第11話 少女達のリボン 2


「ええっと、どこまで話したかしら……あぁ、リボンの話ね。いつも私はパトリシアに見とれていたわ。彼女が笑って首を傾けるたびに、金色の髪とリボンが揺れるの――そんな私に気付いていたのね、ある日ぼさぼさの私の髪に自分のリボンを結んでくれたのよ」


 そう言いながら、アイリーンは優しくエレナの髪を梳かしていく。緊張しているのか肩に力を入れ、表情まで強張るエレナの姿がジュリには微笑ましく見えた。

 アイリーンのように魔女もよく、こうしてジュリの髪を櫛で梳かしてくれたものだ。半世紀前を振り返りつつ、ジュリはアイリーンに尋ねる。


「それがこのリボンなんだな」

「えぇ、丁寧に髪に触れられて、自分が彼女のように上等な存在になったかのように思えたわ。その日は荒れた手も気にならなくって、いつもの通りを胸を張って歩いたものよ。その日からずっと、あの頃の私はこのリボンをつけていたわ……はい、出来たわ」


 肩につくほどの短めのエレナの髪は、今は艶やかにまとまっている。それだけで、先程までの跳ねていた髪と印象が異なるから不思議なものだ。

 照れくさそうにしながらも、口元を緩めるエレナをアイリーンは優しい眼差しで見つめる。


「あ、ありがとうございます!」

「ふふ、あの頃もこうして弟や妹の髪を梳かしたものよ。ごめんなさいね、急に。なんだか懐かしくなっちゃって」


 そっとジュリの横に戻ったエレナは先程とは違い、動きまで慎ましやかに変わっている。跳ねていた髪が直っただけで、ここまで態度や気持ちも変わるのかとジュリとしては不思議な感覚である。

 まだ頬を染め、幸せそうな表情のエレナをそっとしておくことにして、ジュリは話をリボンとパトリシアとの思い出へと戻す。


「だが、それならそのあとも会うことが出来たんじゃないのか?」

「いえ、半年程過ぎた頃かしら……身分の違いもあって会えなくなったの。私も働きに出るようになって、日々の生活で忙しくなってしまったから」

「そうか……」

「でもね、そんな毎日でも彼女がくれたリボンは胸のポケットに入れていたわ。リボンがあることが誇りになっていったのよ」


 アイリーンがエレナの髪を梳いてくれたのも、かつての自分を思い起こしたためであろう。

 忙しく働く日々の中では、身を飾るリボンはつけられない。 

 しかし、胸ポケットに入れたそのリボンはアイリーンにとっての自信に繋がったのだ。


「今でもこのリボンは私のお守りなのよ」

「それから、今日までパトリシアとは会っていないのか?」

「えぇ、彼女が住んでいる場所は変わっていないはずよ。でも、ずっとお会いしていないし、正直リボンを贈っても受け取ってくださるかもわからないのよ。……そもそも私のことなんか覚えていらっしゃるか。それでも、ただ感謝をお伝えしたくって」


 古いリボンを手に取り、大事そうに触れるアイリーン。今も彼女にとってはかけがえのない思い出であり、誇りなのであろう。

 ジュリはもう片方の純白の無地のリボンへと目を向ける。あれに刺すならどのような刺繍がいいだろう。全体に刺繍を刺すには時間が足りない。両端に何か、可愛らしい花の刺繍などはどうだろう。

 既にジュリの気持ちはアイリーンのお守りをどう作るかということに向いていた。


「もう弟や妹は働きに出たり、嫁ぐ予定だったりと、ここまで来れたのはこのリボンが支えてくれたおかげなの。だからどうか、あの方が笑顔でいてくださることを願って、リボンをお贈りしたいの――私の、一方的な思いかもしれないけれどね」


 そう言って笑うアイリーンの表情はどこか肩の力が抜け、柔らかである。

 多くの事柄を背負って生きてきたのだろう彼女は今、ようやく自分の人生を歩み出そうとしているのだ。


「……花がいいな」

「え、どうしたの? ジュリ」


 突然、話とは異なる内容を呟いたジュリをエレナがちらりと見つめる。

 しかし、ジュリは一人で頷くとアイリーンを見つめた。

 じっとこちらを見つめるアイリーンにジュリは話を続ける。


「花の刺繍がいいと思うんだ。両裾に一輪、可憐だと思うんだが……」

「素敵だわ……。では、作ってくださるのね」

「ありがとうジュリ! きっと素敵なのになるね!」


 アイリーンは嬉しそうに顔をほころばせ、隣のエレナはまるで自分のことのように喜んでジュリに抱きつく。

 ムッとした表情になるジュリだが、実際には戸惑っているだけなのだろうとアイリーンは思う。

 二人の少女の仲睦まじい姿にパトリシアと自分を重ねつつ、今、彼女がどのような女性になっているのか、リボンを受け取ってくれるのかとかすかな不安を抱くアイリーンであった。



*****

 

 あれから数日、ジュリは一針に思いを込めつつ、刺繍を刺していく。

 純白のリボンの裾に一輪の花を刺せば、結んだときに風で揺れて美しいはずだ。  

 時間や価格を考えた上でのデザインだったが、刺していくたびに金の髪を持つというパトリシアに似合う気がしてくるから不思議である。

 最後の一針、想像上の二人の少女――アイリーンとパトリシアが微笑み合う姿が思い浮かぶ。

 リボンは一瞬光を放つと、その輝きは溶けるように消えていく。

 そこには両端に可憐な一輪の花がある品が完成していた。


「うわっ、光った。やっぱり付与の力はあるんだね! ジュリは凄いなぁ」

「まだ、力が十分に使えるかはわからないがな。……エレナはエレナで凄いと思うぞ。私には出来ないことを自然にしてしまう」


 アイリーンの話にじっくりと耳を傾け、ジュリが引き受けると言うと自分のことのように目を輝かせる。

 しかし、ころころと素直に変わる表情のエレナの髪は跳ね、手は荒れている。

 これはエレナが苦労をしてきた証でもあるだろう。短い髪であれば手入れをせずに済むのだ。

 苦労を重ねてきたはずのエレナの瞳はまっすぐで輝きを失わない。素直で人の好いエレナだからこそ、ジュリも心を許すことが出来るのだ。


「あ、あれかな。重いものを持てることとか? あたし、それには自信があるんだよね! あとはたくさん食べられること?」

「…………たしかにそれも私には出来ないな。まぁ、いい。完成したものをアイリーンに見せよう。これで納得してくれたなら、初仕事が完了だ」

「絶対に喜んでくれるよ! あたしが欲しいくらいだもん」


 ほら、そういうところが凄いのだ――そんな言葉を飲み込みながら、わしゃわしゃと乱暴にエレナの髪を撫でて、ジュリは寝室へと向かう。

 文句を言いながらも後ろからついていくエレナを見送って、シリウスはあくびをするとリビングのラグに丸くなる。

 主であるジュリは最近、表情が柔らかになった。

 それは間違いなく、エレナという少女のおかげである。

 魔導ランプがほのかに灯る中、シリウスも安心したように眠りにつくのだった。


 翌日、訪れたテッドに包んだリボンを渡す。再び依頼主にここまで足を運ばせないための配慮としてジョーが提案したのだ。

 依頼主は一度、ジュリとエレナの元に話をしに訪れた後は、ジョーとテッドの仕事場に顔を出すことになる。

 それを受け入れたジュリだが、これはジョーが二人の様子をテッドに確認させるためでもあるのだと気付く。

 あれこれと世話を焼くように質問するテッドは、ジョーにそう聞いてくるように言われているのだろう。カゴに入った果物まで持ってきている。


「テッド、では頼んだぞ。あぁ、ジョーに言っておいてくれ。私はこう見えても年を重ねているから、エレナの面倒くらいみられるとな」

「え! どういう意味!? 確かに料理はジュリに頼ってるけど、あたしだって力仕事とか……! あ、あと高いところの物を取ったりしてるもん!」

「む。あれは私だって背伸びすれば、取れないことはなかったぞ?」

「あたしは背伸びしなくっても取れるんですー!」


 なぜか言い合いが始まった二人にため息をこぼすテッドだが、ジュリもエレナも年相応のやり取りをしているのがなんとも微笑ましく思える。

 出会ったときのジュリは整った顔から人形のように静謐な美しさがあった。それは一種、近寄りがたさも感じたのだが、今ではエレナの言葉にむきになっている。

 エレナもまた、テッドやジョーに迷惑をかけまいと、いつも「大丈夫」そう言って笑うことが多かった。共に暮らす少女達にも役に立たないと思われないように、エレナはいつも気を張っていたのだ。

 しかし今は、ころころ変わる表情や素直さはそのままに、どこか幼い部分も見え隠れする。エレナを幼い頃から見ているテッドとしては安堵する思いである。


「あのな、ジョーじいちゃんは二人のことを心配してるの! だからこうして、俺が来ることになったんだよ。まったく、二人とも子どもだな」

「…………私のことも案じているのか?」


 不思議そうな表情を浮かべるジュリを見て、テッドとエレナは吹き出す。

 大人ぶって偉そうなことを言うジュリだが、二人からすればわかることに気付かないときがあるのだ。


「ほら、ジュリだってまだ子どもじゃない!」

「見た目だけだ。少なくともエレナより中身はずっと大人だぞ?」

「でも心配されてるもん!」



 腰に手を当て、胸を張ったエレナに頭をわしゃわしゃと撫でられ、頬を膨らませるジュリ。それはどこから見ても子どもそのものである。

 年齢を重ねてはいても、外の世界や人々とかかわってこなかったジュリ。ジョーからすれば二人の少女はまだまだ成長の途中なのだ。

 テッドは二人の初仕事である品物を丁重に受け取ると、ジョーの元へと戻っていく。

 エレナもジュリも仲良くやっている――早くジョーに伝えたい思いから、森の中を駆けていくテッドであった。

 




 


 

 

 

 

 


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