宿
アランは宿の扉を開け、中に足を踏み入れた。初めて訪れるこの宿は、外観からも感じられた通り、どこか古びた雰囲気が漂っている。しかし、その古さが決して陰気なものではなく、むしろ温かみを感じさせるものだった。木製の床は何度も磨かれてきたのだろう、所々に時の経過を思わせる傷が見受けられるが、それがかえってこの場所の歴史を物語っているようだった。
受付のカウンターには年配の女性が立っており、アランを見ると柔らかい笑みを浮かべて迎えてくれた。彼女の笑顔には、この宿が長い間、多くの旅人を迎え入れてきたという安心感が滲んでいる。アランは軽く頭を下げ、部屋の手続きを済ませると、鍵を受け取って階段を上がった。
友人からこの宿のことを聞いたのは、もう随分前のことだった。彼女は、この宿の古さと、それに反するような温かな雰囲気を気に入っていたらしい。「きっと、あなたも気に入るはず」と笑って言っていたのを思い出す。
二階の廊下を進むと、部屋のドアに手をかけた。扉を開けると、木の香りがふんわりと鼻をくすぐった。部屋は決して広くはないが、素朴で心地よい空間が広がっている。窓からは川沿いの風景が見え、外の光がやわらかく室内を照らしていた。ベッドと小さな机、それに椅子が置かれただけのシンプルな部屋だが、その質素さが逆に心を落ち着かせる。
アランは荷物を片隅に置き、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。ふと、窓の外に目を向けると川のせせらぎが微かに聞こえ、静かな時間が流れている。アランはしばらくの間、窓からの風景を眺めていた。陽が傾き始めるにつれ、川沿いの景色も次第に柔らかな色合いに変わっていく。静かな川の流れに、遠くで響く街の喧騒がかすかに混ざり合う。この街の一日が終わりに近づいていることを感じさせた。
しばらくそうしていると、ふと身体に疲れが溜まっていることを実感した。長い旅と依頼の準備で、今日は思った以上に体力を使ったようだ。アランは立ち上がり、ベッドの方へと向かった。布団を軽く整え、ベッドに腰掛ける。体に触れる柔らかな感触が、彼の疲れを少しだけ和らげてくれる。
「明日は早いからな…」
軽く呟くと、アランはそのままベッドに横になった。窓から差し込む夕陽の残照が、部屋を薄く染めている。彼は目を閉じ、深呼吸を一つ。次の日の仕事に備え、しっかりと休息を取る必要がある。
次第に、身体がベッドに沈み込んでいく感覚が広がる。頭の中にあった様々な思考がゆっくりと溶けていき、代わりに穏やかな眠気が訪れる。アランは無理にそれに抗うことなく、ただその感覚に身を委ねた。
静かな夜の空気が部屋を包み、窓の外では川のせせらぎが心地よい子守唄のように響いている。アランは次第に深い眠りへと引き込まれていった。明日には新しい仕事が待っている。だが今は、この静かな夜に身をゆだね、しばしの安らぎに浸るだけで十分だった。
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