ep.13 バスコ・ダ・ガマの胡椒

前回のあらすじ


Aは駅で過ごす日々を送り、かつての仲間BやCのことを考えながら、過去を思い出していた。愛知県の駅で眠りに落ちると、夢の中で道玄坂バニラが現れ、Aに「タイムリープ」の力を授けると言う。過去に戻ってやり直す力にAは戸惑うが、その提案に魅力と危険を感じる。バニラはAに、果たしていない役割があると告げ、過去に戻ることを勧める。Aはその力で何を変えるべきか悩むが、同時に希望と不安が交錯する。

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Aが目を覚ましたのは、豪華絢爛な装飾が施されたマダムの部屋だった。そうだ、そう。この部屋だった。俺が適当に流し、適当に話して、猛烈に高山に怒られたあの日。




マダムの部屋は、まるで絵画の中に迷い込んだかのような、豪華で圧倒される空間だった。天井は高く、壁一面には金箔が施された繊細な模様が描かれている。その模様は、どこか異国情緒を感じさせ、まるで中世の宮殿に足を踏み入れたかのような錯覚を引き起こす。壁を飾る大きなシャンデリアは、無数のクリスタルが繊細に組み合わされ、光を受けてきらきらと輝いていた。




部屋の中央に置かれたソファセットは、深紅のベルベットで覆われ、その上にはゴールドの刺繍が施されたクッションが整然と並べられている。ソファの足は彫刻が施された金属製で、どっしりとした重厚感がありながらも、どこか優雅な曲線を描いている。周囲には古い時代の貴族が愛したであろう、クラシカルな装飾品やアンティーク家具が点在している。例えば、隅に控えめに置かれたキャビネットには、絢爛な装飾が施された陶器やガラス製品が収められ、品格と洗練された美を感じさせる。




そして、部屋全体に漂うのは、ほのかに香る高級香水の香り。その香りは、ただの装飾ではなく、マダム自身がこの空間に魂を込めていることを感じさせる。




以前、ここにいた時の記憶が鮮明に蘇り、当時はぼんやりと流していた会話も、今はクリアな意識でしっかりと認識している。




マダムは相変わらずその威厳を保ちながら、占いの結果や最近の災害の有無について尋ねてきた。Aはその質問に反応しようとしたが、口が勝手に動き始め、以前彼がここで話した内容がそのまま口から出てくる。




「そうですね。概ね昨年の報告と同じです。地震もちょっとはあるでしょうが、特に信託には記載はございませんね。3ヶ月に一度くらい、ちょっとは揺れることもあるんじゃないですか」




Aは、自分の意識とは無関係に言葉が流れ出す奇妙な感覚に襲われた。だが、その返答はマダムの機嫌を損ねたらしい。彼女の表情が微妙に曇り、不満を示しているのが明らかだった。




「まずい…」




Aは心の中で焦りを感じた。以前は気づかなかったが、冷静になっている今ならわかる。このままでは、また同じ過ち、つまりクレームを繰り返してしまう。以前の自分はここでフォローもせず、ただ事態が悪化するのを黙って見ていただけだった。いや、むしろそれすら気づかずに仕事を「こなして」いただけだった。




自分が怒鳴られもせずににこの場を切り抜けることができたのは、ただ運が良かっただけだろう。しかし、今回は違う。Aはこの状況を打開しなければならないと強く感じた。




その時、ふと耳元でバニラの声が聞こえた。「話したいと強く念じなさい。」その言葉が、Aの心に響いた。彼女が言うように、このままでは何も変わらない。過去を変えるためには、自分の意志で行動するしかないのだ。




Aは無意識のうちに手の傷を押さえながら、心の中で強く念じた。「話したい…話さなければならない!」その瞬間、彼の口が自分の意思に従い始めた。口から出る言葉は、今のAが本当に伝えたいことだった。




「申し訳ありません、マダム。先ほどの返答は十分な情報を提供できていなかったかもしれません。今年すべきことについて詳しくお話しさせていただきます。」Aは自信を持って言葉を紡いだ。マダムの表情が少し和らぎ、Aの言葉に耳を傾け始めた。




Aは、豪華なマダムの部屋に改めて見入った。天井のシャンデリアの光が、クリスタルの反射で無数の輝きを生み出し、その光が部屋全体に柔らかな明るさをもたらしている。この部屋で過ごす時間は、まるで時間が止まったかのように特別で、現実の喧騒から離れた静謐な空間だった。そんな中、Aは慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。




「マダム、この部屋に入るたびに、私は驚嘆せずにはいられません。すべてが完璧に調和し、美と優雅さが凝縮された空間です。あなたのセンスと芸術的な感覚が、ここにいるだけで心を豊かにしてくれます。」




マダムは微笑みながら、Aをじっと見つめた。「あなたがそう感じてくれることは、私にとってとても嬉しいことですわ。私はこの部屋を、ただの居住空間ではなく、自分の一部として愛しているの。ですから、あなたのようにこの部屋の価値を理解してくれる方がいてくれると、本当に励みになります。」




Aはマダムの返答に心が和み、さらに話を続けることにした。「この部屋に漂う香りも、どこか懐かしさを感じさせます。まるで時間を超えて、遠い昔からここに存在していたかのような、そんな気分になります。マダムがこの部屋に込めた想いが、私にも伝わってくるようです。」




マダムは、目を細めて優しく頷いた。「その香りは、私が長年愛用している香水なの。部屋の空気にほんの少しだけ香らせることで、訪れる人々が心地よさを感じられるように工夫しているのよ。あなたのように敏感にそれを感じ取ってくださる方がいると、私の努力も報われるわ。」




Aは、マダムの細やかな気配りに感銘を受け、さらに彼女を喜ばせたいという思いが湧いてきた。「この部屋にいると、まるで別世界に迷い込んだような感覚になります。全てが計算された美しさで満ちていて、私はここにいるだけで自分が特別な存在であると感じるのです。マダム、あなたは本当に素晴らしい空間を作り上げています。しかし……」




Aは少し勿体ぶったように天井を見上げた。一瞬のうちに喋る内容を整理し、まとめる。前後の会話の整合性を、無理矢理にでも取る。




「先ほど、バニラ様からのお告げがありました。ほうけ、と聞こえてきたんです」




「ほうけ……」




「そう。ですから、まず私はその言葉に見を委ね、呆けてみたのです。しかし、そうではなかった。改めて考えると、ほうけ、ほうけん、ほけん……。そう、保険のことだったのです」




「保険」




「その通り。この素晴らしい家具や装飾の中で、物損や火災の保険をかけていないものはございませんか」




マダムは手をパンパンと鳴らすと、ザ・執事のような見た目をした執事らしき執事が3人飛んできた。保険はどうなの、とマダムが尋ねるや否や、膨大なファイルを取り出してきて一斉に調べ上げる。




「奥様。申し訳ございません。先月お求めになられたバスコ・ダ・ガマの胡椒のフィギュアに保険がかかっておりませんでした」




そう。マダムは嬉しそうに微笑み、Aに目線を向け、お茶を勧めた。「A、あなたは本当に心が温かい方ですね。私の部屋をこのように評価してくださる方は少ないのです。それに、今の価値だけでなく、しっかりと価値の保存について考えてくださる方は尚更です。私にとって、この部屋は単なる装飾ではなく、私自身の表現そのものですわ。それを十分に考えたお告げを聞かせてくれて、本当にありがとう」




マダムはAの言葉を聞き終えると、満足げにうなずいた。彼女の表情には、明らかに満足感が漂っていた。Aはほっと安堵の息をついた。この状況をうまく乗り越えられたことに、喜びと達成感を覚えた。




すると、マダムは高級そうなお茶菓子のおかわりを出してきた。Aはその行動に驚き、そして感情が高ぶった。これは過去にはなかったことだ。彼は確かに何かを変えたのだと実感した。




その夜、高山からの叱責の電話は来なかった。過去を書き換えることで、未来が変わる。Aはその力を手にしたことを改めて感じた。




Aはその言葉に静かにうなずき、マダムの部屋を後にした。

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