ギャルハイク

亜中洋

ギャルハイク

ブロロローと車がエンジンの音をさせながら走ってくる。

車は山の中にある駐車場へと入って停まった。


パタン、パタンと車の扉が開く音がして、内から二人降りてきた。


「ん~~~っ…着いたぁ~運転おつかれさまー」


降りてきた二人のうちのひとりがぐーっと体を伸ばしながら片方に話しかける。


「ここがハイキングコースの入口?あたりまえだけど、めっちゃ森だねぇ~」


「まだ朝で霧も出てるし、すっごい神秘的な雰囲気じゃーん」




「キミがハイキングが趣味だって聞いたとき、そんなのなにが楽しいの?って思ったけど、もうこの時点で来てよかったかも!」


夜明けから活発になり始める様々な鳥の声が森の奥から聞こえてくる。


ほど近くでホトトギスが囀り始めた。


「え!?なにこの鳥の声!この…ケッキョッケッケキョッ!ってやつ!」


ギャルっぽい雰囲気の女が聞きなれない鳥の声に驚きと興奮が入り混じった様子で同行者にたずねる。


「こんな鳥の声、初めて聴いた!ケッキョッケッケキョッって!なんて鳥か分かる?このケッキョッケッケキョッ!」


風で木々の枝がざわざわ揺れる音がする。


「……へぇ~これがホトトギスの声なんだぁ~。あの殺されたり待たれたりして有名なやつ!」


ホトトギスは囀りを森に響き渡らせている。


「うっし…それじゃーさっそく出発する?」


ふたりはリュックを背負い、ハイキングコースを歩き始めた。




「今日はハイキング連れてきてくれてありがと。キミが居なかったら多分、一生やんなかったと思う」


「朝の山って清々しいねぇ~」


「すうーーーっ」

「はぁーーー…」


ギャルはひんやりとした森の空気を深呼吸する。


「あー…めっちゃ森の匂いするわー。霧で湿った空気に植物の匂いが溶け込んでるカンジ」


ハイキングコースは定期的に目印がある以外は、ただ踏み固められた土が続いているだけだ。


「この道、ちょっと油断したらヘンなとこ行っちゃいそう。気を付けないと」


そう言いながら、少し歩いていくと、大きな木が倒れている場所を通りかかった。


「うわー、でっかい木が倒れてる!すご、15メートルくらいあるんじゃない?ちょっと近くで見てみようよ……え?やめといたほうがいい?そっかー」


ギャルは倒木のほうに興味津々といった様子だ。


「でもさー、ちょっとくらい近くに行ってもよくない?…………ああいうところにはヘビがいたりするからやめておけ?…………なーるほどー、やめときます」


ギャルは少々気落ちした様子だ。


「でもすごいね、あの木。腐って中が空洞になってびっしりキノコついてる。あれって毒キノコかな?」


「わかんない?そっかー」


登山道を歩く二人分の足音がザッザッザッと耳に届く。


しばらくすると、前方から老夫婦が歩いてくるのが見えた。


「あっ、おはようございまーす…………」


おはようございまーす


挨拶を交わして、すれ違った老夫婦が後方へと歩き去っていく。


「…………さっきすれ違ったおじいさんとおばあさん、イイ感じだったね。わたしもあんな感じに年取れたらいいなー。夫婦でのんびりハイキング来てさ、理想の老後じゃない?」




「静かだねー…私たちの足音しか聞こえない……」

「でもよく耳を澄ませると森の奥から鳥の声とか水の音とか聞こえてくる……」


「なんか草の緑色も濃いよねぇ、街中の草と比べると色が鮮やか過ぎ!コントラストバキバキじゃん」


五月の春山は新緑に萌え、あちらこちらで新芽が芽吹いていた。


「あ、あそこ花咲いてる!白い花。深緑の葉っぱの上にポツポツ咲いてるやつ」


ギャルは近づいていって、パシャリと写真を撮る。


「なんか……しみじみ綺麗だなぁ……。あんまり派手じゃないし小さい花だけど、自然の中で調和してる感じ」


ギャルは野花の素朴な可憐さに感じ入っている。


「あの花ってなんて名前か分かる?」


「……ドクダミ?へぇ~そうなんだ」


「ドクダミってあの……ハト麦・玄米・月見草~♪」


「爽健美茶♪」


「ドクダミ・ハブ茶・プーアール~♪」


「爽健美茶♪」


「……のヤツ!?」


「へー、これがドクダミなんだぁ~」


「っていうか最近この爽健美茶のCM見なくない?やば、年齢バレる?」


「いやでも、あのCM子供のころ見てすっごい耳に残ってるんだよなぁ~」


「…………え!?いまの爽健美茶ってプーアールー♪入ってないの!?」


「プーアールー♪じゃなくて“プーアル”?そうなんだ、爽健美茶のCMでしか聞いたことないから」


「プーアル入ってないなら、いまの爽健美茶ってなに入ってるの?」


「ハト麦・玄米・ドクダミ・ハブ茶・月見草…」

「他は…大麦……チコリー!?へー……麦芽エキスパウダー!?ナンバンキビ!?オオムギ若葉!?アシタバ!?ヨモギ!?んぇ…杜仲葉…これなんて読むの?」


「まぁとにかく爽健美茶ってなんかいろいろ入ってんだねー」


「なんの話だっけ?」



ハイキングコースを歩いていると、平坦だった道がだんだんとけわしくなってくる。

軽やかだった足取りは徐々にペースを落とし、一歩一歩踏み出す足に力を込めて歩くようになっていた。




「はぁ…はぁ…!」


「だんだん道が険しくなってきてない?坂の傾斜がきっつい!」


「ハイキングだって聞いてきたんですけど!もう登山じゃんこれ!」


ギャルはまだまだ元気そうだ。


「ちょっと、もうちょいペース落とし…うえっぷ! ペッ!ペッ! クモの巣顔にかかったぁ……」


ギャルは顔面に張り付いたクモの巣を手で取り除こうともがいている。


「うぇーん…ちょっと待ってぇ……あ、取ってくれる?ありがと」


「え?髪の毛にクモついてる? うぎゃー!取って取って!!」




「はぁー………ちょっと疲れちゃった。いったん休憩しない?」


休憩できそうな場所を見つけた二人は荷物を置いて一息つくことにした。


「……………………」


ギャルは懐から手鏡を取り出すと、なにやらこまごまとした手つきで目元をいじっている。


「…………え?なんで鏡見てんのって?」

「そんなのメイク崩れてないかチェックしてるに決まってるでしょうが」


「なに?その呆れ顔は。カァ~~~これだから非ギャルはたまりませんわ」


「ギャルは見えないとこでも本気でギャルやってんの!…クシュンッ!」


ヒートアップしてきたギャルは急な冷え込みを感じてクシャミが出てしまったようだ。


「うぅ~……なんか急に寒くなってきた……」


ガサゴソとリュックを漁る音。


「…あったあった。言われた通り薄手のジャンパー持ってきてよかったわぁ」


いそいそとジャンパーに袖を通してチャックを上まで引っ張りあげるギャル。


「汗冷えてさっむ!」


「もう春なのに……こんな寒くなんの?」


「標高も高くなってきて気温も低いのかなぁ」


木々の間を風が吹き抜けて枝葉が擦れ、ざわざわ音をたてる。


「じゃ、そろそろ出発しますか」


荷物を背負いなおし、再びハイキングコースを歩き始める。




カラン、コロンと重い鈴の音。


「そのリュックに付いてる鈴ってさぁ、熊除けの鈴?」


カラン、コロン


「え、出るの?熊」


ギャルは不安そうに同行者に話しかける。


「“可能性はある”?うわーマジ?ちょっと緊張してきた……」


あたりをキョロキョロ見渡しながら歩いていく。


近くにある藪がガサゴソ揺れる。


「!! やばいっ! えーっと、熊は犬を怖がるハズだから……ゥーワンッ!」


「わんっ! わん!わん!わんっ! ワッワウ! ウゥー…! ワウッ!わんわんわんわんわん! ウーわんっ!!」


ギャルは精一杯の犬の鳴きまねで熊(?)を威嚇する。


ガサゴソ…


「きゃんっ」


トコトコ…


「へぇ?ちっちゃ!なにあの生き物………なんだ、タヌキじゃん……」


藪から出てきたタヌキは人間のことなどまるで警戒する様子もなくトコトコ歩いていく。


「驚かせないでよ……」


「まったく人騒がせな…犬の鳴きマネして損したわ…………え?なに、このスプレー缶。これ持ってろって?」


ギャルが同行者から手渡されたのは、狂暴そうな熊の姿が印刷されているスプレー缶であった。


「えーなにコレ……“熊撃退スプレー”?熊に襲われそうになったらこれ噴射すればいいのね?」


ギャルはスプレー缶をあらゆる角度からしげしげと見つめている。


「へ~こんなのまで持ってきてたんだ、準備いいねー」




「そーいえば熊スプレーって何入ってんだろ?どういう成分が熊に効くワケ?」


ギャルはスプレー缶の側面の成分表を読んでみる。


「ふむふむ……あー、“OCガス”ね。じゃあ催涙スプレーとほぼ一緒だ」


「一般的な催涙スプレーに使われているOCガスといえば、唐辛子などに多く含まれるカプサイシンを主成分とする常温では油状の液体で、これを霧状に噴射することで効果を発揮するんだよね。このOCガスが皮膚や粘膜に付着すると、ピリピリとした激しい痛みを感じて、特に目に入ると涙が止まらなくなったり目を開けていられなくなるから“催涙ガス”なんて呼ばれたりするね。暴徒の鎮圧なんかの状況でもよく使われているし、野生の熊にも使えるというのは盲点だったなー。そしてこのOCガスの良いところは後遺症が残らないってとこ!末梢神経の激しい痛みは30分から40分くらい…場合によっては数時間続くんだけど、その痛みによって失明したり、呼吸器系に異常が起こったり、そういう障害が残るようなことがないんだよね。すごくない?直接当てなくてもエアロゾルがしばらく空中に滞留するから使うのに不慣れだったり緊急事態で焦ってる人でもちゃんと使用目的を果たせそうだし、OCガスは防犯や山歩きの強い味方だね!でも自分にかかっちゃったりすることもあるから慎重に使わないと……やっぱり危険なものにかわりはないから、そもそも使わざるを得ない状況に陥らないことが大事なんだろうなぁ…………だとしてもちゃんとこういうグッズを用意してくるのは偉いよ!めっちゃ頼りになる!」


一通り語ったギャルは近くに同行者がいないことに気が付いた。


「…………あれ?いない?どこ行った?」


30メートルほど先を歩いている同行者を見つけたギャルは小走りで追いかける。


「あっ!待って、ひとりで先行かないで!」


バタバタと走る音


「置いてかないでよー!」






「はぁ……はぁ……やっと……やっと追いついた……」


肩で息をするギャル。


「ちょっと速いって、こっちは山歩きに慣れてないんだからさー」


サー…と川のせせらぎの音。


「ん…?水の音しない?」


ざっざっとしばらく歩く。


「あ、やっぱり!あそこにちっちゃな小川が流れてるよ」


ギャルはピューと小川に走り寄り、ジャバっと手を水にひたす。


「ふー…きもちー……」


「え?何やってんのって?」


「たはは……実はさっき熊スプレーの威力確かめるために、手の甲にちょっとだけ噴射しちゃってね……すぐに拭いたんだけど、ずっとヒリヒリしてたんだよね…………」


ギャルはイタズラがバレた少年のようにバツが悪そうな笑顔を浮かべる。


「いやほんのちょっと!本当にちょっとだけだから!そんな心配しなくていいって!ほら、水で洗ってもう痛くなくなったし!」


ギャルはちょっと赤くなった手をふって無事をアピールする。


「……それにしても綺麗な水だねー。ちょっと飲んでみよっかな」


小川のせせらぎは冷たくて透明で、いかにも清潔そうであった。


「え。“絶対ダメ”?なんで?こんなに綺麗なのに」


同行者に止められて少し不満そうなギャル。


「ああ……感染症とか寄生虫のリスクね……」


「こんなに綺麗でもダメなの?」


「ダメかーーー。ほいほい、わかりましたよーっ。飲むとしたらしっかり煮沸ね」


岩に水が当たってザーッと激しい音がする。


「ん?なんかさっきより川の水の勢いが強くなってない?」


直後、パラッ…パララッと葉っぱを叩く雨音が。


「うわっ、雨降ってきた!急に気温下がったから怪しいとは思ってたんだよね!」


ザーッと雨脚が強くなる。


「やば、けっこー強いじゃん。どっかに避難しないと!」


走ってちょうどいい場所を探す。


「あ!あの木の下なんかよさそうじゃん!」


ふたりは大きな木の下で荷物を抱えて空を見上げた。


「ふー……しばらくここで雨宿りだね」



一時はザーザー土砂降りの雨が降っていたが、少し時間が経つとパラパラとした小降りになって、小気味よく葉を打つ雨音が森中に響くようになっていた。


雨が小降りになって小鳥たちも活発に動きはじめ、森の中が小鳥のさえずりで騒がしくなりはじめた。


ピーチピーチピーチ─

ピーツピ─


「なんか鳴いてるねー」


「この鳥の名前は知ってる?」


「シジュウカラ?へーそうなんだ」


「…………シジュウカラといえばさぁ……なんか話題じゃなかったっけ?」


「ほら、アレ、なんか人間以外で言語を持ってることが証明された…ってやつ」


「あー、やっぱシジュウカラの話だったか。単語を組み合わせて喋る文法を持ってるんだよね、たしか」


ピーツピ!ジジジジジジ!


「めっちゃ鳴いてるねー。なんて言ってるんだろ?」


「“警戒して集まれ”?よく知ってるねー。鈴木俊貴先生の論文読んだの?」


「ていうか“警戒して集まれ”って騒いでるってことは……?」


「……え?あそこを見ろ?……うわ!ヘビいんじゃん!」


同行者が指さす先には、1メートルほどのアオダイショウがシュルシュルと這っていた。


「あのヘビはアオダイショウかな?……むこうに行っちゃったね」


アオダイショウはシュルシュルと森の奥に消えていった。


「なるほどねぇ、ヘビを怖がってシジュウカラが騒いでたワケだ」


「……ってことはさぁ、シジュウカラの言葉を覚えてたら山の中の状況いろいろ分かるんじゃね?」


「ね、ロマンあるよね」




シトシトとまだ雨が降り続いている……




「ヒマだねぇー……」


「なんか暇つぶしにクイズでも出してよ」


問題!デデン!


「“スペイン出身の画家パブロ・ピカソのフルネームは何?”」


「えっとねー…」


「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ!」


ピンポーン!正解!


「簡単ッ!簡単ッ!」


「他にも問題出してみてよ」


「“仏教の教えがわずか262文字に凝縮されていると言われる、天台宗・真言宗・臨済宗・曹洞宗・浄土宗などのお葬式で広く詠まれているお経は?”」


「おーけー……いくよ?」


「仏説摩訶般若波羅蜜多心経

ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう


観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時

かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ


照見五蘊皆空 度一切苦厄

しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく


舍利子 色不異空 空不異色

しゃりし しきふいくう くうふいしき


色即是空 空即是色

しきそくぜくう くうそくぜしき


受想行識亦復如是

じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ


舍利子 是諸法空相

しゃりし ぜしょほうくうそう


不生不滅 不垢不浄 不増不減

ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん


是故空中 無色 無受想行識

ぜこくうちゅう むしきむじゅそうぎょうしき


無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう


無眼界 乃至無意識界

むげんかい ないしむいしきかい


無無明 亦無無明尽

むむみょう やくむむみょうじん


乃至無老死 亦無老死尽

ないしむろうし やくむろうしじん


無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故

むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ


菩提薩埵 依般若波羅蜜多故

ぼだいさった えはんにゃはらみったこ


心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖

しんむけいげ むけいげこ むうくふ


遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん


三世諸仏 依般若波羅蜜多故

さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ


得阿耨多羅三藐三菩提

とくあのくたらさんみゃくさんぼだい


故知般若波羅蜜多

こちはんにゃはらみった


是大神呪 是大明呪

ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ


是無上呪 是無等等呪

ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ


能除一切苦 真実不虚

のうじょいっさいく しんじつふこ


故説般若波羅蜜多呪

こせつはんにゃはらみったしゅ


即説呪曰

そくせつしゅわつ


羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦

ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい


菩提薩婆訶

ぼうじそわか


般若心経

はんにゃしんぎょう」


「……え?ああ、“般若心経”とだけ答えればよかったのか。えへへ…でも正解でいいでしょ?」


「次の問題はなにかなー?」


「“タイの首都バンコクの正式名称は?”」


「あー出た、けっこー良く出るんだよねーこの問題」


「クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシ ン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリー ロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・ サッカタッティヤウィサヌカムプラシットでしょ」


「正解?いよーし!覚えといてよかったー」




「“落語『寿限無』において子供に付けられた名前は?”」


「これは常識問題でしょう」


「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の、水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助!」


「いやー言えたねー。この寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の、水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助さぁ…」


「子供のころ見た、こちら葛飾区亀有公園前派出所のエンディングの曲で覚えたよね」


「え!?寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の、水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助をこちら葛飾区亀有公園前派出所のエンディングで覚えてないの!?」


「うっそだぁー。ウチらの世代はみんなこちら葛飾区亀有公園前派出所のエンディングで寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の、水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助…を覚えるモンでしょー」




「…………そんなこと言ってたら雨あがったね」


「うぅーんっ……」


長い時間木の下でじっとしていた体をぐーっと伸ばす。


「んじゃーボチボチ出発しますかぁ」




雨が降った後の林道はぐちゅ…ぐちゅ…と水を含んだ足音がする。


「うへぇ~歩きにくくなってんねー…気を付けないと……」


ズシャー!

そんな声を後ろから聞いていながら、泥のぬかるみに足を取られて顔面から転んでしまった。


「ちょお…大丈夫!?」


ギャルが横に駆けよってきて、心配そうにしている。


「うわっ……」


ぷぷぷ…と口元を抑えた笑いが聞こえる。


「顔、泥だらけじゃん……いや、笑っちゃ悪いんだけど……」


ギャルはククク…と笑いをかみ殺しながら言う。


「滑って転んで顔面ドロだらけって……少年すぎっしょ」


語尾にwwwとついていそうな口調である。


「あーいい、いい、ウチが拭いてあげっから、じっとしてて」


ギャルがポケットからハンカチを取り出して顔を拭いてくれる。


「はい目ぇつぶってー……」


耳元で声を掛けられながら、顔にハンカチが当たる感触がする。


「口の周りも泥付いてんね……ん?口に泥入った?んじゃ、ペッってして。ペッって」


ぺっと口の中の泥を吐き出す。


「どう?口の中まだじゃりじゃりする?……じゃあ、これで口ゆすいで」


ギャルが水筒の水を手渡してくる。


「ほら遠慮しないで……え?“回し飲みは病気の感染リスクが高まるから遠慮しておく”?…………そ、そっかぁ~。そうだよねー……」


自分の飲み水を取り出して口の中をゆすぐ。

ペッ!





一度転んでしまったことでハイキングコースを歩く足取りはゆっくりと慎重なものとなっていた。

くちゅ…くちゅ…と靴に泥がまとわりつき、足音も鈍くなる。


「さっきはあんなに雨降ってたのに、もう完全に青空だねー、積乱雲だったのかな?」


空を見上げると先程までの雨降りが嘘のように青空が広がっている。


しばらく歩いていると、木々がうっそうと生えている地帯を抜け、だだっ広い草原が目の前に現れた。


「うおっ眩し……お?おおー!草原だぁ!草原っていうかなんていうの?高原?」


標高の高い土地に広がる平地には冷たい風が吹き抜け、背の低い草がそよそよと風にそよいでいた。


「わぁー…風が吹くと草がなびいてさざ波がたってるみたい……」


ざわざわー……と風で草が擦れる音が耳に心地よく届く。


「きゃっ……風強いねー。帽子飛ばされそう」


「あっちの標高の高い山の間から風がここを通り抜けてるんだね。吹きっさらしだ」


「ん~~っ……風が草と土の匂いだ。いい匂い……」


高原を突っ切るハイキングコースを歩いていると、大きな水たまりが道を塞いでいた。


「おおー…でっかい水たまりだ……。水たまりにめっちゃ澄んだ青空が写ってるね。直接空見るのと変わらないくらい。なんでこんなに鮮明に映ってるんだろ?空が近いから?」


水たまりに反射した青空につられて頭上の空を仰ぎ見る。


「うわー……雲がちかー……だいぶ高いとこまで来てたんだね」


「そんで雲が速い!ついさっきまで向こうにあった雲がもうあっちまで流れてる」




ピィー…ヒョロロローー……

上空で鳶が旋回している。


「あっ!あのピィーヒョロローは分かるよ!鳶でしょ!ピィーヒョロローは!」


「鳶はけっこう住宅街のほうでも飛んでたりするよねー」




風が吹き抜ける広大な高原を歩き続ける。


「景色は綺麗だけど、淡々と歩き続けるのもツラくなってきたなぁ…」


「またクイズでもやろうよ、考えてる間は疲れ忘れられるし」


「今度はこっちからクイズ出したげる」


「“菜の花や 月は東に 日は西に”この俳句の作者は誰でしょう?」


「与謝蕪村、正解!」


「じゃあ次のヤツ……“閑さや 岩にしみいる 蝉の声”これは?」


「そうそう、松尾芭蕉ね」


「じゃあこれは?“マスカラが 汗で流れる ハイキング”」


「これ誰が詠んだかわかる?わかんない?」


「正解は~…私でした~。これギャルハイクね」




さらに高原を歩き続ける。


「はぁ…!はぁ…!さすがに疲れてきた……やっぱ酸素薄いから?」


「“そんな影響あるほど高い場所じゃない”?」


「あっそう」




「あ、なんか看板たってる。えーなになに…“展望台まで500メートル”…だって!」


看板というか杭が地面に刺さっていて側面に目的地までの距離が書かれていた。


「ここが今日の目的地?」


「よーし、もうひと踏ん張り!」


ギャルは疲れた足に力を込めて一歩を踏み出す。


「最後ここ登ったら到着ね?うっしいくぞー」


「あー坂キツい!後ろから押してぇ……」


「はひぃ…はひぃ…」


「……あぁ~着いたぁ~~~~」




「いやぁ~さすがに眺めがよろしいでございますなぁ!」


「眼下に広がる山の木々の絨毯!」


「目の前にひろがる広大な空間!」


「上空には宇宙まで突き抜けそうな空!」


「世界を感じるなぁー……」


ハイキングコースの目的地の展望台には、平べったい石が賽の河原のようにいくつも積まれていた。前に来た人たちが積んでいったのだろう。




「あ、そうだ。お菓子持ってきたから食べよ?」


ギャルはリュックをガサゴソかき回してスナック菓子の袋を取り出した。


「じゃーん、ポテトチップ持ってきたんだー……って袋めっちゃパンパンになってる!?」


「そっか、低気圧で中の空気が膨張してるのか!」


「よく聞く現象だけど、実は実際見るのは初めてだったりするんだよねー」


ギャルはパンパンに膨らんだポテトチップの袋を興味深げに見つめる。


「……っていうかさっき、酸素薄くなるほど標高高くないって言ってなかった!?嘘じゃん。こんなパンパンになってんならさぁ!」


目的地に到着してテンションが上がっているのだろうか、ギャルはキレたような口調で同行者に言いがかりをつける。


「ま、いいや。さっそく袋開けて食べよーぜー」


ギャルはポテチの袋の上部をつかんでグッと引っ張る。

引っ張ろうとした。


「んっ…なかなか開かない……」


ギャルはポテチの袋を引っ張る手にさらに力を込める。

すると……?


「ん~~~っ……よいしょとぉ!」


パァン!という破裂音とともにポテトチップスの袋は開封された。


そしてあたりにパラパラと撒き散らされるポテトチップたち。


「へぇ?」


呆けたような表情を浮かべるギャル。


「へへ……へへへ……」


口の端がだんだんあがってくる


「アハハハハハハっ!」


ギャルはついには大口を開けて大笑いしだした。


「ハハハ…おかしっ……パンパンのポテチ開けたら……ククク……勢いよすぎて撒き散らすって……」


ギャルは腹を抱えて笑っている。


「ハハハハハハハハ──」


どこまでも見晴らしのいい大自然のなかで、ギャルの笑い声は遠くまで響き渡った。


ポテトチップスは回収し、可能な限り食べましたとさ。

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