第3話
赤子を犠牲にして用意した梯子をいきなり外されたからだ。その迷いや葛藤の数だけ、怒りは大きく膨れ上がる。
「......ひな、なんてことをしてくれたんだ……」
ぽつりと不満が漏れ、ウイルスのように周囲の人間にも伝播していく。
「お前のせいだ」
「お前はずっとそうだ! 箱入り娘の癇癪に付き合ってられないんだよっ!」
「俺らの金で育ったくせに! 俺らの役に立たないことばかりしやがって!!」
住民が見せる怒りの表情。
「え……」
見えない誰かに喉をきゅっと締め付けられる感覚がひなを襲う。
「……わたし、みなさんのためにと……」
彼女の瞳が涙で潤む。
「それがうざいんだよッ」
「可愛いからって調子に乗んなッ」
この場には二つの流れがある。ひなを責め立てる流れと、住民を殺したアキに頭を下げ助けを請う流れだ。
「アキ、せっかくの好意を不意にした。すまん」
「残りの席はもう五つだけ。ごめん、みんな……オレがもっとしっかりしてれば」
「アンタのせいじゃない。バカが癇癪起こしたからだ」
「正義ぶって何もしないガキが。成果の一つも上げたことないくせに衝動的に動きやがって……」
すると、
「アキ君。私は行けるんだよね!? 赤ちゃん上げたもんね!?」
赤子をアキに預けた女性が駆け寄ってきた。
「勿論。裕の母ちゃんは、なんとしても連れてく。席がなくても無理矢理にでも開けてもらうから」
すると、
「アキさん! うちの子貰ってください!」
「アキ君! うちの子、元気な女の子だよ! きっと美人になるよ!」
我先にとアキに赤ちゃんを差し出す大人たち。その光景は、子供たちを守っていたひなにとっては余りにも衝撃が強く、悲しみを吹き飛ばすほどだった。
「えっ……まって……」
ひなに更なる不幸が舞い込む。
「おかあさん……お母さんッ! 何やってるのッ!? 美詞(みのり)はどこ……お母さんッ!」
詰め寄った色白の妙齢な女性は、ひなの母親だった。一番初めにアキに差し出した赤ちゃんは、
「……もう、いないわ」
妹だった。
泣きそうな顔で笑う母親を前に、ひなは呆然と膝をついた。
この場の全てがひなを追い立てる。それこそ、アキの狙いだった。
「久しぶり、ヒナちゃん。覚えてるかな?」
「うそ……アキ……なんで」
妹の喪失と死人と思っていた人間との再会。この時点で、ひなの感情は複数の曲線が入り混じっていた。
「裕の母ちゃんが妹ちゃんと引き換えに、出雲行きたいって申し出てくれたよ」
アキは悪魔のように三日月型に口をゆがめ、
「今から子供ならなんでもいい! 二十歳以下の子供を差し出した奴らは、出雲に連れて行ってやる! 勿論、子供の同意なんて取らなくていい。無理矢理でいい。ダイダラの前に連れてきた時点でこの勲章を授与する! 席も確実に、絶対に用意する! ジャンジャン持ってこいぃぃぃぃ!」
車の外に出ている人も、車中で項垂れていた人も全員の瞳に生気が戻った。
アキは、槍の矛先をひなに向けると、
「当然、ひなでも問題ないぜ?」
その瞬間、民間人がケダモノになった。
ヘイトを貯めていたひなへ殺到するグループとあちこちの家から子供を引っ張り出すグループの二つが形成された。
アキに道徳と倫理観を説いていた住民たちの変貌ぶりは凄まじい。アキは、住民が倫理観を捨てるようにと全てコントロールしていたが、ここまでの結果が出ることに驚いていた。それは、嬉しい誤算だ。
「ダイダラ、今日は腹満たせそうだな!」
「最高だぁ、じゃんじゃんこいよぉ!」
巨人の前に連れてこられた子供たち。少年少女がチラホラと、成人近い男女も僅かにといった所だ。
「あ〜むっ! あ~っむ、むしゃむしゃ……ごっくん」
巨人は、端から順番に子供の頭を喰いちぎっていく。たった数秒で六人が死んだ。
「おい、ぶん投げていいぜ!」
全身を鮮血で染めた巨人の要求に従い、大人たちは子供を放り投げていく。彼らは子供たちを食べさせないといけないという、ある種の強迫観念に駆られている。その為、躊躇いなどない。
「お~らい、お~らいっと!」
巨人は大口を開けて宙を舞う子供たちをキャッチ。そのまま、ぴしゃりと子供を咀嚼する。
「ナイスピッチ。これ持って仲間についていけ。下に予備の車があっからよ」
巨人は大人に勲章を手渡していく。
「よっしゃ!」
危険と隣り合わせながらも平穏だった場所が、一滴の悪意が紛れ込むことでこんなにも簡単に狂ってしまった。こんなことはイレギュラーケースだろう。しかし、きっかけ一つでどんなコミュニティでも起こりえることだろう。
「やめてください!? 皆さん、正気を取り戻して下さいッ!?」
両手を拘束されたひなが差し出された。刀は没収され制服は土に塗れている。抵抗した結果だろうが、あちこちに血痕が付着していた。
「なんでこんなことッ!」
ひなは形のいい眉を逆立てアキを睨む。
「オレさ、お前の弟たちにイジメられてたんだよね。知ってた?」
アキは出雲の制服を捲り上げる。その下には、夥しい数の切り傷があった。いくつかは、未だかさぶたとして残っていた。
「イジメから逃げるために出雲に行って強くなった。お前に復讐したかったんだ。ほら、裕たちはもう死んだろ?」
アキは笑いながら、ひなの左胸を槍で突き刺した。
「うッ!?」
黒いセーラー服にじんわりと血が滲む。
「そうだ……子供足んないだろ? ヒナを刺した奴は出雲に連れて行ってやるよ。みんなで出雲で暮らそう! コイツのせいで迷惑被ったもんな?」
アキはヒナの腹を蹴り上げると、うずくまる彼女の両足を槍で突く。何度も何度も。
すると、
「ほら、雄介君。君に一番を上げるよ」
腰を抜かしている小太りの男性の前で足を止め、槍を手渡した。
「……アキ君、覚えてくれてたんだ」
「仲間じゃん。ま、イジメられ仲間だけどね。雄介君、よく頑張った。よく生きててくれた。こいつに今までの鬱憤をぶつけてやろうぜ」
「……僕が、生きていてもいいのかな……」
「雄介君自身が許さないで、誰が許すんだよ」
「うん! ――うおっと」
雄介は手に持った槍の重さによろめいた時だ、
「――まず一人」
赤い影がアキの視界を横切った。
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