第3話 bar 《そねっと18》

 病院を出た戸倉はタクシーの中で考えていた。

――上司に不満を持たない部下は滅多にいない。桑原医師に会う前に話を聴いた看護師には助けられたな。気の良い看護師のはつらつとした顔を思い出した。


「調査員なんですけど、いいですか?」

「何の調査ですか?」

 はじめは怪訝な顔でいた看護師だったが、河西の名を出すといきなり表情が打ち解けたものに変わった。

「先生が亡くなって、本当に悲しくて」

「判りますよ」

「それで何の調査なんですか?私が話して大丈夫なのかな……」

「河西医師のお父様はご存じですよね?県医師会会長の」

 看護師は顔を赤らめて頷いた。

「黎明大病院の」

「知らないはずがありません!」

「ですよね。実は河西医師のお父様は」

 そう言って辺りを見回すジェスチャーを見せた。

「亡くなられたご子息である河西医師から、この病院には良い看護師が多いから機会があれば引き抜きたいと聞かされていたらしいんです」

 看護師は目を見開いた。

「それでいろいろとお話を聴いて回っていたわけですが、帰る間際に一つ聞き忘れていたことがあるのを思い出しましてね」

「なんですか?」

 看護師は声を潜めた戸倉に顔を近づけた。

「いえね、亡くなられた河西先生と特別――つまり一番仲の良かったお医者様なんかは居られるのかなって」

 看護師は眉根を寄せた。

「つまりお医者様の中からも引き抜きをね……考えておられるようなんですよ」

「ああ!」

 ようやく理解した看護師は宙を見て考えた。

「一番仲が良かった先生――ですか?だったら思いつくのは……」

「誰です?」

「桑原先生かなぁ?だって、みんな噂していたんですよ。亜弓先生はお仕事の時以外に指輪をしてた時期があるんです。勿論お仕事の時には外してたみたいですけど。それ、河西先生からの贈り物じゃ無いかなって……でも、いつからかずっと見なくなったなぁ、あの指輪」

 私が言ったなんて誰にも言わないでくださいね――と看護師は笑っていた。

――だが、とうの桑原亜弓さんはそんな話はしなかった。

 普通に仲が良かったことは認めたものの、それ以上を匂わさないように努めていた。

「仲は良かった。もしかしたら交際はしていたのかもしれない。だが気になるのは、看護師の最後の言葉だ」

 独り言を言っていると運転手が目的地到着を告げた。料金を払い、降り立ったのはKAGA総合病院からクルマで十分ほどの場所にある鹿賀駅の前だ。そこから徒歩十分で鹿賀市随一の歓楽街にたどり着く。

「しかし河西さんの奥さんが後妻さんだったとはね。まあ年齢から言って妙っちゃあ妙だし」

 河西清吾の妻・三春の言葉を思い返した。

《後妻の私にもよく打ち解けてくれる優しい子でした。夫とよりも年齢差が小さいのに、不快がるとかも無しに。でも、勤務医のお仕事は尋常じゃ無いほど忙しいものです。だからプライベートの行動パターンを教えろと言われましても、知る限りほとんど家と病院の往復だけでしたよ。大学とかのお友達とかも居たと思いますけど、会って遊ぶなんて出来たものじゃ無いほどの日々でしたね。あ、でも一つだけよく聞いたのが――》

 戸倉は四階建てのビルを見上げた。一見して飲み屋の雑居ビルという趣だが、雑然とした様子は感じられない。入り口は清潔感が溢れていた。戸倉はエレベーターで四階のボタンを押した。三春の言葉がまた蘇った。

《鹿賀駅近くの酩酊通りですか?あそこの、なんて言ったかしら……一軒だけよく行くお店があるとは聞いたことが……えっとお店は確か……》

「思い出してもらったのが、ここか」

 エレベーターを降りた正面にその店はある。シックな黒看板に金の文字で《そねっと18》と書かれていた。腕時計を見ると、午後四時半を若干過ぎたところだ。

「いくら何でも早いよな」

 苦笑した時、声をかけられた。

「お客様ですか?」

 驚いて振り返ると、そこに男が立っていた。二十代半ばに見える。濃紺のシャツの袖をまくり、大きな紙の袋を抱えている。

「あ、いや……」

 言い淀んだ戸倉に笑みを見せた。

「うちは少し早くて、午後五時からなんです。もうすぐママが来ますから、それからなら入っていただけますけど、それまではさすがにここでお待ちいただくしか――」

 そう言って男が目で示したのは、エレベーター脇のベンチだった。

「待ちますよ」

 出直すのも面倒な戸倉は、そう言って腰を下ろした。

「買い出しかなにか?」

 鍵を開けようとしていた男に話しかけた。

「今夜のお通しなんですけど、少し足りない感じだったから」

「業者が届けるんじゃ無いの?」

 男は振り返って笑った。

「それだと割高なんです。ママも業者に頼むわよって言うんですけど、倹約しなきゃ」

 戸倉は面食らった。目の前の若者は、どう見ても従業員だ。それが店の経営を心配して自分から面倒をこなすとは、どんな教育なのかと感心した。

 男が店内に消え、十五分ほどするとエレベーターから三人の女が出てきた。三人そろって戸倉に気づき、頭を下げてきた。

「もしかしたら、お待たせしていたのかしら?」

 一番年かさで、四十代後半に見える和装の女が笑顔でそう言った。

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