第51話

 空に浮かぶ月が燃え煌々と輝く太陽に変化する。天蓋の内に日差しが降り注ぎ、尊の新たな神器を照らし出す。

 日差しを受けた者には、天照の慈愛が与えられる。出雲も同心も関係なく、傷が見る見るうちに修復されていく。死に瀕していた出雲兵も、巨人も銃撃部隊の隊員たちも。骨が折れていようが、四肢が切断されていようが関係ない。生きていれば、敵味方も問わない。この世界では、生者全てが加護の対象となる。

 生きとし生ける者全てに争いの無意味さと、安寧と慈愛を強制的に与える世界。さながら神の世界、高天原(たかまがはら)。

「――神人合一高天原(しんじんごういつたかまがはら)。全ての存在にとっての始まりとなり、安寧を約束する新世界だ」

 この世界の加護には、尊の新たな神器を警戒している八十神も含まれる。身体に刻まれた細かい傷が見る見るうちに修復していった。

「バカげている……」

 頂点から、末端まで黄金一色の錫杖。頭頂部には、かつて尊が作り出した光背が象られ、大衆が信仰する三種の神器が意匠となっている。それは、この世界の頂点に座る者に相応しい格と力を与えるだろう。だからこそ、八十神はそれを否定する。

「安寧だとぉ? 高天原だとぉ? ――ふざけるなぁぁぁぁッ」

 鬼の形相を浮かべる八十神が、尊に飛び掛かる。血を纏う刃を力任せに振り下ろす。

「何を怒っている? 貴様も、メイドの傷も癒される。争いが生まれぬ、怪我のない世界のどこに不満がある?」

 尊は八十神の過去を知っている。彼の怒りの理由も知っている。それでも問いかける。余裕の笑みを浮かべながら。

「違うッ! 違うッ違う違うだろッ!!」

 八十神は激情に身を任せ、力任せに刀を振るい続ける。

「ここは人間が居ていい世界じゃないッ! 人間は堕落の獣だ! お前は理解している筈だ! なぜ、争いのない世界が良いと、伽藍洞の言葉を吐くんだッ!」

「ほぉ。争いのない世界は人間の共通の理想だと思っていたが?」

「争いがなければ、新たな争いが生まれるだけだろッ! そうして、俺たちのようなはみ出した弱者が踏みつけられるッ! 争いの世界は理想じゃない、”自分が悲しまない世界”なら何だっていいんだよッ! ――それが俺たち人間なんだッ」

刀身に纏う血液が刃となり、鞭のようにしなる。八十神の振り下ろしに合わせた変則的な動きとなり、尊を襲う。受けきれず、回避しきれず身体を切り刻まれるが、この世界の力により傷口がすぐさま塞がる。

 八十神は攻撃が無駄なことを知りながらも、まだ刀を振るう。

 尊もそれに答えるように、刀を合わせる。

「出雲は虐げられた者が集まり構成された組織だと聞いた。強者側に回った途端に、弱者を踏みにじってもいいと? 支配者の椅子の座り心地は良かったのか?」

「違うだろうがぁぁぁぁッ」

 八十神は尊の腹を蹴り飛ばす。難なく受け身をとった彼へ、鬼の形相のまま八十神は語る。

「弱者が強者になっただけだッ! なんで、弱いものが強くなったら責め立てられるんだよ! 俺たちは不幸を取り返しているだけなのにッ! 強い者が幸福になるとルールを強いたのはお前らだろうッ!」

 八十神は両手をワナワナと震わせる。

「怪我のない世界? だったら、俺たちは更なる復讐をする。首を落として、目玉をくりぬいて、心臓を握りつぶして……そうして、奪われた幸福を取り戻す」

「……お前は、生きるのが苦しいのか」

「あぁ、苦しいよ、苦しいに決まっているよ。俺たち弱者が幸福になる道はない。もう、記憶と心に嫌悪が刻まれている。癒せるなら、癒してくれよッ! ……無理だろ、天照でも無理なんだろ? そうだよな、この幸福はお前たちの幸福なんだもんな? 僕たちの幸福の世界は、ここじゃないッ」

「それが出雲か……」

 八十神の言い分は理解できる。ただ、大切な何かが欠落している。尊がそれの正体を導き出す前に、八十神はニヤリと笑いながら口を開いた。

「お前は、問答をしに来たのか? 違うだろ? 宿願成就に邪魔だから……理想を現実にするために、俺たちを押しのけに来たんだろう? だったら、素直にそう言えよ?」

「伊邪那美が……出雲が作る世界では天照が笑えない。天蓋を破壊させて貰おう」

「収斂契約――闇御津羽あぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁッ」

 ”クラ”は谷、”ミツハ”は水神の意味を持つ。伊邪那岐が加具土命を斬った際に付着した血液から生まれた火を封じる思想の化身。血と水という液体を操るという信仰を八十神は持ち、それを契約の力とした。刀身から絶えず流れる血は、八十神の血液であり長時間使用できない諸刃の剣。

「……結局そうだ。ひなもお前も、理想は語るが現実を織り交ぜない。他人に理解されたくない奴もいるんだよ。理解するならまずは救済をしろ。僕たちはもうまともじゃないからなぁ?」

 八十神は、生存するギリギリまで血液を刀身へ注ぐ。血は刀身を覆い隠し、音を立てて地面へ流れ出る。八十神の足元が血の池に沈んだ頃合で血の放出が止まった。

「……八十神命(やそがみみこと)。龍泉(りゅうせん)で生まれ、雪女と一緒に育った化け物側に立つ先導者。……知っているのは上辺の情報のみ。確かに、お前の心は理解できていない……。だからこそ、それを理解できれば俺たちは争わなくて済むのかもな」

 尊は八十神同様、雌雄を決するための技を構える。錫杖を眼前に突き出し、輝く世界の光りをその先端に収束させる。世界を対象とした天照の慈愛が尊一人に捧げられた。

「上から物言ってんじゃねぇよぉぉぉぉぉッ」

 八十神の刀身に、この世界に流れる血液の全てが収束していく。彼の力は傷つく人間がいる限り、外部からリソースを補給できる争いの象徴。

 何度目かの夜が訪れ、慈愛の結晶と争いの結晶が

「大空尊(おおぞらみこと)ぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ」

「八十神命ぉぉぉぉぉぉぉッ」

 互いが、一人の獣となりぶつかった。

 八十神が刀を振り上げ、血の竜を顕現させる。それは、尊の身体へ嚙みついたまま、遥か上空へ打ち上げる。

 尊は錫杖の照準を松江城上空へ定めている。技の発動には、時間と力の消費が必要になる。確実に決めるその時を待っている。

 空気を切り裂く甲高い音。血が絶えず流動しているため水音が鳴る。

 八十神に収束した血液は、両翼となり飛翔の呪いを与える。刀を下段、矛先を世界に向けながら空を超高速で駆け抜けた八十神。世界から血の徴収が完了し、尊の頭上に出現すると全ての力を一刀に込めた。

「逆巻きの龍――殯(もがり)いいぃぃぃぃッ!!!」

 頭上から振り下ろされる刀と、それ以上に巨大な血の龍の顎。松江城以上に大きなそれが、尊を喰らいつくそうと牙をむく。

 血の龍の拘束を振り払った尊は、錫杖を眼前に構えると

「真実。安寧。慈愛を与えよう」

 真実とは剣であり、安寧とは鏡であり、慈愛とは勾玉である。

「三種の神器を束ね武器とする。その名は――三光(さんこう)」

 錫杖から一筋の輝きが放たれた。

 それは、八十神が放った血の龍の顎を吹き飛ばす。触れた瞬間に、霧散した。力の強度は天照に軍配が上がった。

「クッソッ……がぁぁああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ」

 刀身で輝きを受け止めたが、勢いを殺すことは出来ない。じりじりと押され、刀の強度は限界を迎える。

「ちぃッ――くしょうが……」

 太陽の熱は八十神の刀身を穿つ。

 鳩尾を貫かれた八十神は、苦悶の表情を浮かべながら地上へ落ちる。血の翼は消失した。

(……負けた。……あれが――)

 地上に吸い込まれる八十神は、黄金色の輝きが天蓋に到達したのを見届けた。

 三光に穿たれた天井の範囲は、松江城の直径ほど。天蓋の一部は崩壊し、瓦礫が出雲拠点に降り注ぐ。

 そして現れた青空。

 太陽の輝きが天蓋の穴を通り、半壊した松江城へ降り注ぐ。黄金色のカーテンのようなそれは、血の匂いを一瞬だけ掻き消し、世界に希望を与えた。

 松江城攻略作戦、レジスタンス同心の勝利。

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