第5話 魔道具師ジョーとその弟子テッド
「……終わった。これで私は人間たちに攫われてしまうんだ」
「そうならないように主を私が守ります」
「え、今、喋った!? え、誰? まさかシリウスじゃないよね?」
「すまない。エレナには話していなかったな。今、話したのは間違いなくシリウスだ……驚くのも無理はない」
どんよりと落ち込み、涙するジュリをシリウスが慰めるが、その様子にエレナは驚愕する。
毛の色や体の大きさこそ変わったものの、狼だと思っていたシリウスが喋り出したのだから無理もない。驚きと恐怖でここを去ってしまうのではとジュリは眉間に皺を寄せる。
だが、ジュリの予測に反してエレナは目を輝かせた。
「うわぁ! ねぇ、ジュリ。これって魔法? ジュリの付与の力の効果かな?」
「えぇ。主の付与の力に名付けの効果が強く影響したでしょう。まぁ、それだけ主は私のことを思い、付与の力が大きく作用したことになりますね」
「え、シリウス賢そう! 凄い! ジュリの力って凄いんだね!」
「そうです! 主は凄いのです!」
得意げに胸をそらすシリウスと興奮しつつも普通に会話をするエレナ、その様子にジュリの涙も引いていく。
ハーフエルフであるジュリを見たときも、エレナはさほど驚きもせず、今回もまたシリウスが話す驚きよりもその事実に興奮している印象が強い。
ごく普通の少女に見えたエレナだが、なかなか肝が据わったところがある。
そんなジュリの思いを察したのだろう。エレナはぶんぶんと首を振って、説明をする。
「違うの! あたしの知り合いに魔道具に詳しい人がいるって言ったでしょ! いろんな研究してるから! きっとシリウスを見たら驚くだろうなぁ」
「魔道具に詳しい者とはまだ知り合いなのか!?」
ジュリはその言葉に大きな反応を示す。
先日より、魔道具の不具合が気になっていたのだ。魔道具師の知り合いもおらず、不調を直すことは流石のジュリでも不可能である。
エレナを森で見つけたその日も魔道具の不具合があった。森との距離が変わった今日もまた魔道具の音が大きく響いた。
なんらかの問題が起きているのは間違いないのだ。
「うん、ジョーじいちゃんとその教え子のテッドだよ。じいちゃんは昔からあたしの面倒を見てくれた人で、テッドはあたしにとっての幼馴染みたいなものかな? きっと二人とも心配してると思うから、このあと会いに行くんだ」
「そうか……。一週間も連絡が取れなければ、心配しているだろう。早く戻った方がいいな」
しかし、エレナは気遣うようにジュリを見たまま、その場から動こうとしない。動揺したジュリをそのまま一人、置いていくのが気が引けたのだろう。
ジュリはくすりと笑うとエレナに言い放つ。
「私はハーフエルフだぞ。こう見えても長く生きているんだ、こども扱いするな。――それにほら、シリウスもいるからな」
そう言ってジュリは寄り添うシリウスの頭を撫でる。
「……うん、そうだね。でも、なるべく早くここに戻ってくるよ」
そんなジュリとシリウスの姿に少し安心したのか、エレナは少し笑みを浮かべて答えた。
優しい微笑みに心を見透かされたような心地になり、ジュリは落ち着かない。
エレナがいなくなることに、ジュリは寂しさを感じないわけではないのだ。
「じゃあ、行ってくるね!」
そう言ってドアの方へと向かうエレナに、ジュリは再び声をかける。
彼女に頼みたいことが一つある。だが、それはジュリにとっては危険な挑戦でもあった。
「――エレナ、その二人というのは信頼できる人物なのだろうか?」
「もちろん! ずっとじいちゃんには世話になってるしね」
「……そうか、なら頼みたいことがある」
少し緊張しているのか、先程よりジュリの声は低い。
突然の申し出に、少々驚きを見せたエレナだが、にこりと笑うとジュリに尋ねる。
「なに? どんなお願い?」
「その二人をここに連れてきては貰えないだろうか?」
それはジュリにとっては賭けに近い。
エレナにとって信頼できる人物であろうとも、ハーフエルフという特殊な事情を抱えたジュリにとってそうであるとは限らない。
魔女から聞いた話では人はエルフやハーフエルフを悪用することは、めずらしい話ではないというのだ。
隣で見上げるシリウスの瞳には心配の色が浮かぶ。
「わかった! ジョーじいちゃん、本当に魔道具に詳しいからきっと直してくれると思うよ! あたしからも頼んでみるね、ジュリには助けて貰ったもん!」
「あぁ、頼んだよ。エレナ」
「街に帰ったらすぐに話してみるけど、そうだな……明日、明後日には必ずここに来るよ。もし断られても、そのことをジュリに報告したいし。じゃあ、行ってくるね!」
家を出たエレナは元気に駆けだしていく。その後ろ姿をジュリは見送り、そっとドアを閉める。
エレナがいなくなると再び室内は静けさが戻る。
今まで通りといえばそれまでなのだが、ジュリにはそんな部屋が寂しく感じられた。
「よかったのですか? 主。あのようなことを頼んで――」
「仕方がないことだ。このままではいずれ、人がこの森に入ってくるだろう。それなら、エレナが信頼できる者達に魔道具を見て貰った方がいい。……結果はどちらも同じなのであれば、私はエレナを信じてみようと思う」
その言葉にシリウスはそれ以上、何も言葉を返すことはなかった。
人、いやエレナへの信頼が今のジュリにはある。それは二週間前では考えられなかったことだ。
誰かを信じる心をジュリはエレナを通し、学んだ。
それはかつて『魔女』の存在がジュリの気付かぬうちに与えてくれたもの、温もりや安心感をジュリはエレナとの関係で得ていたのだ。
長く生きてはいるが、誰かとかかわりを持つことのなかった少女ジュリ、そんな彼女の小さな成長をシリウスは温かな眼差しで見守るのだった。
*****
翌日の午後、ジュリはノックの音と大きな声に玄関へと向かう。
木で造られたこの家だが魔道具があるため、大きな声で呼ばずとも来訪者はすぐにわかる。
そのことを知らぬエレナは声を張り上げているのだろう。ドアを開ける前から、そんなエレナの様子が目に浮かび、ジュリは笑いを堪える。
見知らぬ人物が訪ねてくる恐ろしさは、エレナの明るい声で一気に吹き飛ぶ。
「ジュリ―! 約束通り、訪ねてきましたよー! エレナだよー!」
「――そんなに叫ばなくとも聞こえている」
「ジュリ! だってほら、知らない人だと心配だし、開けられないでしょ? 女の子一人なんだから!」
ドアを開けて小さなため息を溢すジュリだが、どうやらエレナなりにジュリを気遣っていたらしい。それはハーフエルフであるジュリが抱える不安とは、少しずれているのだがエレナらしい優しさである。
こちらを見て、天真爛漫に笑うエレナに気恥ずかしくなったジュリは、同行してきた者達へと視線を移す。
「――無理を言って来て貰ってすまない。私はこの家の主ジュリだ。どうぞ、入ってくれ」
「……いや、エレナが世話になったんだ。なんてことはない。俺はジョーだ。こっちの若いのはテッドだ。おい、テッド。ぼーっとしてんじゃねぇ」
ジュリの姿に驚き、目を丸くしたテッドを軽く注意するジョーだが、彼本人は特にジュリに反応を示すことはない。どちらかというと白銀の狼シリウスに驚いた様子で、じっとその姿を見つめている。
軽くエレナに睨まれて、肩を竦めるテッドだが、ジュリとしては当然の反応なので特に気を悪くすることはない。
むしろ、エレナやジョーの反応の方がジュリとしては予想外なのだ。
「いや、いいんだ。気にしていない。三人とも中に入ってくれ」
「…………そうか。変わったんだな、色々と」
ジョーの小さな呟きはジュリの耳には聞こえなかったようだが、シリウスは三角の耳をぴくりと彼の方へと傾ける。
ジュリの容姿からはハーフエルフであることがすぐにわかる。
それにもかかわらず、ジョーが驚きを示さないのは、ここにハーフエルフが住んでいることを知っていたからではないか――そうシリウスは考えたのだ。
敵意や害意は感じられないこの老人の動向を警戒しつつ、その斜めをシリウスは歩く。
続けてテッドやエレナが部屋に入り、ドアを静かにジュリが閉める。
この部屋に自分以外の者がいること、またそれを望んだのが自分自身であることに、少々不思議な感情を抱きつつ、ジュリは彼らに席に着くように勧めるのだった。
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