第20話 黒い手袋と想い人 3
「こんなところにいたの? 探したのよ、リリー」
「姉さん……」
涙を流すリリーと、そんな彼女になんと言葉をかけていいかわからないジュリ達、そんな沈黙を破ったのはリリーの姉、アイリスだ。
突然店を出た妹を追いかけてきたのだ。
涙を流す妹の様子に驚きつつも、アイリスは優しく声をかける。
「ほら、仕事中でしょ? こんなとこに座ってないで――」
「帰れないわ……! だって、私のせいで皆、困っているんだもの」
「リリー? それは違うわ。父さんも母さんも私達のことを心配しているだけ」
だが、リリーは姉アイリスの言葉に首を振る。
この優しい姉が誰よりも傷付いているだろうことを妹であるリリーは気付いている。
「姉さん、このあいだのフレッドさんとの話から態度が変だもの。本当は凄く苦しんでいるのに、無理しているんでしょ? ごめんなさい、姉さん」
ぼろぼろと涙を流すリリーに、エレナは不安気にアイリスを見上げる。
アイリスは目を大きく見開いた後、表情を陰らせ、ぎゅっと手袋をした右腕を左腕で握る。
「……気付いていたのね。そうね、ずっとこの跡を気にしてきたわ」
「!!」
その言葉にリリーの肩がびくりと揺れる。
長年案じ、自身を責めていたリリーだが、アイリス本人の口から直接気に病んでいたと聞いたのだ。
唇を噛み締め、リリーはアイリスの次の言葉を待つ。
「でもそれ以上にリリーや家族が大事だった。跡が気にならないと言ったら嘘になるわ。だけど、それを気にする自分も嫌だったの。ほら、手袋だってあるしね」
ひらひらと自身の手をアイリスが動かすのをジュリ達もリリーも見つめる。
白であったろうその手袋はもう生成りに近い色になり、所々に汚れが付いている。それだけ、アイリスが店の手伝いをしてきた証だろう。
「けれど、あの人との出会いで変わってしまった」
「…………」
アイリスの言葉で再びリリーは目を伏せる。
フレッドの存在がアイリスの心に変化をもたらしたのだ。
「やけどの跡がなければいいのに……そうに思うようになっていったの。でも彼は、私の行為を褒めてくれて……だから彼のこともリリーのことも避けてしまったわ。彼は私のことを高く評価し過ぎなのよ。立派なんかじゃないのに」
目を伏せるアイリスにリリーは首を振る。
「そんなことない! 姉さんは立派よ。母さんが言ってたわ。もし姉さんがかばってくれなかったら、命を落としていたかもしれないって!」
リリーを守り、やけどを負ったアイリス。もし彼女が庇っていなければリリーは全身に熱湯を浴びていただろう。
まだ体の小さなリリーであれば、命を落としていた可能性が高い。
アイリスの元へと歩き、リリーはそっと彼女の腕に触れ、額を肩につける。
手袋をしたその腕を優しく撫でるリリーは悲しみに顔を歪ませる。
「このやけどが私に移ってくれたら、どんなにいいか。私は姉さんになにを返せばいいの……」
「リリー……」
その言葉にアイリスはハッとする。
幼い頃、母は同じことを言ってアイリスを抱きしめた。
アイリスは母に抱きしめられるのが嬉しく、抱きしめ返していたが母はいつも涙を溢していたではないか。
父は誰かにからかわれ、泣いて帰ると必ず抱きしめてくれた。
愛する人はアイリスを誇らしいと認めてくれる。
そして今、妹は自分であればよかったと涙を溢す。
「私は気付いていなかったのね。こんなにも皆が思ってくれていることに」
「姉さん……」
母がしていたように、アイリスはリリーの背中を優しく撫でた。
やけどの跡で悩んでいたアイリス、だがリリーもまたそのことで長年悩んできたのだと彼女は気付く。
負ったやけどの跡は消えることはない。
しかし、そのために家族も自分も傷付き続けることないのだとアイリスは思う。
涙を溢す妹に「もう大丈夫よ」そうアイリスは呟く。
それは妹に、そして過去の自分に向けた労わりの言葉であった。
*****
「どんな付与にするの?」
夜、洗い物を終えたリリーが、一人何かを考え、座っているジュリに声をかける。
テーブルの上には黒い手袋が置かれている。
依頼主のフレッドから渡されたものだ。
「いや、付与はもう決まっているんだ」
「え、そうなの? じゃあ、なんでそんなにジュリは悩んでいるの?」
コトリと持っていたカップをジュリの手元に置く。
依頼されたのは黒い手袋に金の刺繍、フレッドの悩みはやけどを隠している彼女に、手袋を贈ることで傷つけるのではないかというものだ。
しかし、今日見たアイリスとリリーの姿からは、それも問題ないようにジュリにもエレナにも感じられた。
「初めは付与の力で傷を癒すことも出来るのではと考えたんだ。でも、それも今日の彼女達の姿を見れば、違う気がする」
「付与の力に気付かれちゃうし、それに付与で解決したいんじゃないんでしょ、ジュリは」
エレナの言葉に黙ってジュリは頷く。
付与の力を知ることで、自分自身の力や周囲の思いに気付けなくなってしまうのでは本末転倒である。
ここはお悩み相談所、授けられた付与の力ではなく、自分自身の力を信じて欲しい――ジュリにもエレナにもそんな思いが芽生え始めていた。
「よし、フレッドに相談してみよう」
「ん、なにを相談するの?」
自分のカップに口をつけ、こくりと飲みながらエレナが尋ねる。
「この手袋じゃないほうがいいと思うんだ」
「へ? 素敵な手袋だと思うけど……」
目を瞬かせるエレナだが、ジュリはもっと違うものがアイリスには似合うと感じていた。それをフレッドに提案したいのだ。
エレナの入れたお茶をこくりとジュリは飲む。
その表情は柔らかく、エレナもまた口元を緩めるのだった。
一週間後、依頼者フレッドと共にジュリとエレナもアイリスの元を尋ねる。
驚いた様子で出てきたアイリスとリリー、その様子から二人が仲直りしたことをジュリ達は悟る。
「やぁ、アイリス。突然ごめんね。これを君に受け取ってほしくって……」
フレッドが少し照れながらアイリスに手渡した紙包みを彼女はそっと開く。
「これは……なんて綺麗なの」
包みを開いたアイリスから感動の声が零れる。
近くにいたリリーからも息をのむ声が聞こえた。
フレッドが贈ったのは黒いレースの手袋だ。
繊細でしなやかなレースで編まれた黒い手袋の裾、そこには金色の糸で刺繍が施されている。
その美しさに惹かれたアイリスだが、同時に自分にこれが似合うのかという不安も抱く。緻密に編まれた黒い糸は腕全体を美しく彩るだろう。
しかし、布とは違い、肌を全て覆い隠せるものではない。
そこにアイリスは不安を抱いたのだ。
「実はね、ずっと気になっていたんだ……」
フレッドの言葉にびくりとアイリスは肩を揺らす。
そんな姉の両肩を無意識になのだろう、妹のリリーが抱き締める。
「手袋をつけていると暑いんじゃないかって」
「え?」
「いや、これからは寒くなるんだけどね。でも、一年を通して考えたらレースの手袋もいいと思うんだよ」
予想外の言葉にアイリスもリリーも目を見開く。
二人の様子に慌ててフレッドが補足する。
「あぁ、大丈夫! これからの時期用に黒い手袋もあるんだ。寒いときはこっちを使えばいいと思うよ」
一生懸命なフレッドの姿にアイリスとリリーは顔を見合わせて笑う。
この善良な青年はアイリスのやけどの跡ではなく、寒さや暑さ、手袋をつける彼女の体調を気遣っているのだ。
「――今、ここでつけてみてもいい?」
「あぁ、もちろんだよ」
姉の発言にリリーはひゅっと息をのむ。
贈り物を開けて、それを身に着ける――ごく自然な行動に思えるが、それは姉の覚悟と勇気の証である。
今まで隠していたアイリスの腕が外の冷たい空気に触れる。
震える手でレースの手袋を押さえて、アイリスは身に着けた。
「凄い! 予想していた以上に君に似合うよ。うん、素晴らしい! ……え、どうしたのアイリスもリリーも」
喜ぶフレッドの前で姉妹はぼろぼろと大粒の涙を流しているのだ。
おろおろするフレッドの姿を後ろから見ていたエレナは、ジュリに小声で尋ねる。
「そういえば、付与はどうしたの?」
「この家族と依頼者が穏やかに過ごせるように、だな」
「ふふ、それって付与がなくっても大丈夫そうだね」
「まぁ、そうかもしれないな」
ジュリとエレナは目の前のフレッド、そしてアイリスとリリー、店の奥からその様子を見つめる両親の様子を見て微笑む。
驚いていたフレッドであったが、アイリスの手に触れると嬉しそうに笑う。
「うん、レースだと手の温かさも伝わるね」
「……そうね。私にも伝わるわ」
それは手の温もりのことなのか、それともフレッドの優しさのことなのだろうか。嬉しさを噛みしめるようにアイリスは頬を染める。
そんな二人の姿にリリーは微笑みながら、少し後ろに下がる。
嬉しそうなフレッドの表情だけで、アイリスがどれほど思われているか、リリーにも両親にもそれが理解できた。
「それにこれなら、指輪も付けられると思うんだ。」
「え……?」
「手袋をしたままだと指は難しいけど、レースの手袋なら薄いし、大丈夫なんじゃないかな。サイズは少し大きめにして――」
「フ、フレッド? それってどういう……」
戸惑うアイリスに少し困ったようにフレッドは眉を下げる。
「えっと、今のじゃ伝わりにくかったかな? 一応、僕としては結婚を申し込んだつもりで……アイリス?」
自分の言葉でしゃがみこんで泣き出すアイリス、顔を押さえて泣くリリー、そして彼女達の両親まで目を赤くする光景にフレッドはおろおろとするばかりだ。
やがてフレッドはアイリスを優しく抱きしめる。
幸せな涙を流す家族の様子をジュリとエレナは静かに見つめていた。
リディルの街の雑貨屋には看板娘が二人いる。
姉のアイリスは仕事中は黒い手袋で腕を覆う。
しかし、仕事が終わると黒いレースの刺繍に付け替えて、街を歩く。
黒いレースと髪の色と同じ金の刺繍が入った手袋は、彼女の美しさを引き立てていた。その指には誰かから贈られたであろう指輪が光っている。
寒空の下、彼女を待つであろう恋人の元へとアイリスは急ぐのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます