第5話 秋吉君

 小首を傾げ、わずかに上目遣いに訊いてきた。

「その相手が誰か判ったとして、それでお父様はどうされるおつもりなのかしら」

「さあ、そこまでは判りかねます。私は人捜しを依頼されただけですので」

 戸倉の脳裏に河西清吾の言葉が蘇った。

《知りたいだけだ》

――知りたいだけ。ただそれだけに報酬を支払うという。本当に知りたいだけなんだろうか……。

 疑問はあるが、依頼そのものは刑事事件に関わるものでは無い。

――断る理由はない。

 もう一口、バーボンを流し込んだ。

「河西先生って、本当に寡黙な方でした。お客様のことを、特にその方がいない時に話すのは矜持に関わる以上にマナー違反です。亡くなられているとは言っても、先生はうちの大切な常連さんでしたしね。でも、河西先生にお許しいただけるなら、私から話せることはお話ししたいとも思うのですけど、正直心当たりはありません」

 戸倉はガッカリした顔もせずに黙っていた。

「うちにはホステスが二名います。そのどちらにも――ここだけの話――決まった相手がおります。浮ついた子たちではありませんし、店としても営業としてお客様と――なんて求めたことは一度だってありません。私はと言えば――この年でそんなの言うのも恥ずかしいですけど、先生との間におかしな空気は無かったと思っています。先生って、いつもカウンターなんですよ」

 詩織は戸倉の隣の席を見た。何かが見えている眼差しだ。

「いつもお一人でした。お客様が混んだ時なんかは《自分はいいから、他のお客さん大事にして》なんて仰る方でしたね。本当に他人を思いやれる、素晴らしい方でしたよ。お言葉に甘えて、そうさせていただいても気になりますからチラチラと見ているんですけど、本当に静かに、ノンビリと少ない時間を愉しんでらっしゃいましたよ。せいぜいバーテン見習いの秋吉君となんだかを話して笑うくらいで」

 ねえ、そうよね?と振られ、青年は小さく、微笑んで頷いた。そのときドアが開き、客の声が聞こえた。

「忙しくなりますね。お話を聞くどころじゃないな」

 戸倉が笑い、詩織は頷いてカウンターを離れた。ドアの方から華やかな笑いが聞こえ、数名の男たちがボックス席へと誘導されていく。戸倉はカウンターに片肘を突いてグラスを持った。

――空振り……か。

 夜の世界には嘘が多い……とよく言われる。だが、人を傷つける嘘は意外なほど少ない。その場が丸く収まる嘘――人が笑顔になる嘘が飛び交っても、誰も傷つくことは無い。そういう世界をよく知る戸倉なので思うことがあった。

「彼女は本当を言っている」

 客をあしらう詩織の横顔を見て呟いた。

「黙っていたら意味を生む本当と、話して意味のある本当。そして話しても意味の無い嘘があるとちゃんと心得ている」

 嘘も本当も独特な匂いを持っている。それを嗅ぎ分けるのは《慣れ》があるかどうかだけだ。戸倉は帰ろうかと考えた。

――職場の男女関係ってのは、本人たちが思う以上に周囲に嗅ぎつけられるものだから、河西倫太郎の書いた《君》が桑原亜弓だと考えるのが現時点では妥当だろう。だが、何か引っかかるんだよな……。

「君は太陽――か」

 バッグを手に取った時、バーテン見習いだという秋吉の動きに視線が止まった。

「丁寧に作るんだな」

 客のリクエストなのだろう、シェーカーを振っている。緩急が滑らかに移り変わる、流れる所作だ。仕事を大事にしているもの特有の《動きへの注意深さ》を感じた。

「それは勿論です」

 シェーカーを開けてグラスに注ぐのも雑な感じは一切無い。すべての動作が美しく見えた。

「ここは長いのかい?」

「ちょうど一年くらいですね」

「その前は?随分若そうだけど」

 秋吉は柔らかな笑みを見せた。イケメンに無条件で拒否反応を持つ男はいる。ただそれが《ひがみ》からだと思われたくなくて隠しはするが。イケメンがなにか悪いことをしたわけでは無いにせよ、同性からは好感されないのは戸倉にも判る。秋吉は、俗に言うイケメンだ。モテるだろうなと素直に思う。だが《俺はモテるんですよ》といった嫌味な感じは微塵も無い。それどころか、同性からも好かれるのでは無いかと思わされる柔らかな謙虚さを感じさせる。

「ここでお世話になる前は学生でした」

「学生?大学?」

「はい。経済学部の四年で、あとすこしで卒業――というあたりまでやったんですけど、辞めました。それでこちらに」

「いや!それでこちらにって言われてもよくわからんよ!なんでまた辞めたの?ていうか、なんでバーテンダー?」

 戸倉は純粋に驚き、尋ねた。秋吉は「うーん」と少し困った顔をしたが、個人的な話を訊いた戸倉が不思議に感じるほど嫌そうな表情を見せなかった。

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