第32話アキデンドという男
「そら! 飛び出たぞ!」
アキデンドの叫びとともに一頭の牡鹿が、犬に追いたてられて森から飛び出してきた。
それを追い詰めようと、馬上の四人が馬で駆け始める。
「始まりましたね」
「そうね......」
アイラは、狩りに向かう家族の姿を面白くなさそうな顔で見つめるベレイザが気になった。
「狩りは嫌いですか?」
「え?」
「いや、そんなような顔をしてましたから」
「いやだ私ったら。ごめんなさい、ああいうのはなんだか暴力的で好きじゃないの」
たしかに、お嬢様からしたら獣を狩ることが残忍な行為に見えるのだろう。
なら、彼女がなぜ戦争の道具でもある魔術に興味を抱いているのか、アイラは聞いてみたくなった。
「でも、暴力的という視点でみれば、魔術だってそうですよね?」
「それは違うわ!」
咄嗟にベレイザから否定され、アイラは思わずのけぞってしまう。
「魔術とは神様から与えられ、人々が神様に愛されているなによりもの証。使い方によっては人を傷つけることもあるけれど、それが必ずしも悪とは限らないわ。だって、誰かを守るために仕方なく刃を手に取ることだってあるでしょう。それを誰が責められるでしょうか?」
「なら、鹿を狩ることだって生きるためには必要ですから、責められることじゃないんじゃないですか?」
「そうよ。だから、心には思っていても決して口には出さないの。それを私ったら、顔に出してしまっていたなんて」
ベレイザは、その場にしゃがむと、杖から手を離して両手で顔を覆った。
「ベレイザさんそんな泣かないで」
「泣いてなんていないわ。ただ、自分が恥ずかしがって。アイラさん、お願いだから今のことは誰にも言わないでくださる?」
「そりゃ勿論」
「ありがとう」
手の隙間からベレイザは感謝を述べると、何事もなかったかのように立ち上がった。
「神様に貰った力かぁ。キースさんもそんなことを言ってましたけど、今までそんな風に考えたこともなかったんですよね」
「それまではどう考えてらしたの?」
「単純に自分が凄いんだと思ってました」
それを聞いたベレイザがケタケタと笑い、アイラは少し恥ずかしくなる。
「だ、だって、人が出来ないことが出来るんですから、そう思っても仕方なくないですか?」
「ごめんなさい。馬鹿にしたつもりはないの。でも、そういう考え方が出来るって羨ましいわ」
「どうしてですか?」
「だっていくら素晴らしい人だったとしても、こんな力を自力で得られるなんて普通思わないじゃない。それこそ、神様に頂いたものなんだってことなら納得がいくけれど」
「......そういう考え方もあると思いますけど、だからって全部を全部神様の恩恵にするのは、その人達の努力を否定するようで、私は好きじゃないですね」
ベレイザにその意図が無いことは分かっていたが、アイラは自分やイルゲンの努力を否定されたように感じて少しムッとした。
「これはあくまでも私の考え方だから、そう怒らないで。とにかく、アイラさんが持ってるその力は特別なものなのだから大切にしてほしいってこと。さ、続きを教えてくださる?」
爽やかに笑うベレイザに、アイラはそれ以上何か言う気持ちも起きず、無駄と分かりきっている指導を続ける。
その内、狩りを終えた四人が戻ってきて、それに気がついたベレイザがアキデンドに向かって大きく手を振った。
「ほら、アイラさん行きましょ」
ベレイザに連れられて四人のところに駆けていくと、丸々と太った立派な牡鹿を連れ帰ってきていた。
「どうだ凄いもんだろう!」
アキデンドが歯を剥き出しにして笑いかける。
「ほんと、立派なものね」
そう笑うベレイザの姿が、取り繕ったものだということをアイラは分かっていた。
牡鹿は今日の夕食のために捌かれることになり、アキデンドが使用人に指示を出す。
「なぁジンウッド。夕食までまだあるし、少し歩かないか」
「まだ狩り足りないか?」
「そうじゃない。こんな時世だ次にいつ会えるか分からんのだし、少し話そうじゃないか」
「......いいだろう」
二人は皆から少し離れたところを歩き始めた。
「覚えてるか? 初めて一緒に狩りに出た日のこと。あの時、お前はまだ馬に乗りなれてなくて、そんなんで森に入ったもんだから全然周りに着いていけてなくてな」
アキデンドが、楽しそうに昔話を始めた。
「そうだったか?」
「覚えてないとは言わせないぞ。結局落馬してしまって、泥だらけになった顔を拭ってやったのは俺なんだからな」
「そんな子供の時分のことなど、もう覚えてないさ」
「俺に言わせれば、お前はまだまだ子供だよ」
「年老いたお前から見れば、誰だって子供に見えるだろうよ」
「そうじゃない」
アキデンドの顔から笑顔が消える。
「聞いたぞ。アイラのこと」
「聞いたって、何を?」
「分かってるだろ。お前が息子のことを誇りに思っているのはいいが、少しやりすぎだ」
ジンウッドの眉間に皺が寄る。
「自分の息子を誇りに思って何が悪い。第一、人の家、それも公爵家のことに口出しが出来る立場か?」
「そうカッカするな。それに、これはもう一貴族だけの問題じゃないことくらい分かってるだろ」
「これが家族の問題でなければなんだと言うんだ」
「なら聞くが、お前のとこは一体何人の生徒候補を集めた?」
ジンウッドは、何か口を開きかけて押し黙ってしまった。
「あれ一人だろう」
「それは、他に適当な人材が居なかっただけで」
「俺に向かってそんな出任せが通じると思うなよ。これから国の存続をかけた賭けに出るというときに、お前は自分のエゴでそれを無駄にしようとしてるのが分からんのか?」
「俺は、そんなつもりじゃ」
弱々しくジンウッドが言葉を漏らす。
「お前が国を裏切るほど肝の大きい奴だとは思ってはおらん。だが、実際やっていることは裏切り以外の何物でもない。皆必死で一矢報いろうとしているときに、お前一人はいつまでも後ろを向いたまま。こんなことで公爵が務まるか?」
「だが」
「だがも糞もあるか! 貴様一人が被害者のような顔をしやがって、リンクウッドのところなんて見てみろ。領地も家族も奪われて、ただ一人生き残った末の娘も魔術学校にやることになっている。それ以外もそうだ。だが奴らはお前のように泣き言など言っておらんのだぞ」
「か、家族のことを大事に思っていて何が悪い!」
苦し紛れに放ったジンウッドの言葉に、アキデンドが年甲斐もなく顔を真っ赤にする。
「悪いとは言わん! だがな、国のためにならん感情なら、そんなもの捨ててしまえ!」
最早なにも言い返せなくなったジンウッドは、行き場のない憤りの捨て場所を探すように、肩を怒らせて馬のところまで行くと跨がった。
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