第2話
島根県、松江市。市街地から少し離れた山の中腹、元キャンプ場には死体の山が築かれていた。
「く、くそ……出雲兵が――っぐッ」
辛うじて息があった男性の首に目掛け、白い槍が振り下ろされた。
「ったく。無駄な抵抗すんなって」
絶命した男から槍を引き抜き、血を辺りにまき散らす白い制服の兵士。槍を持ちフルフェイスヘルメットを被っているこの人間が、死体の山を作った。
「お、お願いします。どうか、命だけは……出雲様……」
白い制服は畏怖の象徴。この世界の支配者である組織の証。
「ったく。そんな怯えんなって、オレだよ、オレ」
兵士は、突然明るい声色に変化するとヘルメットを脱いだ。
「お前……アキか?」
その下から出てきたくすんだ金髪と浮き出た頬骨が特徴の男の顔。住民たちは彼に見覚えがあるようだ。
「おう、久しぶり!」
「どこ行ってたんだ!?」
「……なんで出雲に……巨人に喰われたんだと……」
幾分か、緊張が和らいだようだ。
「知らねぇ顔も当然いるが、オレもここに住んでたんだ。ほら、奥の掘っ立て小屋作ったのもオレなんだぜ?」
死人に出会った感覚なのだから、腰を抜かしてもしょうがない。
「な、何しに来たんだ。お、オレはお前を――」
「――大丈夫。昔のことはもう気にしてない」
何かを懺悔しようとした男の言葉を手で制し、アキはニヤリと笑みを浮かべる。
「そんでよ、オレから提案があんだ。みんなでさ、一緒に出雲に行かないか?」
「え……」
「出雲に来れば腹いっぱい飯が食える。酒も女も……あれだ、勿論男だって好きに抱ける。こんな電球一個も付けられない場所なんかより何十倍だっていい場所なんだ。ほら、筋肉だって付いたんだぜ? あの鶏がらみたいなオレがだ」
以前のアキは、身体の線が細く、ひ弱で食も細かった。しかし、今の彼は筋肉質で声にも張りがある。血色もよく健康体そのものだ。
「ほら、出雲から食料持ってきたんだ。これ、喰ってくれよ!」
アキは巨人に食料を運ばせると、集められた避難民たちの目の前に山のように置いた。菓子パン、お菓子、おにぎりの山だ。皮と骨と僅かな脂肪しかないやせ細った住民にとっては宝の山だった。
警戒して誰も手を伸ばさないが、アキは一口食べてみせる。
「ほら、毒は入ってねぇって。相談事の前に、とりあえず腹いっぱいにしようぜ。腹が減っては何とやらだ!」
アキの無邪気な笑顔は、彼らの警戒心を僅かに薄れさせた。すると、堰が外れたように食欲が沸いてくる。
「じゃ、じゃあ」
気が付けば全員がブルーシートの上に広げられた食料に群がっていた。
「おっと、ちょいと声は抑えてくれな」
「あ、アキ! なんで出雲に行ったんだっ! 親父さんたちは巨人に――」
「分かってる。……分かってるから、オレは出雲に行った。考えてみてくれ。頑張っても出雲には勝てない。そりゃ、死に物狂いで反抗してどうにかなるなら話は別だ。どうだ? 今まで何百、何千って人間が抵抗したが全員負けた。神様と契約した人間がいても勝てなかったんだ。なら、降参したほうがいい。だって、出雲に行ってもなんのデメリットもないからだ」
「デメリット……出雲に行くって話は本当か? オレたちでも行けるのか?」
アキの目の色が変わった。食べるのに夢中になっている彼らは気が付いていない。
「腹も膨れたことだし相談に入ろう。出雲から預かった命令は、住民の保護と子供の回収だ。みんなも知ってると思うが、出雲は子供を資源として扱っている。だからさ、子供たちを差し出してくれ。その切符があればこの世の天国、出雲に行ける」
住民の間に流れていた緩んだ緊張が、再度ピンと張り巡る。
「ふざける――」
「分かってる。倫理的にも道徳的にも、最低のことを言ってる自覚はある」
アキが出かかった文句を片手で制する。
「オレは、みんなに笑って欲しい。死ぬときは家族に囲まれて布団の上で眠る様に死んで欲しい。知り合いが望まない死を迎えるって悲しいだろ? 分かってくれよ」
「アキ……」
そう言葉を漏らすのは、アキを幼少から知っている禿げあがった初老の男性だ。
「駄菓子屋のおっちゃんには世話になった。だから、出雲で美味いもん食ってバカみたいに後悔なく死んで欲しい。どうだ、おっちゃん」
「……出来ん。どうにか子供たちも一緒に行けんのか?」
アキは少し考えて、たどたどしく答える。
「行けなくはない、と思う。出雲には加入待遇ってのがあんだ。子供と交換するならこの金鵄勲章(きんしくんしょう)。これがあれば出雲の施設じゃ好き勝手に使える……言わば、無限に使える金だ。本当なら皆にはこれを配る予定だった。これを無しにするなら子供たちは……」
すると、住民の輪の中から手が上がる。
「あ、あの! 私は出雲に行きたいですッ! ですからその勲章を――」
「ホントか!?」
色白の妙齢の女性は、前に出て抱えていた赤子をアキに手渡す。まるで汚れ物を押し付けるように。
「おっと……もしかして祐の母ちゃん?」
「覚えてくれたんだね、アキくん」
「ってことは、裕の妹か!? ここで産んだのか?」
「望まないって言っちゃあれだけど……ね」
彼女は今にも泣きそうだった。
アキは理解した。死が身近にある弱肉強食の世界、男が威張り女が従う原始の時代。ならば、望まぬ子供も生まれるだろう。
「……分かった。……これを」
アキは金色の鵄(とび)の意匠が施された勲章を手渡した。
「残りの人生幸せになってくれ。向こうに車あるから、ダイダラ案内頼む!」
すると巨人が、
「こっちに来てくれ。あ、荷物あったらそれも一緒にな」
女性は巨人と一緒に消えていった。
すると、
「ふざけるなッ!! 子供になんてことを――」
「殺人者がッ!!」
「見損なったぞ!!」
世間一般的な倫理観や道徳観に反する行為に、あちこちで彼女を避難する声が上がるが、
「止めてくれッ! 裕の母ちゃんは悪くない! オレが悪いんだ! だから、責めるならオレにしてくれ。いくらでも殴ってくれていい、恨んでくれていいから!」
アキは涙を流しながら、必死に訴えかける。大げさな所作も彼の心からの言葉だと証明していた。
「アキ……」
「……でもよ……でもよ……」
全員の怒りが、一気に冷めていく。
すると、現実的な算段をする者も現れる。
「教えてくれ。子供たちってのはいくつまでの子になるんだ?」
アキは女性の案内を終えた巨人を手招きして、
「ダイダラ? 何歳までの子供が欲しい?」
「そうだな、今日は赤子に近いほうがいい。あと二、三人貰えれば満足だ」
「分かった。対象はなるべく幼い子。この赤ちゃんに近い年齢があと三人。そうすれば、みんなで出雲に行ける。オレが上に掛け合ってみるから」
アキの言葉を聞き、全員の方針が決まりつつあった。
「赤ちゃんには可愛そうだが、まだ意識がない。だったら……」
「ここでの生活ももう限界だ……」
いつの間にか、この場の空気が赤ちゃんを差し出す方向になっていた。対象に含まれるであろう赤子の母親は、悲しい現実を受け入れつつあり、嗚咽を漏らして泣いている。
「アキ、お願いだ。赤子三人でオレたちを出雲に連れて行ってくれ」
「……本当にいいんだな?」
「なるべく早くに頼む……オレたちの気が変わらないうちに」
巨人の案内に従い、この場にいる全員が車に乗り込んでいく。
その時だ、
「何やってるのですかッ!」
刀を持ったセーラー服姿の女性が現れた。彼女の名前はひな。年齢は十七歳。この場に住む人間の一人で、出雲に反抗する人間の一人だ。
「ひな。どいてくれ」
「何故ですか!? それは出雲の兵士です!? みんなを殺した――」
「……オレたちは出雲に行くことにした。だから反抗するのはよそう。もう、いいんだ……今まで守ってくれてありがとうな」
「よくないです! 子供を食い物にする化け物なんですよッ!」
喉が張り裂けそうなほどの絶叫だ。
しかし、誰の耳にも届いていない。
「アキ。出してくれ……」
「ダメですッ!」
ひなは刀で車のタイヤを切断し、車の走行を強引に防いだ。
「皆さん! よく考えてくだ――」
彼女は落ち着いて話をしたいという意思表示だったのだろう。平時ならばその行動は決して間違ってはいない。
しかし、苦渋の決断を下した彼らにとっては害でしかない。
「何やってんだ! お前のせいで出雲に行けなくなったらどうすんだ!」
「ですから……」
「出雲に行けば飯を腹いっぱい食えるんだよ! こんな場所での生活なんて耐えらんねぇ! ガキが生贄なら、それでいい! オレらはガキの奴隷じゃねぇ! ガキが大人の奴隷なんだ! ガキのせいでオレの人生が決まるなんて冗談じゃねぇ! オレらは人間なんだ、大人なんだよッ!」
一方的な檄が飛ぶ。
すると、アキに連絡が入った。
「ま、待ってください!? まだ席は――お願いします――」
落胆の表情を浮かべるアキ。
「皆、ごめん。全員連れて行けなくなった。他からの移住者が予想以上に多かったらしくて……席が埋まったそうだ。後、一分、一秒でも早ければ……」
アキの言葉により、怒りの矛先はひなに向いた。
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