第38話確執

 アイラと目が合うと、男は嬉しそうに悪戯な笑顔を浮かべる。


「なんだ、てっきり耳が聞こえないのかと思ったぜ」


「うるっさいわね! さっきから黙って聞いてればなに? 私、あなたになにかした?」


 男が足を進めようとするので、横の女が咄嗟に彼の前に手を出して静止する。


「止めないかみっともない」


「腑抜けは黙ってろ」


 男は、その手を払い除けるとゆっくりとアイラの前まで歩いていく。


「分からないなら教えてやるよ。お前みたいな立場を弁えない奴が視界に写るだけで不快で仕方ないんだよ」


「なんですって!」


「だってそうだろ」


 男は、おもむろにアイラの杖を見ると、強引にそれを奪い取る。


「魔術も使えないくせにこんな杖なんて持ちやがってさぁ」


「ちょっと返しなさいよ!」


 アイラが手を伸ばすと、男は楽しそうに一歩距離を取って、アイラの杖を値踏みするように眺める。


「そう必死になるなよ。どうせ大した代物でもないだろ」


「あんたには分からなくても私には大事な杖なの!」


「ふーん」


 と、男は興が乗ってきたのか、軽く杖を振り回すとそれを高く掲げる。


「そんならよ、俺にも分かるように俺がテストしてやるよ!」


 そう言って男は、杖を地面に向けて勢いよく振り下ろした。


 だが、アイラが声をあげるよりも早く男の腕が止まる。


 見ると、先程まで横にいた女が彼の腕を掴んでいた。


「いい加減にしないか」


「ああ? お前はすっこんでろよ!」


 そう言って男は手を振りほどこうとするが、女が更に力を込めて腕を握ったため、顔が苦痛に歪む。


 その隙に女は、杖を奪い取るとアイラに向かって差し出した。


「すまないね。あれが迷惑を掛けた」


「い、いえ。ありがとうございます」


 女は、腰の辺りまで伸ばした長い黒髪を揺らしながら、アイラに微笑んだ。


「てめぇ、なにしてやがる! 貴族の癖に庶民の肩を持つつもりか?」


「肩を持つもなにも、私は非道な行いを咎めたまでだ。君も貴族なら貴族らしく振る舞ったらどうだ?」


 男と女の間でにらみ合いが続く。


 しかし、騒ぎに気がついた周りの人間が徐々に集まってきて、男は聴衆の目に晒されることを嫌がったのか女から視線を外すと宿舎に向かって歩き出した。


「ちっ、興冷めだ」


 男は、アイラの横まで来るとそんな捨て台詞を吐いてアイラを睨み付け宿舎に入ろうとする。


 しかし、アイラの怒りは収まっていなかった。


「どこにいくつもり?!」


「ああ?」


 男が面倒臭そうに振り返る。


「私、まだ謝って貰ってないんだけど!」


 すると、男が急に笑いはじめた。


「謝る? 俺が?」


「何がおかしいの」


「悪いことをしたら謝る。当然のことだ。だが、事実を言っただけの俺がなぜ謝らなきゃいけないんだ」


「ねぇ、もう相手にしない方がいいよ」


 貴族の女がアイラに忠告するが、頭に血の上った彼女に言葉は届かない。


「どうしても謝らせたいなら、その杖で魔術でも使ってみたらどうだ?」


 男は、どうせ無理だろうと勝ち誇った顔をしてまた宿舎に入ろうとする。


「......いいよ」


「あ?」


「やってやるって言ってんの!」


 アイラの宣言に、男が下卑た笑いを浮かべる。


「言ったな! やれると言うなら見せて貰おうじゃないか!」


「二人とも止めないか!」


 女が間に入るが、アイラは男に杖を向けて微動だにしない。


「危ないですからどいてください」


「おーおー、大口を叩くじゃないか」


 アイラの表情に、女は諦めたように後退りをする。


 アイラは、両手で杖を強く握り直すと、杖の先端越しに男を見据える。


「火炎術式!」


 杖の先が一気に赤く光り、ハッタリだと思っていた男は、瞬時にそれが魔術による光だと理解して戸惑う。


「ちょっ!」


「紅蓮!」


 そう口にしたところで野太い声が辺りに響いた。


「そこ! なにをしているか!」


 その場にいた全員がその声の主の方を見た。


 そこには、身長が二メートルはありそうな屈強な男が立っており、肩の辺りまで伸びた金髪を揺らしながらズンズンとアイラのもとまで歩いてくる。


 男は、煌々と光る杖を見て、まさに魔術が発動する寸前であったのだと判断すると、迫力のある顔をアイラに向ける。


「お前、今何をしようとしていたか言ってみろ」


 男の凄みのある顔に、アイラは怯んで言葉が出ない。


「言えんのか?」


「魔術を」


 ようやく振り絞った声は、か細いものだった。


「ハッキリ喋るんだ!」


「魔術を使おうとしました!」


「誰に?」


「あ、あの人です」


 男は、アイラの指差す方に首をぐるりと曲げて貴族の男を見る。


「こいつの言っていることに間違はいないか?」


「ああ、間違いないよ。全く困ったもんだよ。急に難癖をつけてきたと思ったら」


「黙れ。事実確認以上のことは聞いていない」


「だ、黙れって俺を誰だと」


 彼は、男の言葉を無視して今度は側にいた貴族の女に声をかける。


「ことの一部始終を見ていたか?」


「はい」


「宜しい。三人はこちらに来て名を名乗れ」


「なんで俺まで」


「いいから来るんだ」


 渋々と男がこちらにやってくる。


「まず魔術を使おうとしたお前」


「アイラ・ソライラスです」


「次、そっちの男」


「クライス・エルメノン」


「次」


「ラフィーナ・リンクウッドです」


「よし。お前達三人には後で詳しく話を聞かせて貰う必要がある。指示があるまで自室で待機するように」


「いやいや、悪いのはこいつで」


 男は、クライスを睨み付けて黙らせる。


「話は、後だ」


 男は、自室で待機するように再度念押しをすると、その場から立ち去った。


 アイラが呆然としていると、横でクライスが舌打ちをした。


「お前のせいで初日から散々だ」


「な! 元はと言えばあんたのせいで」


 だが、クライスはこれ以上面倒になるのはごめんだと、アイラを無視して宿舎に入っていった。


 その後ろ姿を睨み続けるアイラに、ラフィーナが嗜めるように肩に手を置いた。


「あんなのは放っておいて、私達も部屋に行こう」


「ラフィーナだったっけ。ごめんね、巻き込んじゃって」


「気にしなくていいよ。ただ、君もあんな安い挑発に乗っちゃだめだよ。そうでなければ、この先ここの生徒としてやっていけなくなる」


 ラフィーナは、それだけ言い残して自室へと向かっていった。

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