第19話ドレッタの憂鬱

 まだ日も登りきらず森の木々が長い影を作る頃、ブラッドが日課の稽古を行おうと中庭に出ると、そこには珍しくドレッタの姿があった。


「おはようドレッタ。こんな朝早くにどうしたんだい?」


「おはようございます。それがですね......」


 口ごもるドレッタの視線の先を追うと、アイラが杖で素振りをするのがブラッドの目に入ってきた。


「あれは何を?」


「見ての通り、剣の素振りをしてます」


「はぁ、それは分かるけど」


 そこへ、遅れてやってきたジンウッドも合流し、ブラッドと同じく顔をしかめる。


「何をやってるんだあいつは」


「おはようございます旦那様。実は」


 ドレッタは、二人に今朝のことを説明し始めた。


 昨日のこともあり、アイラがまた何か仕出かすのでは無いかと心配になったドレッタが、まだ日も登らない内に蝋燭を片手に、彼女の様子を確認しに行くと、ドレッタを待っていたかのようにアイラが部屋で待っていた。


 ドレッタの顔を見るなり、満面の笑みを浮かべたアイラに、彼女は嫌な予感がして顔を曇らせる。


「おはようございますドレッタさん!」


「お、おはようございますアイラさん。今朝一段とお早いのですね」


「ジンウッドさんを見返してやるからには、一秒も無駄に出来ませんからね!」


 笑顔で言い放ったアイラの言葉が、ドレッタにどんどん恐怖を植え付け、ドレッタは胃に痛みを感じて顔を強ばらせる。


「ドレッタさん大丈夫ですか?」


「いえ、気にしないで下さい。それより、昨日の約束は覚えていらっしゃいますよね?」


「勿論ですよ! もうあんなことはしませんから。もしかして、私のことを心配してくれてるんですか?」


「え、ええまぁ」


 アイラさんが旦那様の逆鱗に触れるようなことを仕出かさないかと心配しているのだと、喉まで出かかった言葉をドレッタは飲み込んだ。


「それで、早速で申し訳無いんですけど、ドレッタさんにお願いがありましてぇ」


 ねだるように瞳を潤わせながら声のトーンを一つ上げたアイラに、ドレッタの鼓動が速くなる。


「な、なんでしょう」


「剣の練習がしたいんで、剣を貸してほしいんです!」


「出来ません」


 アイラの言葉に被せてドレッタがそう言い放つと、アイラは口を結んで露骨に不満を露にする。


「えーー! なんでですか、別にジンウッドさんに勝負を挑む訳じゃないんですよ」


「昨日気を失ったばかりなのに、翌日にそんなことを許可して、あなたの身に何かあればキース様がなんとおっしゃるか」


「大丈夫ですって! もう治りましたから」


 そう言ってアイラは、自分の後頭部を大袈裟に叩くと、予想以上の痛みが彼女を襲い、それを表に出すまいと歯を食い縛る。


「ーーーっ、ね、大丈夫でしょ」


「そうは見えませんが」


「えーー! お願い、お願いします! 何かあってもドレッタさんのせいじゃ無いってちゃんと言いますから!」


「駄目です。キース様からあなたのお世話を任された以上、アイラさんがどう言おうとその責任は私にありますから」


「そんなぁ」


 ドレッタの強固な態度に、諦めがついたのかアイラは肩を落とす。


「では、朝食の支度が出来ましたらお呼びしますので、それまでお部屋でお休みになっていて下さいね」


「はーい」


 アイラの間延びした返事に、一瞬イラっとしたドレッタだったが、小さく息を吐いて自分を落ち着かせると部屋を出た。


 だが、目を離した隙に剣を探し回られても困るので、アイラの部屋の前に椅子を置いて座ると、そのまま監視することにした。


 すると、予想通り部屋のドアがゆっくり開かれ、廊下を確認するように顔を覗かせるアイラとドレッタの目が合う。


「アイラさん?」


 ドレッタが軽く睨み付ける。


「あー、その、間違えましたぁ~」


 アイラは、すぐに顔を引っ込めた。


 その後しばらくは特に動きもなく、ドレッタがたまに聞き耳を立てても部屋から物音がすることもなかった。


 だが、早朝と言うには早すぎる時間に起きたため、静かな廊下が徐々にドレッタを眠りへと誘う。


 そして、ドレッタは大きなあくびをしてゆっくりと船を漕ぎ始め、遂に眠り始めてしまった。


 ドレッタと同じく聞き耳を立てていたアイラは、外が静かになったのに気がつき、先程より慎重にドアを開けドレッタが居眠りしているのを確認すると、杖を持って中庭に駆けていった。


 ドレッタは、居眠りから目覚め慌てて部屋を確認してアイラが居ないことに気がつくと、全身の血の気が引くのを感じながら中庭を目指した。


「それで、今に至ると」


「はい。申し訳ございません旦那様」


「ドレッタさんが謝ることじゃないよ。まさか彼女がこんなにも強情な子だったとは」


 ブラッドから同情され、すぐに責任を追及されることはなさそうだと、ドレッタは胸を撫で下ろした。


「つまり、あれは杖を剣に見立てて素振りをしている、と言うことか」


「その通りです。一度止めたのですが『ただ自分の杖で魔術の練習をしているだけだから』と、やめる意思は無いようでして」


 ドレッタの説明を聞きながら、ジンウッドはじっとアイラを見つめていた。


「所詮子供の癇癪に過ぎん。そのうち飽きて止めるだろう。好きにさせておけ」


 ジンウッドの言葉は、ドレッタにもブラッドにも意外なものであった。


「よいのですか?」


「くどい。俺が良いと言ったのだからほうっておけ」


「承知致しました」


 当主直々の『ほうっておけ』と言う命令に、面倒を見なくてよくなったドレッタは、胸の内で喜んでいた。


「いくぞブラッド」


「はい父上」


 兜を被って中庭に出ていくジンウッドを追う間際、ブラッドはドレッタに耳打ちをする。


「父上はああ言ったけど、怪我をしないようにだけは見ていてあげて」


「はい......」


 ブラッドの頼みで結局見守らなければならなくなり、ドレッタは心の中でため息をついた。


 だが、ジンウッドの言う通り、アイラの行動が一過性のものであれば、直ぐにこの苦労からも解放されるはずだと、自分を鼓舞して背筋を直した。

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