第3話 日高誠と吉田玲二

 俺は東谷駅を離れ、学校まで約一キロの距離を全速力で走り続けた。

 脚が上がらない。今にも心臓が破裂しそうだ。

 半分の距離を進んだ所で失速。

 学校の校門を突破した辺りで、完全に足が停止した。

 そこからは身体を引き摺る様にして構内を進む。目指すは志本紗英が所属する一年三組の教室だ。


 こんな必死こいているのに、やっている事は「同級生女子にテニスラケットを返しに行く」だけって、アホ過ぎるだろ。

 

 俺を動かしているのは罪悪感じゃ無い。

 死ぬとか死なないとか、魔法云々の話はどうでもいい。

 これ以上あの訳の分からない魔法使いと絡むのは御免なんだよ。

 頼むから早く平穏な日々に戻らせてくれ。



 三組の教室に到着。

 扉は開いた状態だ。

 俺はスパイの様に壁に貼り付き、首を伸ばして中を確認する。


 教室には誰も居ない。

 ……ヨシ。

 室内に侵入し、無駄の無い動きで袋からテニスラケットを取り出した。

 それを教卓の上に置き、素早く反転。

 三組の教室から脱出する。

 

 余裕のミッションクリア……!

 志本紗英の机の位置が分からない今、これが限界だ。

 俺は虚しさと謎の疲労を抱えながら、一組の教室に向かって廊下を歩き出す。


「何やってんだろ……俺」

 吐き捨てる様に呟いていると、そこで何かの気配を感じた。

 俺は頭を右に旋回させながら、ゆっくりと視線を背後に移動させてゆく。


「え…………!?」

 息が止まった。

 三組の教室の扉の前。さっきまで誰も居なかった場所に、女子生徒が立っている。


 背は高く、肩までの長さの髪。

 凛とした佇まいは大和撫子なんて言葉が良く似合うだろう。

 遠くから見かけた事はあっても、こうして対峙するのは初めてだ。


 テニスラケットの持ち主。志本紗英。


 想像以上に美人だな……!

 なんて冷静に驚いている場合じゃ無い。

 明らかに俺の事を不審そうに見ているじゃねーか。


 何でこんな時間に志本が居るんだよ。

 反則だろ。偶然にしては出来過ぎだ。まさか犯人を探しに来ていた……?

 だとしたらヤバい。


 今まさに教卓の上にはラケットが鎮座している状態だ。

 そして、こんな早朝に帰宅部の俺が居るのは不自然過ぎる。

 眼鏡の少年探偵で無くとも「あれれ〜?」となる所だ。


 大ピンチだよ!

 このままだと美少女のラケットと一晩過ごした変態野郎にされる。

 いやいや、それだけならまだいい方だ。

 ミッション失敗……。

 魔法使いの言う事を信じるなら、俺はこのままだと死ぬ可能性があるって事だ。


「嘘だろ……」

 頭の中は真っ白だ。

 もう、どうしたらいいのか分からん。

 なので、相手の反応を待つ事にした。


 ──しばらくの沈黙。


 先に動いたのは志本紗英だ。

 無表情のまま、視線を教室に向ける。

 そして何事も無かったかの様に三組の教室へと入って行った。


 怖えぇ……。

 消えたラケットとご対面だ。

 何も疑いも無く状況を受け入れて貰えると有り難い。

 俺だって欲しくて持っていた訳じゃ無いんだ。

 迷惑を掛けたかも知れないが、どうかこれで許してくれ。


 そんな一方的な謝罪の後、俺は逃げる様に三組から離れる。

 一組の教室に入り、扉を硬く閉めた。



 * * *



 モヤモヤした気持ちのまま時間が過ぎてゆく。

 気付けば、昼休みを告げるチャイムが鳴っていた。


 志本紗英からのアクションは無し。

 魔法使いからの知らせも無し。

 ミッションをクリア出来ているのかは謎のままだ。

 頼むから誰か結果を教えてくれ。

 魔法使いがガラス戸を割りに来るまで判明しないのか? だとしたら、システムが雑過ぎるだろ。


 そんな不満を心の中で叫びつつ、鞄から菓子パンを取り出した。

 そしていつもの様に自分の席で黙々と食べ始める。


 喉を遠らねぇ……。

 手が止まり、自然と溜息が出た。

 昼休みという、一人になれる俺のヒーリングタイム。

 それが謎の魔法トラブルのせいで台無しだ。

 どうなるんだこの先……。

 目の前は真っ暗だ。



「日高、ちょっといいか?」

 掠れた特徴的な声で名前を呼ばれ、顔を上げた。

 そこに居たのは同じ一組の吉田玲二よしだれいじだ。

 吉田の席は同じ窓際の列。

 席が近い関係があり何度か会話をした事があった。


 背は俺よりやや高く、スポーツ刈りの短い髪型。

 不良漫画に出てくるナンバーツーのポジション的な雰囲気だ。

 バンダナ巻いて長い棒を持って「ヘイヘイヘイ!」なんて姿が容易に想像出来る。

 まあ、そんな感じの奴が、鋭い視線を向けて来ている。


「一人なのか?」

「二人に見えるのか?」

 俺が適当に言葉を返すと、吉田はニヤリと笑い、教室を見渡した。

「いつも食堂に居たから知らなかったけどよ。昼休みの教室ってこんなにも静かなんだな」


 今の教室には俺の他に三人しか居ない。

 それが吉田には新鮮に映るらしい。


「部室に行く奴も多いみたいだからな」

 本当かは知らないが、そんな話を何処かで耳にしていた。


「日高は部室に行かないのか?」

「俺は帰宅部なんだよ。居場所はここしか無いし、一人の方が落ち着くんだ」


 中学の時は、それとなーくグループの輪に入ってはいた。

 だが高校生ともなると自然とそう行った流れにはならないらしい。

 だからと言って部活を始めるのもアホ臭い。

 それに自分を変える気は更々無い。


「ワザワザそんな事を言いに来たのか?」

 そう尋ねると、吉田は焼きそばパンを俺の机に置いた。

 そして近くの椅子を引っ張り出して向かい合う様にドカリと座った。


「話がしたい。お前の事を教えてくれ」

「はぁ?」


 何だ……? 何が起きているんだよ……。

 俺にはよく知らない男とランチを楽しむ趣味は無い。

 コイツがこんな事を言い出す理由なんて──。


 実は思い当たっていた。

 俺の部屋に出現したスニーカー。

 その持ち主がこの吉田玲二だったりする。


 いや、だからっていきなりそうなるか?


 吉田は雑にパンの袋を切り裂き、豪快に口に入れた。

 そして噛まずに飲み込むと、息苦しそうに声を出す。

「志本がお前について訊いて来たんだよ。どんな奴かって」


 志本……? 志本紗英が?

 心配していた通りだ。犯人だと疑われているらしい。

 さて、この状況をどう乗り切るか。


 考えろ。

 こんな回りくどい事をしている位だ。

 決定的な場面は見られていないと見ていいだろう。

 ならば、ここは様子を見るべきだな。


「俺は志本と話した事無いし、接点は無いんだが。吉田は志本とはどんな関係なんだ?」

「ん? ああ。同じ部活なんだよ。テニス部な」

「ああ……同じ部活……」

 同じ部活で俺と同じクラスの吉田に情報を訊くのは自然な流れだ。


 だったら志本から訊かれたって事を俺に話しちゃダメなやつだろ。

 コイツはアホなのか、それとも真面目過ぎるのか。

 どちらにしても不思議な奴だ。さっさとお引き取り願おう。


「じゃあ吉田。志本に伝えておいてくれよ。よく知らない奴だって」

「今はな。だからこうして話をしに来た」


 えぇ……。なんでコイツがそこまでする必要あるんだよ。面倒臭い!

「悪いが志本から興味を持たれる理由が見当たらないんだが?」


 なんてしらばっくれてみる。

 すると吉田が突然イカつい顔を近付けて来た。

 そして小声で囁く。

「そうだとしたら大変な事になるぞ」

「ど、どう言う意味だよ」

「お前は……呪われるかも知れない」

「いや、意味が分からん! 何でそうなるんだよ」

 「死」の次は「呪い」かよ。散々だな最近の俺。


「志本がどれだけモテるのか知らん訳じゃ無えだろ? 学校のほとんどの男どもが告白しているって言う話だ。全員玉砕されているらしいがな」

「また大袈裟な」

 まだ入学してから一ヶ月しか経ってないんだぞ? ありえないだろ。


 俺は冗談はやめてくれ、といったジェスチャーを取る。

 しかし吉田は真剣な面持ちのまま、

「そんな志本が興味を持つ男……。となれば間違いなく呪いの対象になるだろ」


「ならねーよ! こんな隠キャ、だれが相手にするかよ。冗談にもならない。笑われるだけだ」

「いやぁ。他人の趣味なんて分からないからな」

「絶対に無い!」


 俺はそう断言し、椅子を引いて吉田との距離を拡げた。

 吉田は身を乗り出し、

「じゃあ、何で志本はワザワザ俺に日高の事を訊いて来たんだよ」

「それは……」

「どうなんだ?」


 俺をテニスラケットと一晩過ごした変態野郎だと疑っている。

 ……なんて言えねぇ。

「分からんな」

「だろ?」


 吉田には下手な事を言えない。

 俺の言った言葉をそのまま志本紗英に伝える可能性がある。こう見えて惚けたフリをしているだけかも知れないしな。


 面倒な事になってしまった。

 そう、このシチュエーションは普通なら起きなかった事だ。


 志本紗英。

 吉田玲二。


 二人の行動は確実に変化している。

 俺の「引き寄せる魔法」とやらの影響で、未来が変わってしまった。

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