第10話 少女達のリボン 1


 約束の時間の少し前に、ドアをコンコンと控えめに叩く音がする。

 緊張して固くなるジュリだが、エレナがドアに駆け寄るとドアを開けた。

 訪れた女性は質素だが清潔な服装に身を包んだニ十歳前後の実直そうな女性だ。こげ茶色の瞳が輝き、きりっとしたその顔立ちを際立てる。

 

「お約束していた方ですね。どうぞお入りください」

「失礼いたします」


 現れたのが少女二人だということに少々驚いた表情を見せた女性だが、微笑むと室内へと足を踏み入れる。

 木が所々に使われた温かみのある部屋、置かれた家具も木製のものが多い。見たことがない機械もあるが、ラグが敷かれるなど居心地の良さそうな空間に、内心では緊張していた女性は安堵する。

 席に着くように促され、座ると少女達の足元には大型の犬らしき動物が丸くなっていた。


「アイリーンと申します、本日はお時間を頂き、ありがとうございます」

「私はジュリ、こちらはエレナだ。エレナ、お茶をお願いできるか」


 言われたエレナは頷くとキッチンへと向かう。

 ジュリは足元のシリウスに視線を移すと、アイリーンに向かって頷いた。

 銀髪の髪と紫の瞳、ハーフエルフの少女と初めて会ったアイリーンだが、その驚きを顔には出さない。


「大丈夫だ。この子はまだ人を食べたことがないからな」

「もう、ジュリ! その言い方は誤解を生むでしょ! ……大丈夫です。この子は優しい子なんで……ね、シリウス」


 そう言われるとまるで会話を理解しているかのように、大きな尾を振る。

 どうやらアイリーンが大型犬だと思っていたのは狼であったようだ。

 そちらには少々驚いたが、ジュリという少女の足元で横たわる銀色の狼は優しくこちらを見つめているだけである。

 淡々と事実を説明するジュリと、ころころと表情が変わるエレナ、その会話にアイリーンも自然と笑みが浮かぶ。

 少女だけだと知ったときには驚いたが、かえって気が楽だと思えてきたのだ。


「こんな可愛らしいお嬢さん達にお話を聞いて貰えるなんて思ってなかったわ。お代も書いてあった内容で大丈夫なのかしら?」

「あぁ、問題ない。金銭面で不自由はしていないんだ」

「もうジュリ!? すみません、あたし達お金が目当てっていうより誰かの力になりたいだけなんです」

「ふふ、いえいえいいのよ。私としても持ち合わせがあまりないから凄く助かるわ」


 他人とかかわってきた経験が少ないジュリは、説明や言葉選びに少し問題がある。

 軽く視線でエレナが叱るが、ジュリは小首を傾げている。

 魔女の資産の公的な手続きはすべてジョーが行ってくれたため、きちんとジュリのものとなっている。ジョーはジュリの代理人となってくれていたのだ。

 今後、ジョーに何かあればテッドに引き継いで貰うつもりらしい。

 ジュリが知らなかっただけで、ずっと助けられて生きてきたのだ。

 エレナが用意したお茶をアイリーンの前に置く。ジュリと自分の前にも置くとエレナは席に着いた。


「それでご相談をお聞きしてもいいでしょうか?」

「えぇ、相談……というかこのリボンを渡したい人がいるの」


 そう言ってアイリーンが取り出したのは、無地だが上質そうな生地の純白のリボンだ。

 そしてもう一つは古いリボン、こちらも質の良さが伝わる可愛らしいデザインである。清潔だがしっかりとした生地の衣服のアイリーンと、光沢ある上質な生地のリボンはどこかちぐはぐな印象も受ける。


「そちらのリボンは? 随分、古いものなのだな」

「これは私の宝物、あの子がくれた特別なものなの」

 

 そう言うとアイリーンは思い出を思い起こすかのように、そっと目を伏せる。

 ジュリとエレナはその話に耳を傾ける――ここは悩み相談所、まずは相手の話をじっくりと聞くのが重要なのだ。

 窓の外では木々が風に吹かれる音がする。あの日も強い風が吹く日であったことをアイリーンは思い出す。

 お茶に手を伸ばしたアイリーンはそれを一口飲むと、ふぅと息をついて口を開く。


「これは私がまだ幼い頃の話、そうね、あなた達よりもずっと小さい頃の話ね」


 テーブルに置かれた二つのリボン、そちらに視線を移すとどこか懐かしそうに目を細めて、アイリーンは思い出を語り出すのだった。



*****


 弟のマフラーが強風に飛ばされ、大きな邸宅へと入っていったのを見て、アイリーンは深いため息をこぼす。

 あれは母が編んでくれたマフラー、これから寒くなる季節にはかかせない。涙が滲んだ目をこする弟にここで待つように言って、アイリーンは駆けだした。

 当然、屋敷の正門から入っていくわけにはいかない。なにか抜け道はないかと塀伝いに歩いていくと庭の一部が生垣になっている。

 子どもであるアイリーンなら、その隙間を潜り抜けられるだろう。


 しゃがみ込み、頬や髪に枝が刺さるのも気にせず、アイリーンは生垣の間を潜り抜ける。生成りのシャツやスカート、手や膝にまで土がついてしまったが、アイリーンの表情には笑顔が浮かぶ。

 探していたマフラーを見つけたのだ。ちいさくなったセーターをほぐし、編み直したマフラーは冬の貴重な防寒具である。

 急いで駆けだしてそのマフラーを手にするアイリーン、そんな彼女に鋭い声がかけられた。


「そこで何をしているの?」


 マフラーを手に座り込んでいたアイリーンは声の主の姿に大きく目を見開く。

 そこにいたのは妖精のように可憐な少女であった。

 風にたなびく髪は空に溶けそうな金色、ふわふわとした巻き毛を愛らしいリボンで止めた少女は、その服装もまた繊細な白いブラウスと淡い水色のドレスを纏っている。

 

「――弟のマフラーが飛ばされてしまって……」

「私はパトリシア、あなたは?」

「……私はアイリーン」


 パトリシアと名乗る少女は、ドレスのポケットからハンカチを取り出すと、そっとアイリーンの頬を拭く。ハンカチもまた白いレースのついたもので、真っ白なハンカチが土汚れで茶色くなったことにアイリーンには小さな罪悪感を抱く。

 

「これで他の汚れも拭くといいわ」

「お嬢様? どこにいらっしゃるのですか?」

「行って、見つかっちゃう前に…………ねぇ、また会える?」


 パトリシアの言葉にハッとしてアイリーンは手渡されたハンカチとマフラーを持ったまま、先程通った生垣へと急ぐ。

 心配した表情の弟にそのハンカチはどうしたのかと聞かれ、手渡されたままハンカチを持ってきてしまったことにアイリーンはやっと気付く。

 数日後、アイリーンは汚れてしまったハンカチを丁寧に洗い、再びこの生垣を通ってパトリシアに会うことになるのだ。

 


*****


「そうして、私はパトリシアの元に足を運ぶことが増えていったの。生垣を抜けた先には庭木が茂り、子どもの背だと隠れてしまうの。秘密の隠れ場のようで……いつの間にかそこで二人で会うようになっていったわ」



 そう言うアイリーンの口元は自然とほころぶ。

 彼女にとって懐かしくも大切な思い出であることは、話しぶりや表情からも伝わってくる。二杯目のお茶を注ぎながら、エレナも同じように笑みを浮かべた。

 

「それがこのリボンとどうつながるんだ?」

「もう、それを今から話してくれるんでしょ! すみません、アイリーンさん」


 率直なジュリの質問にエレナが頬を膨らませる。正反対な二人ではあるが、自然体の姿にアイリーンもここまで隠すことなく話せている。

 笑いながら首を振ると、アイリーンはリボンへと視線を移す。

 所々ほつれてきたリボンだが、今でもアイリーンにとってはあのときと同じように輝いて見えるから不思議なものだ。


「そうね、リボンのお話だったわ。彼女との思い出を話せることが嬉しくって、ついつい話が長くなっちゃったわね。このリボンは彼女、パトリシアがくれたものよ。私はいつもぼさぼさの髪で、きっとそれを見かねたのね。ある日、自分のリボンを結んでくれたのよ」


 そっと古いリボンに触れるアイリーンは、ジュリとエレナへと視線を移す。

 ハーフエルフ特有の銀の髪は美しく、ジュリの神秘的な紫の瞳を引き立てる。一方のエレナは自分で整えているのか、ところどころ跳ねている。

 アイリーンは手招きするとエレナを隣に座るように促す。


「えっと、アイリーンさん。リボンのお話は?」

「そうね、それはあなたの髪を梳かしながらにしましょう。ジュリさん、櫛を持ってきてくれないかしら?」

「わ、わかった!」

「え、え、あのアイリーンさん?」


 横に座ったものの、不安げにこちらを見つめるエレナの頭を優しくアイリーンは撫でる。ちらりと手を見ると、まだ少女だと言うのに荒れているのがわかる。

 それはあの頃のアイリーンと同じ手である。

 

「話しながらでもお話は出来るでしょう?」

「えっと……その……はい?」


 ジョー以外の人に頭を撫でられるのは、どれくらいぶりであろう。

 その気恥ずかしさと込み上げてくる安心感に、エレナの目はかすかに潤む。

 バタバタと階段を降りてきたジュリに、櫛と香油を手渡されたアイリーンはエレナの髪を梳かしながら、再び少女時代の思い出を始めるのだった。

 


 

 

 

 





 

 

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