第12話 少女達のリボン 3


「お嬢様、失礼いたします」

「……どうかしたの?」


 もうお嬢様と呼ばれる年頃でもないのだが、昔からの習慣というものはなかなか変えられないものなのだろうとパトリシアは思う。

 いや、あと数週間もすればこの家を離れて嫁ぐ身なのだ。そうすれば呼び名も変わるものかもしれない。そう気付くと、自らの肩書で呼び名が変わることに奇妙さも感じる。


「私は私でしかないのに……」

「お嬢様?」

「いえ、それでなにかあったの?」


 メイドはパトリシアを見つめ、不安そうに封筒を差し出す。

 今日届いた手紙の中にパトリシア宛のものがあったのだ。

 通常は執事が内容を確認した後、問題がなければパトリシアに届けるのだが、昨日、届いた手紙は判断に困るものであった。

 そのため、メイド達に送り主を知っているかと確認があった。多くの者は封筒に記されたその名を知らなかったが、長く勤めるメイド長だけが知っていたようだ。

 そのため、この手紙を届けてくるようにと命じられたのだ。

 

「お嬢様宛の手紙の中に、リボンが同封されておりまして……質は悪くはないのですが、私どもでお相手を存じ上げないのでどうしたものかと」


 差し出した封筒とリボンをじっとパトリシアは見つめて黙ったままだ。

 それを不快ゆえのものだと判断したメイドは、慌てて差し出した手を引っ込めようとする。


「待って! よく見せてちょうだい!」

「は、はい。こちらです」


 封筒を受け取ると手紙を開き、パトリシアは書かれた文字を見る。

 整った丁寧な文字で綴られた内容は感謝の言葉ばかりである。家族の病気が回復しつつあること、弟や妹が結婚したこと、自分自身は問題なく暮らしていること、そしてそれはパトリシアとの思い出があったからだと彼女からの手紙は伝える。

 自身のことが記憶になく、戸惑うことだろう。それでもパトリシアの寛大な心に救われた者がいること、それを伝えたくペンをとったと綴られている。


「バカね、忘れるわけないじゃない」

「……お嬢様?」

「――少し一人にしてちょうだい」


 そう言われ、メイドは部屋を後にし、室内にはパトリシアただ一人になった。

 はたから見れば裕福に思えるだろうが、パトリシアの母は妾である。父は男爵であり、こうして家を与えられたがここはもちろん貴族街ではない。

 父には他に家族がいるのだ。必要なものは手に入り、不自由がないように見える生活、しかし心はいつも空虚であった。

 二十歳になり、父の紹介で結婚をすることとなった。

 十歳上の相手は父が他界し、急遽家を継いだことで婚期を逃したという男性だ。商家で生まれ育ったというわりにどこか生真面目で学者のような印象であった。

 母はそれを受け入れ、パトリシアも黙って従った。

 自由なようで不自由な生活、この家はパトリシアにとって息苦しい場所である。


「それを変えてくれたのが、あなたじゃない――アイリーン」


 窓際に立つと、子ども達が駆けていくのが見える。

 首元にはマフラーを巻いているが、風も冷たいというのに元気なことである。

 あの日もこうして、パトリシアは窓から子ども達の姿を見ていたのだ。

 ガタガタと強い風が窓を揺らす。


「あの日もこんなふうに風の強い日だったわね」


 パトリシアがアイリーンと初めて言葉を交わした日は風の強い日であった。

 だが、それ以前よりパトリシアはアイリーンを知っていた。

 この窓から、彼らの姿をいつも見ていたのだ。

 父は家にいない。母は体が弱く臥せっていることが多い。

 窓の外から見る子ども達はいつも元気そうに道を駆け、ふざけあう。自分もその中に混じれたらどんなにいいか――そう思いながらパトリシアは見つめていたものだ。


 その中に、一人気になる少女がいた。周囲の子どもから弟を守る、気丈な姿。凛々しく毅然としたその姿にパトリシアは憧れに似た思いを抱いた。

 そんな彼女があの日、自分の家の庭にいたのだ。

 風に飛ばされたマフラーを取りに来て、地面にしゃがみ込む姿――パトリシアにはそれがまるで誓いを立てる騎士のように見えた。

 震える声で名乗ると、再びここに来て欲しいと言うだけで精一杯であった。

 それから数日、何度も窓から庭を見て、彼女が来ているのではないかと確認した。用がないのに庭へと出て歩いた。

 再び会えたとき、パトリシアはどれほど感激したか。

 

 実際に会って話をすると、憧れの少女アイリーンは家事をし、弟妹の面倒を見ているという。父が早くになくなり、母も病弱なのが理由であった。

 それを知ったパトリシアはアイリーンに尊敬の念を抱く。

 自分と似た境遇にありながら、アイリーンは力強くしなやかなのだ。太陽の下、快活に笑うアイリーンの姿になぜか救われる思いになった。

 それからというもの、決まった時間に窓際から外を見るのが日課になった。

 アイリーンが通るのだ。こちらに気付くと手を振り、笑いかけてくれる。

 色のないパトリシアの世界に、アイリーンという強い光が降り立ったのだ。

 全てのものが輝き、色づいていくのをパトリシアは感じた。


 その礼にパトリシアは何かをアイリーンに贈りたいと思うようになった。

 しかし、彼女の負担になってはいけない。贈り物によっては二人の関係を崩してしまうだろう。

 ある日、強い風でアイリーンの髪が乱れていることにパトリシアは気付いた。

 髪を直すと言って、自分のリボンをそっと外して、彼女に付けたのだ。

 震える手で結ぶと、アイリーンは嬉しそうににっこりと微笑む。自分に向けられたその微笑みに、なぜか泣きたい心地になったことをパトリシアは覚えている。

 

 その日以来、アイリーンはいつもそれを付けてくれていた。

 彼女の髪に良く似合い、なぜかパトリシアは誇らしくなったものだ。

 しかし、そんな関係はすぐに終わってしまう。

 数か月ぶりに来た父がアイリーンを叱責したと言うのだ。

 

 何度も庭でアイリーンを待った――しかし、それ以降彼女が庭に足を運ぶことはなかった。

 自由に家の外に出ることは出来ないパトリシアは、それからは再び窓の外の世界を覗く毎日に戻ってしまった。

 成長していくアイリーン、いつの日からかリボンを髪につけることもやめてしまったようだ。


 

「私のことを……アイリーンは覚えていたんだわ」


 家のために嫁ぐ、それは幼き日より決められた道である。

 結婚生活というものが必ずしも幸福ばかりではないことを、幼い頃からパトリシアは知っていた。

 届いた手紙の文字をそっとなぞる。

 アイリーンの手紙と贈られたリボンからは、パトリシアの幸せを願う気持ちがひしひしと伝わってくるのだ。

 それはパトリシアにとって希望である。


「大丈夫、あなたから贈られたこのリボンと手紙があるのなら……私はどこでだって頑張れる。このリボンがいつまでも似合うように、私は胸を張って生きていくわ」


 手紙とリボンを抱きしめると、自然と涙がこぼれ落ちていく。

 しかし、それは不安からでも寂しさからでもない。

 これから生きていく上での大きな希望を得た、そんな満ち足りた思いからだ。

 暗い道も険しい道も、アイリーンの手紙とリボンが希望の光となり、パトリシアの足元を照らしてくれるだろう。

 小さくささやかな贈り物をパトリシアはいつまでも抱きしめるのだった。

 


*****

 

 

「あの、なにか問題があったのでしょうか? あ、やっぱり費用ですか! あんなに可愛い刺繍ですもんね。もう少しお値段が――」

「あぁ! お財布出さないでください! 違います、えっと、ほらジュリ!」


 慌ててバッグから財布を取り出そうとするアイリーンをエレナが止める。

 今日、アイリーンに来て貰ったのは追加の料金を要求するためではない。

 彼女にあるものを渡してほしいという依頼があってのことなのだ。


「これを依頼されたんだ。出来上がったらあなたに渡してくれ、と言われた」

「これは――あのとき、私が依頼したリボンの色違い?」


 デザインはあの日、パトリシアに贈ったものと同じだが、リボンが色や質感が異なる。黒いこのリボンの方が質が良く見える。

 それが誰から依頼されたものかは言うまでもない。

 アイリーンの瞳にはじわじわと涙がたまっていく。

 手渡されたのは丁寧に刺繍が施されたリボン。アイリーンは知らないが、それには『彼女が笑顔で過ごせるように』という同じ付与の願いが込められていた。

 

「あの方は、私のことを覚えていてくださったのね」


 微笑み頷くジュリを見て、アイリーンの瞳からはぼろぼろと涙がこぼれ落ちていく。アイリーンもまた小さなリボンを胸に抱きしめた。

 ジュリとエレナは視線を合わせ、微笑み合う。

 二人の初めての仕事はこうして無事に終了したのだ。



 同じ街に同じ年に生まれた二人の少女は立場も異なれば、人生も異なる。

 しかし、色違いのリボンは二人の縁を結び付ける。

 数年後、養護施設の支援活動を通して、再び彼女達は出会うのだ。

 それは彼女達の絆の強さでもあり、ジュリの付与の力でもあるだろう。

 再会を果たしたとき、どちらの髪にも互いに贈ったリボンが結ばれていた。

 お互いの髪に揺れる刺繍入りのリボン、アイリーンとパトリシアは人目も気にせず、抱き合い涙を流すのだった。

 

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