嘘でもいいから愛してみろよバカ。

ねあ

第1話 うさぎ脱走事件 ー序章ー


 私からしてみれば他の生徒と変わらない、思慮に欠けていて、いろいろ足りていなくて、どこからか湧いてきた謎の自信を身に纏った、ごくありふれた高校生だった。


 教師になって早10余年、悪くない給料とそこそこの娯楽、あとは担任を持つという忙しさに、私の日々は退屈ではなかった。嫌いじゃない生徒たち。特に近しい関係というわけでもないが、真面目に授業を受けてくれているし、突っかかってくるようなめんどくさい生徒もいない。相変わらず興味はなさげだが、模範的な高校生といえる。コツコツ受験勉強をしてくれれば、大半はそこそこの大学に進学できるはずだ。

 振り返ってみれば、教師としての理想像からはだいぶ離れたが、これが正解な気がしている。英語教師としてネイティブレベルの英語を操り、生徒一人一人に向き合って、個々の能力に合わせた教材を提供し、常に楽しく、気がついたら英語が話せるようになる、みたいな授業を展開、副作用的に生徒から絶大な支持を受ける。こんなことが実際にできる教師などこの世に一人といない。諦めたというより、気がついたわけだ。最初の三年こそ、辛く窮屈で面白みのない仕事だと思っていたが、ある程度自由に教えられるようになり、教えることに慣れてしまってからは、まあそこそこ楽しいと思えてきた。一年、また一年と流れが緩やかになっていき、今では完全に時間の流れをコントロールできているとさえ思う。目を瞑って、10秒ちょうどで止める遊びの、その延長線上に「授業」が存在していたことに、10年費やしてやっと理解できた。理想も生徒への熱も失いつつあるが、安定を手に入れた今、特に悔しいとかは思わない。人生はこういうものなのだ。だからもう、特に迷いもしなければ、憂うこともない。

 もっといえば、私は世の教師たちと比べて、マシな人生を歩いている。出会いが少ない職業柄、恋愛を捨てるか、道徳を捨てて密かに未成年を思慕するかの二択を迫られる我々は、教師間で結婚してしまうことの方が多い。そんな中私には、看護師の彼女がいる。付き合って2年を迎えようとしている私たちは、同じバーの常連だった。お互いを知ってから恋人関係になるまでに、3年以上の友人同士だった期間を経て、試しに付き合ってみることにした。俗にいうフィーリングというものが合った。特別かわいいとは思ったことはないが、大切だとは思う。二週間に一度会うを繰り返しているこの日々は、平和そのものだ。生ぬるい微風が肩を掠める。

 こういう毎日のことを、退屈だと思って嫌悪していたことがあるような気もするが、今となってはどうでもいい。平穏が私の全て。このまま人生が進んでいくことに、なんの感情も持ち合わせていなかった。


 まさか彼がこんなことをするなんて。その1フレーズに尽きた。私の平凡な高校教師人生は、たった今、一人の生徒によって脅かされている。




 うさぎが一羽脱走した。という報告を受けたのは、期末テストまで二週間を切った7月上旬だった。ウサギ小屋に8羽しかいないことに気がついたのが、うちのクラスの生徒だったというただそれだけの理由で、半ば無理やりうさぎ探しを担当することになってしまった。お世辞にも新しいとはいえない校舎の、もう使っていないプールの影に隠れて、そのうさぎ小屋はある。

 錆びた鉄柵の檻の中、無彩色のうさぎたちが囚われていて、現時点で8羽。そもそも何羽いたのかもしらいないのだが、ラビット部が言うからにはそうなのだろう。

 このふざけた名前の部活は、正式には認められておらず、図書文化部の活動の一部として位置付けられている。部員は3人で、そのうちのひとりが私のクラスの里崎ひろとだ。第一発見者でラビット部部長という肩書きも持っている。里崎に話を聞いたところ、二日に一回の餌の補充と清掃をしに、夕方6時ごろにここを訪れた際、ウサギが一羽居ないことに気がついたらしい。ところどころ穴が空いているあたり、その気になれば脱走できるようなゆるい拘束。ふと自己啓発系のYouTuberが頭の片隅に現れる。


「厳しいって。」


「何がですか?」というもっともなツッコミが飛んでくる。


「いや、この穴から逃げられたらもうなんもできないよなって話。」


 実際の思考を誤魔化すために言ったものの、実際問題逃げられてしまえば見つけ出すのは困難である。と言うのも、我が然内第二高校は山の上にあり、通学路である二車線の坂道を除いては、成人男性の丈ほどある背の高い雑草と木々に囲まれていて、この広大な自然の中に足を踏み込んだが最後、何も探し出せやしないことは火を見るよりも明らかだった。

 野球部の監督でこの道41年の大ベテラン、榊原先生は毎朝決まって、昨日無くしたボールの数を連呼する。少し短いライト側の柵を越えれば、そこに広がるのはジャングルさながらの森林地帯。このステレオタイプ丸出しの半老害教師は、部員たちにボールを探させ、見つかるまで返さないなんていう愚行を繰り返していたらしい。しかし、いくら探しても見つからなかったり、見つけたと思ったボールが数年前のものだったり、終いには足を取られて怪我をする生徒が出たことをきっかけに、ボール探しは禁止になった。私がこの学校に赴任する2年ほど前だったらしい。それを聞いた時、つい最近じゃねえか。と心の中で彼を叩いたことを今でもおぼえている。


 ウサギ小屋の周りを舐めるように見たふりをして、うーんと唸ってから「これはもう諦めるしかなさそうだな。」と言った私に、里崎がうさぎを凝視したまま口を開く。


「先生。誰かが、誰かがうさぎを盗んだんです。」


 私の予想通り、里崎の拳は硬く握られ、小刻みに震えていた。聞けば、二日に一回の清掃はほとんど、と言うか全部彼がやっていたらしい。生徒にそこまで興味のない私でも、彼がとても熱心な部員だったことくらいは知っている。残り二人のうち一人はただ名前が載っているだけの幽霊部員で、もう一人は不登校がちな里崎の友だ。たしか諸星という珍しい苗字だったような。つまるところ、実質一人で世話をしているのには、それ相応の理由があった。

 去年の秋、つまり里崎が一年生だった冬に、うさぎたちの避難場所を学校の中にしたいと相談された。その話を私は校長先生に横流しにしたわけだが、無駄に遠い校長室までの時間、なんとなく、なぜラビット部に入ったのか質問してみた。当時の私からみて、普段あまり喋らない印象だった彼は、飼っていたうさぎの話を始めた。


「おばあちゃんが死んで。近くに住んでたので結構顔は付き合わせてたんですけど。」

「なんか、話したくないなら話さなくていいからな。」


「大丈夫です。思ったより全然大丈夫だったので。」


 そんな重そうな話が校長のところまでに終わるんだろうか、という不安をよそに里崎は続けた。


「おばあちゃんとは仲が良くて、よく遊びに行ってました。で、おばあちゃんが飼っていた五羽のうさぎをどうしようかって話になって、僕が飼いたいって言ったんですけど、無理だって。その時は悔しくて、悲しくて、涙が出てきたんです。おばあちゃんよりうさぎかよって、自分でも思ったんですけどね。」


「いや、自然に死ぬか殺されるかの違いだろきっと。それにご家族の気持ちもわからなくはないから難しいな。五匹は多いもんな。」


「、、、そうですね。まあ、殺されるのを防ぐために方法を探してた時に、うちの学校にウサギ小屋があることを知ったんです。それで先輩に話して、うちのうさぎを預かってもらうことにしたんです。」


「なるほどな。てかウサギ小屋なんてあったんだなうちの学校に。」


 去年の冬までは、銭湯のおじさんが預かってくれていたらしいが、今年になって急に店を畳んで引っ越したため、冬季の引き取り手がいなくなってしまったらしい。一応家族にも相談したが、答えはもちろんNO。寒さの厳しい東北の地で、屋外では死んでしまうため、最終的に学校の中で飼う選択が一番現実的という判断だった。


「うさぎって冬眠しないのか?」


「、、、うさぎは冬眠しません。あと温度変化にも弱いです。ましては野生のウサギじゃないので、より繊細なんです。」

 そんなことも知らないのかと言わんばかりのため息をついて、里崎が言う。


「、、、冬眠しないってこと、ちゃんと校長先生に説明しろよ。」

 そう言って校長室に入って行く里崎の背中を見送った。



 5分ほどで出てきた彼の表情から、どんな答えを貰ったのかは察しがついた。生き物を校内で飼って、何かあった場合の責任を学校が取る必要がある上に、部として認められていないこともまた、理由としては十分だった。

 なんだか少し居た堪れない気持ちになって、沈黙を破ったのは私の方だった。


「うさぎって鳴くのか?夜行性だったらたまらんな。」


「、、、薄明薄暮性って言って、明け方と夕方だけ活動します。」


 そう言ってトボトボと歩き始めた。せめてもの心遣いとして、加えて少しの同情もあったからか、割と前向きに預かる道を模索してた。もし預かるとして、装備は?食べ物は?温度は?と言う具合に、ここぞとばかりに聞いてやるつもりだった。前を歩くあからさまに落ち込んでいる一人の生徒に、自分のクラスの優秀な生徒に、担任らしいことをしてやりたかった。


「まあ、うちでも一匹か二匹なら預かれるぞ。餌とか器具とかは教えてもらえれば先生が買うから大丈夫。流石に全部ってのは無理だが。ってかそもそも全部で何匹いるんd、」


「あの!」


 急な大声に肩がビクッとした。


「うさぎは、“匹”じゃないです。」


「ん?」


「うさぎの数詞は“羽”です。」


「あ、ごめん。」


 結局その冬、うさぎがどこでどう生きながらえたのか、私が知ることはなかった。ただ近くのホームセンターで、うさぎ用のゲージが売っていることを確認しに行ったことは、恥ずかしくて彼女にすら言えていない。



「そのいなくなったやつってのは、お前のうさぎだったのか?」

 そう聞くと里崎は浅く静かに頷いた。


「ところでなんで盗まれたと思うんだ?」


「鍵です。鍵の位置が違うんです。」


ウサギ小屋のすぐ隣にはステンレス製のポストがある。普段鍵はそこに入れて、ダイヤル式の施錠で管理していたと言う。


「僕とラビット部の何人かしか暗証番号は知らないんです。それに、普段僕は鍵をもとに戻す時はポストインではなく扉を開けてこうやっておくんです。」


 そう言って里崎は私に、普段のルーティーンを見せてくれた。どうやら鍵の向きも毎回決まっているらしく、鍵の細い部分をこちら側に向けて置いた。うさぎの脱走後清掃で訪れた時、鍵は明後日の方向を向いていたようだ。


「後は、ここです。」


 そう言って彼が指差したポストの内側の底には、小さな凹みができていた。鍵を上から入れた時についたものだろうと、彼は推理したのだ。

 少し感心しつつも、徐々に事件性を帯びてくるうさぎ脱走事件に、正直面倒くささを感じていた。





 警察がそのうさぎ脱走事件を、窃盗、不法侵入として調査を始めたことは、瞬く間に学校中に知れ渡った。大事ではあるが、実はそこまで大事ではない。後々知ったことなのだが、この事件は白浜警察署内で一か月前から通報が絶えない、不審者の犯行の一つとして捜査が行われていた。うさぎがいなくなる一か月半前から、黒いフードの不審者が家やら役場やら、とにかくいろんなところに現れては消えるを繰り返し、一つだけものを取ったり壊したりするという奇行が横行し、街に多くはない監視カメラにも何度か写り込んでいるものの、全くその足取りが掴めていない状況が続いていた。だからこそ、関係のないとは言い切れないうさぎ脱走事件を、結構本気で調べる運びとなったのだ。

 捜査の決め手は、里崎の証言というよりはむしろ、ウサギ小屋の鍵にあった。指紋を採取するために、証拠物として押収されたその鍵からは、里崎一人の指紋しか検出されなかった。しかし、実はそれが問題なのだ。通常指紋というのは、保存状態が良ければ何年も残るものであり、雨風を防ぐことができるポストの中では、前部長やその他の指紋も残っていて然るべきなのだ。案の定、指紋は拭き取られた形跡があり、残っていた指紋は比較的新しい里崎の指紋のみだったという。


 そこから特に進展のないまま二か月が過ぎた。夏休みは終わり、秋学期が始まり、気がつけば黒いフードの不審者も、どこかへ消えていた。日常は日常に戻ったように思えた。警察は引き続きパトロールを続けるそうだが、その黒フードが犯行をやめて失踪したという結論に落ち着きつつあった。

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