第7話 魔女の願い
ジュリの入れたお茶を一口飲むと、ジョーはふうとため息をついた。
じっとジョーの言葉を待つジュリ、その様子をエレナとテッドも緊張をしつつ見つめる。
「――魔女がお前さんを育てると言い出したときには驚いたもんだ。お前さんとも昔、何度か顔を合わせたことがあるぞ。俺がもっとずっと若いとき、今よりもっと男前だったとの話だな。最後はそう……魔女がこの世を去ったときだ」
「……! あのとき来たのがあなたなのか!」
二人のやりとりにエレナとテッドは顔を見合わせる。
ジュリは五十年前に魔女が亡くなったときに世話をしてくれた男がジョーだったことに驚く。
あのとき来た男はジュリに「本当に一人で大丈夫か」と何度も聞いて、こちらを案ずる様子であった。記憶の中にある男の顔と今のジョー、五十年経ち、全く異なる風貌になってはいるが、こちらに向ける優しい眼差しは変わらない。
今もジョーは、どこか気遣うようにジュリのことを見つめている。
「で、お前さんが思う以上に魔女は色々と残してくれているんだ。この山、周辺一帯はお前さんのものになってる。ここで暮らしてこれたのもそのためだ。――まぁ、これはあのときも説明したな」
ジョーの言葉にジュリはこくりと頷く。
魔女から譲られた家や土地、それらがあるからジュリはここで一人でも暮らして来られた。そのなかには魔女の貯えも含まれていると、かつてジョーは言っていた。
ジュリは日々の食事は畑を耕すことで得て、それ以外は森の恵みである木の実や果実、茶葉は薬草を煎じたものを飲んでいる。
「だが、すべてのものが譲られているわけではない――魔女の部屋は開かないままだろう? あれもまた魔道具の効果だ。倒れた後に、魔女から依頼を受けてな。魔道具で封じた森の幻影魔法が解けたとき、部屋も開くようになっている」
「魔女の死後、閉ざされたあの部屋がか? そもそもそれにどんな意味がある?」
ジュリの問いかけにジョーは肩を竦める。
彼も五十年前、同じように考えたのだ。なんならジョーは、ジュリをサポートしていく考えも魔女に伝えていた。
しかし、魔女の判断が変わることはなかった。
「さぁな、あいつのすることは俺にはわからないことも多かった。だが、魔女の決めたこと、必ず意味はあるはずだ」
そう言うジョーの表情はどこか懐かし気で穏やかなものだ。
魔女とジョーの関係はどのようなものだったのだろう。
疑問を持ったジュリだが、そこには踏み入れられない――ジョーの表情や雰囲気からはそんな印象を受ける。
当の本人であるジュリですら、そう思うのだ。エレナもテッドも口を挟むことはなく、静かに二人を見守っていた。
「あのとき、お前さんはここで一人で生きていくことを選んだ。しかし、魔女が同じであったとは俺は思わない。それに今の時代なら、お前さんは人や社会とかかわりを持って生きていけるんだろう」
「どういう意味だ?」
「――保護法が出来たんだ。あらゆる種族の権利を認めると定めた国際権利保護法だ。国によって立場や考え、価値観の違いはあるが保護法の下ですべての種族が守られる。三十年ほど前に出来たその法には多くの国が加盟している。この国アルランもな」
驚くジュリだが、隣にいたエレナは力強く何度も頷く。テッドは心配そうにジュリとジョーを交互に見ている。
保護法が出来た後に生まれた二人にとっては、どんな種族であろうと自由に生きる権利があるというのは当然の考えだ。
特にこの街リディルには港があり、冒険者や商人が多く訪れる。そのなかには獣人も多くおり、街の空気は寛容である。
テッドもハーフエルフであるジュリに驚きこそすれ、対応は問題ない。どちらかといえば、テッドは森の変化や家にある魔道具への関心が強いくらいだ。
「お前さんが街に出ても、めずらしさから注目は集めるだろうが危険はないだろう」
「…………しかし」
「もちろん、無理強いするつもりはない。それに時間が経てば、この魔道具は再び起動する。そうすりゃ、今まで通りこの森も迷いの森に戻るだろう」
「え、じゃあジュリに会えなくなっちゃうの!?」
エレナが驚いたように大きな声を上げる。向かいに座っていたテッドが気遣うように見つめながら、話しかける。
「……エレナが森に入った後、そのあといくら森に入ってもここに辿り着くことは出来なかったんだ。こうしてここに辿り着けたのが、ジュリさんの力と魔道具の効果なら、また同じように迷いの森に戻ると思うよ」
テッドの言葉に自身が不在の間、それほどまでに心配をかけていたのだとジュリは視線を下に向ける。
一方でジュリと会えなくなる悲しさもエレナにはある。
「まぁ、今後を決めるのはお前さん次第だ……長話が過ぎたな。俺達は街へと戻る。明日、またここへ来るからそれまでに少し考えをまとめるといい」
「あぁ、すまないな」
ジョーの言葉にジュリは頷く。そんなジュリをエレナは不安げに見つめるが、テッドに促され、家をあとにする。
去っていく三人の後ろ姿が小さくなくなるまで、ジュリは見送る。
遠くなっていくその姿にジュリはなぜか不安になる。
その気持ちが心細さだと、ジュリはまだ気付かずにいた。
*****
人気のない森、ジュリの家の周囲には夜になると星灯りしかない。
魔導ランプを灯しながら、ジュリはほうっとため息を溢す。
ジョーの言う通り、魔女の部屋には入ることが出来た――五十年振りのことである。そこは魔女が生きてきた頃と何一つ変わらず、ジュリはなぜかぎゅっと胸が締めつけられるような思いになった。
ベッドサイドのデスクには一通の封筒が置かれていた。ジュリ宛のものである。
それを一階のリビングにまで持って来たジュリだが、封を開ける勇気がなかなか出てこないのだ。
真っ暗な窓の外を見つめるジュリの手をシリウスが舐める。
「――わかったよ。これは魔女から私への手紙だ。ちゃんと目を通さねばな」
ジュリはそのまま、窓際の床にぺたりと座り込む。その隣に寄り添うようにシリウスも座った。
白い飾り気のない封筒に『ジュリへ』と整った美しい文字で書かれている。
震えそうになる手でジュリはそっと封を開けた。
「――あの人の文字だ」
真っ白な便箋に綴られたその手紙は、ジュリを一気に五十年前へのあの頃へと連れていく。少し緩むジュリの口元、隣に座るシリウスはそんな彼女を見守っている。
旅立つ少し前、魔女が綴ったその手紙をジュリは小さな声で読み上げていった。
*****
“ この手紙をジュリが読んでいる今、どれほどの時間が経っていることでしょう。
私がいなくなってもハーフエルフとして生まれたあなたが、一人で生きていけるよう様々なことをあなたに教えてきましたね。
それが間違っていたのか、正しいのか、今の私にはわかりません。
長い日々を一人で生きて来た私が、このようなことを考えるのは矛盾しているのかもしれない。
それでも、私はあなたに誰かとかかわる生き方も経験して欲しい――そう願ってしまうのです。
それは私のこれまでの日々がジュリ、あなたと出会って変わったからです。
人の中で生きることに疲れ、森で暮らし始めた私は魔道具を使い、この森を迷いの森へと変えた。
一人で過ごす日々、それでも傷付き疲れた私には心地よかった。
ときおり友人も訪ねて来てくれたしね。
だけど、あなたを森で見つけてからそんな日々も一変しました。
小さな命が成長していく日々、あなたの手の温もり、小さな寝息、私を見つめる紫の瞳にどれだけ助けられたことか。
十年、あなたからすれば短い時間だと思います。
けれど、私は幸福だった。
あなたにとってはどうだった?
困難に出会うだろうあなたが、一人で生きられるよう厳しいことも言いました。
それでも、私はあなたが誰かと過ごす未来を信じてみたい。
今、そんな思いを抱いています。
きっと身勝手だと思うでしょうね。
でも、選択が出来ることは悪いことではないとも思うんです。
書き始めてみたら、思っていた以上に長くなってしまったわ。
最後に伝えたかったことを書いて終わりにします。
私と過ごしてくれてありがとう、ジュリ。
そうそう、あなたの名前の由来も教えるわ。
私の国では公的な機関で、生まれた子どもの届け出を『ジュリ』するの。
受け取って認める、そういう意味ね。
私があなたの誕生を認め、受け止める。
だから大丈夫よ
それじゃあね。
未来の世界に希望を託して。
広瀬あかり ”
手紙の最後に書かれた文字は、ジュリには読むことが出来ない。
魔女の母国の言葉なのかとジュリは指でそっと、『広瀬あかり』という文字をなぞる。
「ジュリ……認めて受け入れる」
知らなかった魔女の思いにジュリの目には涙が滲む。
多くのことを魔女に教わった。厳しいと思うことなどジュリにはなかった。
今振り返ると、教わった全てが必要なことだったのだから。
「魔女はずるい、私は知っているんだ。誰かと過ごす日々の安心感を――あなたがそれを教えてくれたんじゃないか」
手紙と魔女の願い、そして名付けの意味にジュリはいかに自分が魔女に愛されていたのかと、五十年経った今、実感する。
魔女が救い、受け入れてくれた命。これからどう生きるのか、どう人とかかわっていくのか、付与の力をどう使うのか。
考えなければならないことは多くあるが、それでもジュリの思いは定まっていく。
手紙を読む前と全く違うジュリの引き締まった表情を、横にいるシリウスは満足気に見つめ、ゆらゆらとしっぽを揺らした。
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