第20話続・ドレッタの憂鬱

 それから数日後、キッチンで一目も憚らず大きくため息をつくドレッタの姿があった。


「大丈夫? そんなため息ついてどうしたのよ」


 皿を拭く手を止めて彼女に声をかけたのは、同じメイドのイルザだった。


「ごめんなさい、ちょっと色々あってね」


「あー、もしかして例のあの子?」


 ドレッタが黙って頷く。


「なんか、最近大変そうだもんね」


「大変なんてものじゃないわよ。日も登らないうちから謎の練習に付き合わされるわ、ちょっと目を離すと直ぐに旦那様に勝負を挑むわ、挙げ句の果てに外の森で魔術の練習がしたいとか言い出して、もういっぱいいっぱいよ」


 今まで溜めていたものを一気に吐き出すように、早口で捲し立てるドレッタの姿が、これまでの苦労を物語っていた。


 そんな姿に、イルザは同情しながらも自分がお世話係りを任命されなかったことにホッとした。


「旦那様か、ブラッド様かキース様に役目を変えてもらうよう頼んでみたら?」


「それは嫌! 一度任された仕事を途中で放棄するなんて、私の誇りが許さないもの」


「だからって、このまま体調でも崩したらそれこそ仕事どころの話じゃなくなるわよ」


「それは、そうだけど......。でも、あんな小娘に振り回された位で根を上げてるようじゃ、公爵家のメイドとして失格じゃない? そうよ、私はあのスライブ家のメイドなんだから、こんなことでへこたれてる訳にいかないの。見ていてください奥様。私きっとこのお役目をこなして見せますから!」


 話の途中ですっかり自分の世界に入ってしまったドレッタを、イルザが冷ややかな目で見ていると、後ろからシェフの声が飛んできた。


「お二人さん私語をするなとは言わないが、食器は洗い終わってるんだろうな?」


「あはは、すいません直ぐ終わらせまーす」


 イルザに肘でつつかれ、我に返ったドレッタは食器を洗い始める。


 ああは言ったものの、普段の業務に加え、連日の寝不足とアイラに対する心労によって、ドレッタは体力の限界を感じており、もはやプライドだけで体を動かしているような状況だった。


 フラフラになりながらも、アイラがきちんと休んでいるか確認するために部屋の前に立つ。


 ノックをしようとした手を止め、このままではいけないと感じたドレッタは、この期に一度アイラに釘を刺しておこうと考えた。


「いつまでも振り回されっぱなしじゃ、それこそメイドとして名折れだわ」


 小さく呟くと、手に力を込めていつもより強くドアを叩く。


「ドレッタです。宜しいでしょうか」


「はーい」


 『ガツンと言ってやる』そう息巻いて扉を開けると、どこか元気の無さそうに縮こまってアイラがベッドに腰かけていた。


「どうかされましたか?」


「いや、そのぉ」


 下を向いて自分を見ようとしないアイラに、先先程までの意気込みを忘れドレッタは心配そうに近づく。


「気分が優れませんか?」


「そうじゃなくて、その、ありがとうございますドレッタさん」


「え?」


 予想外の言葉に、ドレッタが固まる。


「その、ここに来てからドレッタさんには迷惑ばかりかけてるし、ここ数日なんかは私の我が儘に付き合わせてしまってるじゃないですか。それなのに、ドレッタさんは嫌な顔一つせず私に付き合ってくれてるのに、ちゃんとお礼を言ってなかったと思って」


「そういうことですか......」


 まさか、アイラがこんなことを考えているとは思わず、ドレッタはただただ驚くしかなかった。


「でも、流石にこれ以上ドレッタさんの負担になるようなことは出来ませんし、そろそろ練習はやめようかなって思ってまして」


 流石のアイラも、ここ数日でドレッタに疲労の色が見えていることに気がついていた。


 だが、ドレッタを気遣ったアイラの言葉が、逆にドレッタを刺激することになった。


「何を言うのですか。私は、このスライブ家のメイですよ? アイラさんのお世話が負担になったことなど一度もありません」


「でも」


「いいですか。明日もいつもと同じ時間に迎えに来ますので」


「わ、分かりました」


「それでは、おやすみなさい」


 そう言って部屋を出たドレッタは、廊下を歩きながら段々と後悔の念にさいなまれる。


「ああ、どうしてあんなことを......」


 肩を落として廊下を歩くドレッタに、正面から声をかける人物がいた。


「どうされましたかドレッタさん。そんなに気を落として」


 ドレッタが顔をあげると、タキシードを着た初老の男性が立っていた。


「ルドウィンさん」


 ルドウィンは、屋敷の誰よりも長くここに勤めている執事である。


「だいぶお疲れのようですね。どうですか、少しお茶でも」


 ルドウィンに執事室へ案内され、ドレッタは席に着く。


 執事室が、ルドウィンの淹れた紅茶の香りで満たされ、ドレッタは少し癒された。


「いい香りですね」


「お気に召されたようでなによりです。私のお気に入りの茶葉なんですよ」


 紅茶を口に含むと、甘い香りが口全体に広がる。


「実は、イルザさんに貴女のことを相談されましてね」


「イルザがですか?」


「はい。なんでも仕事のことでだいぶ悩まれてるとか」


「イルザがそんなことを......」


「力になれるかは分かりませんが、よろしければ私に話して頂けませんか?」


「そんな、ルドウィンさんにご迷惑をおかけする訳にはいきませんし」


「同じ職場の仲間が思い悩んでいるのに、放ってはおけませんから。暇な老人との軽い世間話だと思って話してみてください」


 優しい笑顔を向けるルドウィンに、ドレッタはアイラの世話のことで振り回されているのだと、ポツリポツリと語り始めた。


「そういうことでしたか」


「はい。ですが、任された大事な仕事ですし、途中で投げ出すようなことはしたくないのです」


「貴女のプライドを持って実直に仕事に向き合う姿勢は素晴らしいと思います。しかし、このままではいずれ限界が来てしまうのは、ドレッタさんも理解しておられますよね」


「はい......」


「話を聞くに、貴女のその疲労は彼女に振り回されていることが原因。ですがそれは、貴女の働き次第でどうにでもコントロール出来ることでもあります」


「そうなんでしょうか」


 ルドウィンから示された一筋の光に、思わず前のめりになるドレッタは、すぐに自分のはしたない行動に顔を赤くして椅子に座り直した。


「失礼致しました」


「いえいえ。もし、貴女さえ宜しければ明日一日彼女のお世話を任せて頂けませんでしょうか」


「それは、構いませんが」


「では、明日。やんちゃなお嬢様の躾方をご覧にいれましょう」


 そう言ってルドウィンは、にっこりと笑って紅茶をすすった。

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