第43話ご入学おめでとうございます
ベルロック以外の教師達は、教壇を挟んで左右の壁際に並ぶ。
その中の一人を見たとき、アイラは一目も憚らず思わず立ち上がってしまう。
「そこ! 席に着け!」
即座に注意され、講堂にいる全員の視線を一身に受けながらアイラは席に着く。
アイラがそうしてしまったのも無理はなかった。
なぜなら、教師達に混じってイルゲンの姿がそこにあったからだ。
アイラは、駆け寄りたい気持ちを抑えてなんとかイルゲンとコミュニケーションを取ろうと、睨み付けるような勢いでイルゲンを見つめる。
当然、注意を受けたことによってイルゲンもアイラの存在に気が付いており、周りに気付かれないようそっと微笑みかけるのだった。
アイラは、メガネの奥に笑顔を見つけると、胸が高鳴りなんとも言えない高揚感に包まれた。
そんなアイラの奇妙な一連の動作を見ていた三人は、アイラの行動がおかしくてしかたなかった。
「ねぇアイラやめてよ。さっきから何してるの?」
ルルが小声でアイラを注意する。
「ん~ん。なんでもなーい」
「緊張でおかしくなっちゃったんじゃない~?」
「いえ、私には分かります。素敵な殿方を見つけたんですね」
「え~? まぁ、それはあんまり否定できないと言うか」
「うそ? それ本気で言ってるの?」
「やっぱり私の見立ての通りですね」
四人は、小声で話しているつもりであったが、静寂に包まれている講堂では、内容は分からなくてもノイズとしてベルロックの耳に届いていた。
「どうやら、元気のありあまってる奴らがいるようだな」
教壇から飛んできたその言葉が、自分達に向けられたモノだと分からないほど彼女達も馬鹿ではなかった。
怯えるように萎縮する四人を見て、ベルロックは視線を講堂全体に向けた。
「一部は既に面識があるが、殆どの者は偉そうに突っ立っているあのオバサンは誰だろうと疑問に思っているだろうから、挨拶から始めようじゃないか。初めまして、私はケイエス・ベルロック。このアルデ王立魔術学校の校長だ。これから一年間共に過ごす者として名前くらいは覚えて頂きたい」
と、それまで大人しくしていた貴族の一部がにわかに騒がしくなる。
「どうやら、私に対して色々思うところがあるみたいだがそれは後で聞こう」
それを聞いて、また講堂は静寂に包まれる。
「さて、今更説明するまでもないが、本校の目的は、お前達全生徒を魔術師として鍛え上げ、グリスデンと戦わせることだ。つまり、一年後にはここにいる全員が戦場に立っていることになるが、ここにいる殆どの者は、魔術を使ったことなど無いだろう。なに、それが普通だ恥じることはない」
すると、ベルロックの目線が一瞬だけ貴族達に向いた。
「しかし、中には既に魔術に触れ、独自に鍛練を積んできた者も居る。と言うことはだ、今この場において技量に差が生じている訳だ」
ベルロックは、背を向けてチョークを手に取ると黒板に一本の横線を引き始め、更に線上に垂直な短い線を一本書くと皆に向き直る。
「馬鹿にでも分かるように説明すると、この短い線がここにいる大多数の魔術に対する理解度だ。だが、さっきも言ったように一部の者はこのように先に進んでいることになる。いや、もっとかもしれない」
そう言いながら、ベルロックは短い線の横に三つほどまばらな長い線を書き加える。
「見て分かる通り、殆どの者はここに生まれた差を埋めることから始めなければならないが、先に進んでいる者も当然同じ時間だけ鍛練を積むのだから、困ったことになかなか差が縮まらないなんてことが起こるかもしれない。どうだ? まだ始まったばかりだと言うのに不安になってきたか?」
一人一人の顔を確認するように、ベルロックは講堂を見渡す。
「だが、安心してほしい。こんなものは気にしなくていいからだ。なぜか分かるか?」
そう言いながらベルロックは、黒板に近づくとスイッチを切り替えたように険しい表情を浮かべる。
「お前達など私から見れば等しくゴミだからだ! いいか? ここに来るまでに積み上げて来たものなど、戦場に出れば糞の役にも立たん! 少し魔術を聞き齧った程度で優位に立っていると思っている奴は、今すぐその甘い考えを捨てろ!」
ベルロックが、黒板を手のひらで強く叩き、その音が講堂に響く度にアイラ達の背筋が凍る。
「まずは己が無力な弱者だと自覚することから始めろ! それが出来ない奴は私に言え。頭で理解できずともその体に理解させてやる!」
ベルロックの迫力は、脇で構える教師達の中にも唾を飲む者がいるほどだった。
「ここにいる間、教師の存在は絶対だ! 我々を神と崇めるくらいの気持ちでいろ!」
それまで鬼気とした表情をしていたベルロックが、急に冷静さを取り戻したように静かな顔になるとゆっくりと口を開く。
「そうすれば、一年後に全員揃ってグリスデンの土を踏ませてやるくらいのことはやってやるよ」
皆黙ってベルロックを見ていた。
ベルロックも皆を見ていた。
ベルロックは、ゆっくりと教壇につくとフッと息を吐いた。
「以上、長々とすまなかったね。そうそう、紹介が遅れたが彼らがお前達を指導してくれる教師達だ。個別の紹介は~、それぞれの授業で行おうか。さて、ここまで一方的に話してしまったし、何か意見や質問があれば挙手してくれ」
当然、あんな演説があったばかりで素直に手の上げられる者など居なかった。
しかし、少し待つと一人の少女がスッと手を上げた。
「お、そこの君、名前は?」
その少女は、まるで修道女のような黒い服装に身を包んでおり、歳もアイラより幼く見えた。
「ヒルデオン教会のイルネです」
ベルロックが続けるよう促すように手を差し出すと、イルネは緊張をほぐすように軽く息を吸い込んだ。
「校長先生は、この学校に来るまでに行ってきた魔術の鍛練を無駄だと言いましたが、私にはそうは思えません!」
まさかの発言に講堂がどよめく。
「静かに! 今イルネが話しているだろう。すまないイルネ、続けて」
「私は、教会にいる間先輩方が魔術の習得のために厳しい鍛練を積まれている姿を見てきました。それを、無駄なものだったとは言いたく無いんです!」
見れば、イルネの横にもう一人同じような格好をした少女が座っていた。
「なるほど。確かにその目で見てきた物を否定しなければいけないのは辛いものだ。良く分かるよ」
そう言いながらベルロックは、教壇から離れるとゆっくりとした足取りでイルネに近づいていく。
「だがな、そんな甘い感情を持ったまま生き残れるほど、あの戦場は優しくないんだよ」
「でも!」
ベルロックは、イルネの目の前に立つと静かに彼女を見つめる。
黙っていても伝わるベルロックの圧に、イルネはたじろいでしまう。
「そこまで言うなら見せてみろ」
「え?」
「厳しい鍛練とやらの成果を見てやるから、私に魔術を使ってみろと言ってるんだ」
ベルロックの顔を見れば、それが冗談ではないと誰もがすぐに分かった。
「え、え?」
どうしたらいいのか分からなくなり、イルネは助けを求めるように周囲を見回す。
「こっちを見ろ! 今は私と話してるんだろ?」
「止めてください!」
その叫びは、イルネの横に座るもう一人の修道女から出たものだった。
「座れ、私はイルネと話をしてるんだ」
「違うんです!」
「違うものか! さぁどうしたイルネ、私は避けんぞ」
「イルネはまだ魔術を習ってないんです!」
「なに?」
驚きのあまり、ベルロックはイルネと少女の顔を交互に見る。
「ほんとに?」
イルネが小さく頷いたのを見ると、ベルロックは突然高笑いし始めた。
「あっはっはっはっは! 呆れた。魔術が無いのに喧嘩を売ってくるとは、その根性は評価してあげるよ」
その様子に、戸惑いながらもイルネはベルロックの方を見た。
「だがな、自分で魔術も使えないくせに、あんなことが言えるなんてお前はやっぱり甘いよ。イルネ、魔術が使えるようになるまで待ってやる。もしその時になっても今の考えが変わらなかったら、もう一度私のところに来い。分かったな」
「はい......」
「宜しい。さて! 他に私に聞きたいことがある者は! ......居ないようだな」
静まり返った講堂に、ベルロックが教壇に戻る足音だけが響く。
「さぁ、お前達はこれで晴れて我が校の生徒になった訳だ。ご入学おめでとう」
この講堂の中で、ベルロックただ一人が笑顔だった。
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