただろうけど、俺には他に愛する人がいるんだ」
この時が来たかと思った。
前回の記憶通り、私は第2子の美玖を身ごもり出産した。
そして雄一さんは美玖を妊娠してからも、河合愛梨との関係を続けていた。
「ええ……もう4年目でしょうか?」
夫は思いがけない返答だったのか、すぐに言葉が出ないようだった。
浮気の証拠はファイリングしてある。
私はそれを取りに行った。もう4冊にもなっていた。
「離婚して欲しい。い慰謝料は払う。親権は俺が取る」
「離婚はしませんので、親権は渡しません。精神的な苦痛をつぐなうためのお金として河合愛梨さんに慰謝料を請求します」
私はそう言って浮気の証拠を夫に突き付けた。
夫は苦い顔でそれを見た。
「そういうことか……」
「私は雄一さんの妻としてちゃんと務めを果たしてきました。育児も一人でこなしました。貴方に文句を言った事もありません。家事も完璧にしていました。私に落ち度はありません」
「……」
「雄一さんは、不貞を行ったので有責配偶者です。夫からの離婚請求は認められません」
「君は弁護士を付けているのか?」
「いいえ。けれど、探偵に頼んで証拠を集めてもらいました。第三者からですので証拠能力があります」
夫は深いため息をついた。
「そこまで調べていたんだな」
「まずは浮気相手と別れて下さい、そして浮気を繰り返さないように誓約書を……」
「気がついていないかもしれないが、君は散財しすぎている。生活費の補填などでは済まされない額を浪費している。だから家族カードは止めさせてもらう」
「……え?」
「弁護士や探偵に支払う金はもうないぞ。君は妻失格だ」
何を言っているの?
「この先、稼ぎのない美鈴が子供を育てられるはずがない」
「だから、それは……」
「親権を放棄して離婚に同意すれば慰謝料を支払う。今まで自分がいくら使ったか分かっているのか?」
「それは調査費用だから、浮気をした人が支払うべきお金です」
「毎年、生活費以外に数百万。俺の稼ぎから出しているよな?」
「それは……」
夫として生活費を渡すのは当たり前だし、子どもを育てるために必要なお金だって夫が出すのは当然だ。
探偵の費用は、浮気の調査のためだったから夫が支払うものだ。
「裁判をしてもいいけど、美鈴は弁護士を雇える金がないだろう?それにカードを止めたら、これから子どもにどうやって食事を与える?今までの君の散財は離婚理由として認められる。生活能力のない妻に、子供の親権は渡せない」
どういうことなの?
◇
雄一さんは使用料も自分が出していると言って、私からスマホを取り上げた。
私は自分の貯金を全て使い果たしていた。
食べ物を買うお金もない。
「子供を飢えさせるつもりですか!そんな事をしていいと思っているの?経済DVよ」
「訴えればいい。どこかで無料の弁護士相談もやっているだろう」
「あなたが河合愛梨と別れてくれさえすれば、裁判なんてしなくていいのよ」
「俺は愛梨を愛しているし、俺が別れるのは君とだ」
「河合愛梨は子どもが産めないのよ!中絶による感染症で妊娠できない体になったの。それをあなたは知っているでしょう」
夫はテーブルをドンと叩いて私に怒りの目を向けた。
「そんな事は知っている!君は人の不幸を盾に俺の愛を得ようとするのか?彼女は過去の過ちにより子が産めない体になってしまった。その事実も全てひっくるめて、俺は愛梨を愛している!」
衝撃だった。彼は中絶を繰り返した河合愛梨を愛していると言った。その事実までも許容できるほど彼女を愛していると。
もう終わりだと思った。
私は夫に愛されていなかった。
もう家族を取り戻すことは無理なんだ。
気付くのが遅すぎた。私は失敗した。
せめて子供たちの親権だけは夫に渡したくないと願った。
雄一さんと河合愛梨が自分達の子として雄太と美玖を育てるなんて許せない。
「お願い……私が育てる。離婚しても構わないから、離婚には応じるから。子供達だけは取り上げないで」
夫に泣いて縋った。もう二度と無駄なお金は使わないから子供と一緒にいさせてほしいと土下座した。
離婚しても、お金はこれから自分で働いてなんとかする。
ひとり親世帯の補助金もあるだろう。
だから……
「子供だけは、渡したくないの。あの子たちは私の全てなの……お願い」
「裁判で戦う事になる。君がやろうとしているのは、子どもたちを飢えさせ、虐待まがいの生活をさせることか?雄太と美玖が幸せになる唯一の手段は君が親権を手放すことだ」
それが夫からの最後の言葉だった。
◇
手続きや引っ越しの為に1ヶ月だけ時間をもらった。
今後は母親と名乗らないことを条件に、月に一度の面会だけは許すと言われた。
夫はもの心つく前に河合愛梨を母親として子供たちに認識させたいようだった。
もう、私に残されたものは何もない。
夫は親権を得たと同時に、私に慰謝料を支払ってくれた。
「これで数年は生きていけるだろう。君も君自身の幸せを掴んでくれ」
最後の日、私は河合愛梨と直接会った。
彼女に頭を下げ「子供たちをどうかよろしくお願いします」と伝えた。
彼女は弱々しく頷き、まるで自分が悲劇のヒロインのような様子で私を通りまで送った。
二人だけで話すのは初めてだった。
「最後にひとつだけ、教えて欲しい事があります」
「はい。なんでしょう?」
彼女はそう言って私の顔を見る。
夫から表情が見えない距離にいるせいか、彼女はうっすらと笑いを浮かべている。
「夫が離婚するまで何年も愛人のままでいたのは、私が第2子の美玖を妊娠するのを待っていたからですか?」
「ええ、そうよ。子供は二人欲しかったから」
「……子共達は最初からあなたたちに奪われる予定だったのね」
「ええ。美鈴さん、私の子供を産んでくれてありがとう」
彼女はそう言うと、くるりと背中を向けて雄一さんと子供達のもとへ歩いて行った。
夫は自分の子供を私に産ませるため、愛していないにも関わらず、私と結婚生活を続けていたんだ。
私は固く目を瞑った。膝から崩れ落ちないよう足に力を入れる。
もう終わりなんだ。
最初から私が何をしようが結果は決まっていた。
震える足を一歩前に出す。
この場所から早く立ち去らなければならない。
もう子供たちはマンションの中に入ってしまった。
雨が降ってきた。
この時期の雨は集中的に豪雨になることが多い。
これ以上情けない姿をさらすわけにはいかない。
私はヨロヨロと駅に向かって歩きだした。
雨は大粒になり、激しく私を打ちつけた。
また失敗してしまった。
もう疲れた。
ハイドロプレーニング現象とは、濡れた道路で、タイヤと路面との間に水膜ができ浮いた状態になり、車がコントロールできなくなる現象を指すらしい。
コントロールを失った乗用車が高速で歩道に突っ込んで来た。
電柱と車の間に挟まれて、私は2度目の人生を終えた。
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