第4話 ジュリの涙
シリウスを包み込んだ光に驚くジュリとエレナだが、その次に起きたことに再び自分達の目を疑う。
ゆっくりとシリウスが目を開いたのだ。
その茶色い毛はジュリと同じ白銀へと変化していく。
「凄い……魔法みたい……。ううん、これはジュリの力なんじゃないかな? だって、ジュリの刺した刺繍が光ったんだもの」
エレナの口からふと洩れた言葉、ジュリもまた同じような思いを抱く。
なぜこのようなことが起きているのか、理解が追いつかないジュリだが、シリウスはゆっくりと立ち上がるとジュリの頬の涙を舐める。
その温もりに再びぼろぼろとジュリの目からは涙が零れていく。
はらりとシリウスの体からすべり落ちたスカーフは光を失った。
「――以前、魔女が言っていた。私は魔力がないのではなく、それを外へと解放できないのではないかと。そのときは、使えぬのならどちらでも同じだと考えていたが……」
「あったんだよ、魔力。それに使えたんだよ、その力をジュリは! この子シリウスを助けるために。それと多分、名前を呼んだことも大きいと思うよ。前に魔道具師の人が言ってたんだ。魔道具も名前を付けることで完成するんだって! 名付けには特別な力があるっていうもの」
「名付けの力か……魔女も似たようなことを話していたな」
彼女にジュリという名を与えた魔女も同じようなことを話していた。
ジュリが狼に名を付けることを躊躇ったのはその記憶も影響していたのだ。
おそらくはジュリの眠っていた魔力が、名付けと刺繍によって解放に繋がった。一針ずつ、思いを込めた刺繍に知らず知らずのうちに、ジュリは願いを込めていたのだ。
この狼シリウスが再び立ち上がることを、ジュリが心の底から祈っていたためである。
シリウスが生きている喜び、そして自分にも魔力はあったのだという二つの安心感。ジュリは大きな声を上げて泣く。
その小さな背中をエレナはずっと撫で続けるのだった。
*****
「刺繍の道具や図案っては魔女が残したものなんだよね? じゃあ、きっとジュリのために集めたものなんじゃないかな? もしかしたら、図案も貴重なものなんじゃない? え、どうしよう! あたしなんかが気軽に触っちゃダメだったのかも!」
「……とりあえず、落ち着け。ほら、もう準備は済んだのか? 忘れ物はないんだな?」
慌てるエレナを落ち着かせるように荷物の確認を促したジュリだが、彼女とて先日起こった出来事を頭の中で上手く整理できずにいる。
隣にはジュリと同じ、白銀の毛並みの狼シリウスがいる。気のせいか、一回り体が大きくなった印象だ。
体調が回復したエレナは今日、街へと戻る。
ここ数日天候も安定し、街へと帰るならば今が良いと二人は判断したのだ。
「名付けをしたことと、思いを込めて刺繍を刺したことが魔力の開放に繋がった――それが今のところ有力だな。それ以外に今までと違うことなどしていないのだからな」
ジュリの言葉に同意するように頷くと、エレナはそっと手を差し出した。
その意図がわからず、ジュリは目を瞬かせる。
「なんだ? その手は?」
「握手! こういうときは握手をして『またね』って言って別れるものなんだよ」
「――いや、だがしかし、また会うことはないだろうし……」
「え! あたし、また来るつもりだよ!? ほら、ジュリのご飯美味しいし、それにシリウスとも、もう仲良くなったもんね」
エレナの言葉を肯定するかのように、 白銀の狼シリウスはしっぽをぶんぶんと振る。
ジュリはエレナに戸惑いつつ、そっと手を差し出す。ジュリにはよくわからないが、これが人の礼儀なのだろうと思えたのだ。
にこりと笑ったエレナはぎゅっとジュリの手を握る。その温もりとまっすぐな眼差しに少々ジュリは戸惑う。
「たとえ、短い時間でも儚くっても思い出はずっと残る――あたしはそう信じてるんだ」
確信に近いエレナの言葉に、ジュリはじっと彼女を見つめる。
「もうあたしには父さんも母さんもいない。でもね、一緒に過ごした記憶があるでしょ? そんな幸せを噛みしめて、あたしは生きていくんだ」
そう言ってエレナは歯を見せて笑う。その言葉に嘘はないのだろうとなぜかジュリには感じられた。
自分とは正反対の考えだとジュリは思う。失うのも儚いのも恐れて、ジュリは誰かと深くかかわることを望まずにいた。正反対だからこそ、エレナの姿勢は好ましいのだろうかとジュリは不思議に思う。
「じゃあね、ジュリ。また絶対来るからね!」
「……本当にまた来るのか? 私は一人でも大丈夫だ。なんでも不自由なく自分で出来るんだからな」
「でも、あたしはジュリにまた会いたいし!」
「……勝手にすればいい。だが、今度森で迷っても知らないぞ」
「そのときはまたジュリが助けてくれるから大丈夫!」
そう言うとエレナは背中を向けて歩き出す。
遠くなっていく姿になぜか寂しさを覚えたジュリは「ではな!」そう大きな声で言うと、扉を閉めた。
そんな主人に呆れたように白銀の狼シリウスがジュリをちらりと見る。
「主、よかったのですか? あのような別れ方をなさって」
「し、仕方ないだろう? あれ以上後ろ姿を見ていたら私は……!」
「ふむ、主ならば寂しさで泣いたでありましょうな。私との別れのときも同じ、素直になれぬだけでお優しい御方ゆえ」
「喋られるようになったら、急に生意気になったな……」
ぶつぶつと文句を言いながら、ジュリは席へと着く。
白銀の狼となったシリウスは会話をするようになった。彼曰く、念話というらしく実際、声に出しているわけではないそうだ。
念じて思いを飛ばすことでどうやら、意思疎通が図れるらしい。始めこそ驚いたジュリだが、ここ数日で随分と慣れた。
「なに、今までと変わりませぬ。主と私は言葉を交わさずとも、お互いの意思を通じ合わせることが出来ていたのですから」
「……そうだな。今までと変わらないのかもしれないな」
今までも名を呼びこそしないものの、ジュリはシリウスに話しかけてきた。そうして一人と一匹で過ごしてきたのだ。
エレナがいなくなって少し広く感じられる部屋だが、彼女はジュリに約束をした。
それがいつになるのかはわからない。
だが、長い月日が経とうともハーフエルフのジュリにとっては大したことではない。エレナのあの屈託のない笑顔を再び見られるのなら待てる――そんな気がジュリはしたのだ。
「……いや、あの子はまたここに来れるのか? また迷子になったり、途中で倒れたりしないだろうか?」
「そのときは助けましょう、私と主で」
急にそわそわとしだしたジュリを宥めるようにシリウスが言う。
ついこの間まで一人と一匹で過ごしてきたのだが、エレナの存在はジュリの中でいつの間にか大きなものとなっているようだ。
シリウスの言葉にほんの少し冷静さを取り戻したジュリは、彼のスカーフの刺繍に視線を移す。
「刺繍の模様に意味があるのか、それとも私の思いに反応しているのか――それを確かめねばな。試しに同じ図案で他のことを考えて、刺繍を刺してみよう。何がいいかな……」
「では主、エレナさまとのご友情が長く続くようにと願うのはいかがでしょう」
「――却下だな。そうだ、健康にするのはどうだ? エレナの健康だ。……まぁ、力は人より強いみたいだが、健康は必要なものだからな」
さっそく、刺繍に取りかかろうと糸と生地を考えるジュリの耳に、突然ドアが開く音が聞こえる。
驚いて振り返るとそこには息を切らせたエレナの姿があった。
「まさか、本当に何か忘れたのか? 荷物なんてバッグ以外になかっただろう?」
そんなジュリにぶんぶんと首を振ってエレナは否定する。
彼女が今、伝えたいのはある一大事なのだ。そのため、ここまで休むことなく走ってきたのだ。
「違うの、大変なの!」
「なにがだ?」
見たところ、エレナが怪我をした様子もない。
しかし、ここまで慌てて戻ってきたのだ。何かどうしてもジュリに伝えたいことがあるのだろう。
ジュリは黙って、エレナの呼吸が落ち着くのを待つ。
「落ち着いて聞いてね」
「あぁ、エレナも落ち着くようにな」
水か何か、飲み物を渡した方が良いだろうかと考えつつ、ジュリは答える。
まだ少し肩を揺らしながら、エレナは真剣な表情でジュリに伝えた。
「この森、街とすっごく近い!」
「…………は?」
「だから! この森から街が見えちゃうくらい、すっごく近くにあるの!!」
「はあっ!?」
エレナの言葉に慌ててジュリは走り出す。自分の目で確かめるつもりなのだろう。
そのあとを白銀の狼が追っていく。
「だから落ち着いてって言ったのに!」
そう言ったエレナはふぅと息をつくと、再び走り出す。
小さなジュリとその後を追う狼、そのまた後ろをエレナが追って走っていくのだった。
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