第7話

彼女が家の中に残していった影法師はよく喋るようになった。もちろん彼女の声色で、以前のように俺の母国語で。

君がよくうずくまっていた角に残した影法師が、俺の幻覚なのかもしれないが、君がいなくなってから……数日後、ゆらゆら立ち上がって話し出したのだ。

だいたい、快晴の日だった。影が濃くなり、時計のないこの部屋が動きを取り戻すからだろうか。


だが、君の影法師は君と違ってぐうたらでよく文句を言っていた。1人よりだいぶマシだしうんざりしている余裕もなかったので放置していたが。

「あーあ、どうして気づいてくれなかったんです?」

いつも、今日の夕飯の話とか、ここからまあまあ離れた都会での流行りのファッションだか食べ物だとかの話とかそういう事ばっかり言ってる影法師が別のことを語り出すのは珍しかった。影法師の表情は俺には見えないから彼女はそれを察して全身でリアクションをとる。今の場合だと、両手を上に上げてぐいいと伸びをしていた。その様子から、この話題によって深刻な空気にしたいわけではないとわかった。

「あなたが構ってくれないから、私、出てっちゃったんですよきっと。」

伸びをやめて下ろした手をぷらぷらからだの横で振りながらそう言う。

「……きっとってなんだよ。お前アズサじゃないのか?」

彼女が言うならそうなんだろう、という妙な確信があったし、疑ってはいない。

俺はただ話題から逃げるため、質問を投げかけた。

「わかりません。前まではそうでした。」

逃げる俺の後ろ髪をぐいと掴んで引き戻すことを彼女はしなかった。つまりこれ以上追求しないでくれた。口調は彼女のものより少しくだけた様子だがこういう寂しい顔してする気遣いはやはりアズサのものだと思った。

「そうか。」

コレ、が彼女の本心であることが確定しないことに安心する。あの日から色々と考えることにむやみに時間を使っていた。そうすることでいくらか安心したためだ。

そのような思考に生産性などあるはずもない。したがって彼女がここにいない理由はいまだに導き出せていない。

「他にはなにかないのか。」

なんとなくソファを立ってダイニングテーブルの椅子に座り直した。

「えー、そうですね、どうして彼女の髪色はあんなにコロコロ変わったのだと思いますか?」

当初は着飾るのが好きなのかと思っていた。ただ、違う。彼女の好みはもっと、俺から言わせてもらえば質素なものだ。

影法師はどうせわからないでしょうと言うようにテーブルの影に頬杖をつくようにしてこちらを見ている……多分。

こういうとき本当にわからないと言うのはすごく癪だ。何に対してそう思っているのかはわからない。

「……そういう特性なんだろ?」

そうして油断している相手に一泡吹かせたいと思いながら、間違いであるとわかっている反論を口にするのをやめられずに恥の上塗りをする。

「でも、あなたの雨女みたいなのとは違いますよ。あの子のは授けられたものです。」

雨女などと同じにされるのは不本意であるが、たしかに俺とアズサは出自からしてそもそも違うのでその点には同意した。

「あとは、彼女の出身地とか、家族とか紹介されたことはありますか?知ろうとしたことは、ありますか?」


影は大きく動いて、威嚇するように膨らんだ。ただ角から伸びる影はどうしてこんなにも器用に太陽の光を遮るのだろうか。どこにも彼女は居ないのに。


「……ずけずけ聞くのもどうかと思って。」

なんて苦しい言い訳だろう。誰よりも自分がそう思った。俺のその様子を見、影は元々のサイズに縮んだ。別に、そんな顔させたかったわけじゃないのよ、とバツが悪そうにもごもご言ったあと、いややっぱそれは嘘、などと訂正するなどしていた。


その後彼女はしゃん、とまたこちらに向き直って、俺が背を向けている太陽に向かうようにする。

「まあそういうところなんじゃない?彼女が合わせてくれるのに甘えすぎなのよ、貴方。」


「見て、気づいているのならちゃんと聞いてあげて。」


「違和感を素通りしないで。気づいたら死んでるかもしれないわよ。寂しいと死んじゃうヒトって意外と多いから。」


ゆらゆら揺れながら、時々黙って伝えてくれた。きっと真実なのだろうとおもった。彼女の横に生えた俺の影は一際小さく見える。


「次があったなら、そうするよ。アドバイスありがとう。」


説教臭くなってきた核心に触れてしまいそうな雑談を締めくくろうと心にもない句を継ぐ。

影法師はたぶん、俺がそうしたことをわかっていてもう一度口を……いや、口元らしき箇所を開けて言う。母のような、いや実際にその愛情を受けたことはないからわからないけれど、そういう貫禄があった。


「影法師の私がここにいるんだから、どうとでもなるでしょう。頑張りなさいな。」


壁に映った影法師は日が傾いてきたせいかとても大きく見えた。振り返ると窓の外にはべっとりと真っ赤な夕焼けが塗りつけられている。久しぶりにその光景を真っ直ぐ見た。カーテンはしめないし、あかりもつけなかった。でも部屋の中はすごく明るかった。


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