第8話
「これは……」
自分が住んでいる場所以外を知らないひなは目を丸くする。
「ひび割れがないビル。電気も問題なく使えている。何よりも、こんな明るい場所があるなんて……もしや!? ここが噂の高天原ですかっ!?」
「そんな訳ないだろう。ここはただの市街地だ」
尊のツッコミだ。
「そ、それではここは一体どこでしょう? 松江市ではこんな場所は――」
「ここは私たちの住んでいる場所の近くの街なんですよ。よく来ることになるので、案内させて頂きました」
「そ、そうなんですね。……あのぉ、この頭上の光源は電気なんですか?」
ひなは上を指さす。
頭上には丸く白い光りの玉が浮かんでいる。天蓋の内側であり灰色までも照らし出されている。
「これは尊が作ってくれたんです。……とても負担を掛けてしまいました」
「そんな心配する暇があるなら、勝手に外に出るな。さっさとココを出るぞ。面倒な輩に出くわしかねん」
「そうよそうよ、爺どもに捕まると面倒くさいわよ。ひなちゃんこんなに可愛いから、セクハラされちゃうかも」
「セ、セクハラ……」
芽衣の言葉にひなは、一歩後ずさる。
「そ、そんなことないと思いますが……そうですね、先を急ぎましょう……ちらちら」
ひなは後ろ髪引かれているようだが、
「後で、こっそり案内してあげるわ」
「ありがとうございますっ!」
芽衣の気遣いにより、満面の笑みを浮かべた。
天照の先導により市街地の外れに行くと、
「ここが私たちが住んでいる場所になります。ひなさんのお知り合いも、こちらでなら安全に過ごせるかと思います」
ひなの視界いっぱいに広がるログハウスの群れがあった。
先ほどの市街地とは異なり、ひなが暮らしていた場所と同じ雰囲気だ。
(ここはとても暖かいです。それに、不思議と安心するような……)
ひなの緊張は、いつの間にか解けていた。
辺りの様子をきょろきょろと見回していると、天照たちの帰宅に気が付いたのか子供たちが駆け寄ってきた。
「お帰りなさい。今日はみんな一緒なんですね!」
「天照様! 外に出ても大丈夫なんですか?」
「尊兄ちゃんだ!」
「もんたちもいるよ!」
同心のメンバーは子供たちの遊び相手をよくしているため慕われていた。
(……こんなに楽しそうな子供たち、初めてみました)
常夜の世界に生まれた子供たちは、気を緩めたら巨人に食べられてしまう極度の緊張状態の中で生活している。その為、笑うことは少なく感情を表に出す子は稀だった。
「なぁ、尊~」
「勇気か、どうした?」
「あれ変えてよ〜。ほら、ぽいって!」
ひなは釣られて上を見上げる。”あれ”とは、市街地でも見上げた小さな太陽のことだ。
「いいだろう。今日は何がいい?」
「みぃちゃんがうさぎが見たいって。な?」
すると、子供たちが気弱そうな女の子を連れ出してきた。
「……できる?」
女の子がおずおずとそう言うと、
「ふっ、いいだろう」
尊は右手をかざすと、空に輝く小さな光がいくつかに分裂した。一つだけ残し、他は小さなうさぎに変化した。
「わぁ!」
ぴょんぴょんと跳ねながら、ゆっくりと空から降りてくるうさぎたち。
「夜になったらひとりでに帰るだろう。丁重に扱ってやれ」
うさぎたちは、子供たちの腕の中にすっぽりと収まった。白く輝いているが毛並みはふわふわで生き物と遜色ない。
「かわいい!! ありがと!!!」
「これから外の人間が出入りする。その時は、しっかりと挨拶をしろ」
「わかった!!」
子供たちはうさぎたちと一緒に向こうに駆けていった。
「すごいですね……尊さんの力ですか?」
「あぁ、人間以外との触れ合いも大切らしいからな」
尊は、遠くで住民たちと談笑している天照に視線を向ける。
「アレは太陽ですよね。……なんで力を使ってまで照らしているんですか? あの市街地ならば、電気も使えていますし……」
「その考えは最もだ。出雲との戦いにその余剰分を回せるだろう。ただ――」
「ただ?」
「日光は心地いいと、母に教わった」
「それは……うふふ。はい、私もそう思います」
尊のもったいぶった態度とは正反対の、なんてことない普通の答えにひなは思わず笑みをこぼす。
「そういえば尊さんのお母さまというのは――」
すると、
「尊~」
疲れ果てた天照が、ふらふらと尊に抱き着いてきた。
「ごめんなさい……もう、つかれましたぁ〜。おんぶしてください~」
「そんな服装をしているからだ」
「だってぇ~。あれ? 外出れんじゃね? 外出るってことは、それらしいカッコしたほうがよくね? と思いまして。えへへ」
尊は天照を背負うと、
「それで、オレの母についてか?」
「は、はい。……ですが、その、少し無遠慮な……好奇心は猫をも殺すと言いますか……」
この世界では家族との離別は当たり前。更に言えば、それが初めて味わう絶望の瞬間であることが多い。
そんな伏し目がちに申し訳なさそうにしているひなへ、
「母親はこれだ」
「私がお母さんです!」
ひなは、
「……はい?」
目が点になったひなへ向け再度、
「オレの母親はこれだ」
「私がお母さんです!」
いつも通りの無表情な尊と、その背中で嬉しそうに手を上げる天照。かの有名な太陽神の子供が人間だった事実はひなにとっては衝撃だった。
尊の案内で住居を確認している時にようやく、その事実を咀嚼できた。
「天照様のお子さんならば、尊さんは神様ということでしょうか?」
「それは違うな。五男神(ごなんしん)は兄ではない。拾われただけだ」
「尊が小っちゃいころから、一緒なんですよ? この場所を作ったのも尊の発案なんです」
天照の誇らしげな視線の先には、立派な木造の建物が並んでいる。
「改めてみると、丁寧に作られていますね。お高いでしょうに、こんなに沢山住居があるなんて」
「衣食住が揃わないと、人間の大切なナニカが歪んでしまうからな」
「そうですね。私が住んでいる場所も、碌な住居も用意できず、かといって食事も……」
「オレたちは無償で人助けをしているわけではない。誰かを助け、誰かに助けられる輪を作っている。この住居も酒臭い親父たちの助けを借りている」
「助け合いの輪ですか……それは、はい。とても美しいことですね」
ひなは羨ましそうに微笑むが、
「他人事のように言ってるがお前もそこに加わって欲しい。オレはそう思っている」
ひなは認められたことの嬉しさに緩む口元を両手で隠しながら、
「で、ですが……私は何もお役に立てないですよ」
「役に立つ必要もない。出来ることをすればいい。それに……あのような例外もあるからな」
「アレ、ですか?」
尊の視線の先には、芽衣とピンク色の着ぐるみが優雅にティータイムを過ごしていた。
「美味しいわね。このなんちゃら紅茶とうんちゃらクッキーはベストマッチよね」
エレガントさを追求した赤一色のテーブルクロスに、赤一色のグラスセット。芽衣は目を伏せ、優雅にほほ笑んでいる。
「ねぇ、もん?」
「なんだもん?」
赤い犬の着ぐるみのような姿をした生物。彼女の名前はもん。現在、深窓の令嬢を装っている芽衣の戦友だ。
芽衣はティーカップをゆっくり置くと、ゆっくりと目を開ける。
「そろそろ取りに行こうと思うの」
「……何をだもん?」
数秒、間を開けてから、
「尊よ」
もんはティーカップをゆっくりと置いた。
「時期尚早だもん。芽衣ちゃんは知ってるかもん?」
「何をよ?」
「好き好き大好き系ヒロインは、十中八九負けるもん」
「うっそ!?」
優雅さが消えた。
「ホントだもん。男ってのは、魚を釣るのが好きなだけで、釣った魚には興味ないんだもん」
「じゃあどうするのよ?」
「この本を見るもん」
もんはモザイク必死のエロ本を広げた。
「これって伊邪那美(いざなみ)脳破壊本?」
「そうだもん。寝取りシチュエーションによる興奮は、かの伊邪那岐(いざなぎ)をも堕落させた。つまりは、尊ッちも然るべきシチュエーションなら堕ちるんだもん! 緩急なんだもん!」
「成程、シチュエーションね……勉強になるわ。これって発売禁止になったんじゃないの?」
伊邪那美NTRとは、伊邪那岐の黄泉の国訪問をベースにしたお話だ。黄泉の国にいる伊邪那美を連れ戻しに来た夫、伊邪那岐。二人はこのまま現世に帰るのかと思いきや、若い女と行為を始めた伊邪那岐。夫を若い娘に取られた伊邪那美は脳を破壊されるという内容だ。
これは出雲に恨みを持っている漫画家集団が結託して、彼女の信仰を捻じ曲げるために行った信仰戦争の産物でもある。
「大丈夫だもん。エロは世界を救う、しいては出雲を倒すんだもん。ぐへへへ、えっへっへ」
着ぐるみには似つかわしくないスケベな親父フェイス。もんは着ぐるみのようなモフモフの外見をしているが、作り物ではない。
すると、青い犬の着ぐるみが現れた。
「ほら、大っぴらに広げてると、伊邪那美から天罰が来るもんもん」
”もんもん”という特徴的な語尾の青い犬の着ぐるみが自分のティーカップを持って座る。彼の名はもんもん。もんの夫という設定だ。
「天罰なんてこないって。ここは天照様のお膝元もん?」
「そうよそうよ。NTRれるほうが悪いのよ。伊邪那美だっけ? あれでしょ? 旦那寝取られたからって出雲立ち上げてイケメン囲ってんでしょ? はっ! 純愛が最強って昨今の時流が証明してんでしょ」
芽衣ともんは、空に向けてベロを出し、見ているかもしれない伊邪那美を煽りに煽る。
すると、
「うへっ!?」
「もんっ!?」
二人の頭上に小石が落ち、
「うわっ!?」
「もんっ!?」
発禁本が謎の発火現象により燃え尽きた。
「エロ本燃やす天罰……伊邪那美は暇なのかもんもん?」
もんもんは呆れている。
しかし、当事者は黙っていない。不様に椅子から転げ落ちていた二人は鬼のような形相を浮かべ、
「NTR女神をぶっ殺してやるッ! どこかで見てるはずよ!」
「探すもんッ! 出雲にエロ本ばら撒くもんッ!」
「もんもんッ! アンタも付き合いなさいッ!」
芽衣たちは、慌ただしく走り去っていった。
その様子を見ていた尊たち。
「昼間からエロ本を見ている奴もいるぞ?」
「……何かお仕事させてください」
「反面教師がいてよかったですね~」
ひなは、役立てることがないか必死に探すことを決意した。
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