第7話 ただ、あなただけを愛してる
「なに……これ」
チェストの上にある小さな箱。
そこに、入っていた封筒。
その中には、手紙が入っていた。
私はつい興味本位で手紙を見て、すぐに恐怖で手紙を元の位置に戻した。
絶対に、こんなもの見せちゃダメ。
……でも、私には捨てる勇気もなかった。
*
悠斗に告白してからの日々は、とてもとても幸せで、私にとって一番大切な時間だった。
毎日悠斗の家に行き、悠斗のお世話をする。
少しずつ元気を取り戻してくれて、コンビニくらいなら一緒に行けるようになってくれた時は本当に嬉しかった。
私のお陰なのかも、なんて思って自惚れていた。
……そう、自惚れだった。悠斗が元気になったように見えたのはただの自惚れで、私の力なんかでは全然なかった。
それどころか、悠斗は日に日におかしくなっていたのだ。
そんな変化をずっと隠し続けてくれていたことにも気づかないで浮かれていた私に、きっと神様は天罰を下したんだと思う。
*
冬の寒さもようやくおわり、季節は春になった。
外の天気と同じように、私も晴れやかな気持ちで外を歩いてる。
今日は悠斗と本当に久しぶりの、いや……多分私が悠斗を好きになってから初めてのデート!
ようやくここまで来れた。
悠斗に受け入れて貰ってから一ヶ月、いやそれ以前からずっと夢見てた事が遂に叶う……!
私は足早に悠斗の住むアパートの階段を登る。
そして、悠斗からもらった大事な合鍵を使ってドアを開ける。
悠斗はいつものようにカーテンを閉め切った部屋の隅で膝を折って座っていた。
……今日はもしかしたら悠斗も嬉しそうに迎え入れてくれるんじゃないか、なんて期待してたけど流石にそれは難しかったみたい。
私が靴を脱いでいると、悠斗が私に顔を向ける。
そんな悠斗が愛おしくて微笑むと、まるで幽霊でも見るかのように青ざめた顔でこちらを見つめてくる。
「なん、で……?」
その悠斗の声に、私は酷く嫌な予感がよぎる。
……もしかして。
「……どうかしたの?」
私は必死に嫌な予感を振り払い、そう問いかける。
「奏、だよな……?」
「あたりまえでしょう?」
私は努めて冷静に、出来るだけなんでもないように答える。
絶対にそうであってほしくないから。
これはただの悠斗の気まぐれで、昨日までと変わらない悠斗であってくれていると、そう信じたかったから。
けど……もしも、もしも悠斗が私の想像通りの状態だとしたら。
ずっと想像していて、そしてずっと覚悟し続けてきた日が来てしまったんだとしたら。
「だって、奏は死んだはずだろう?」
「……っ!」
ああ、神様どうして……どうして今日なんですか?
せめて明日ならば受け入れられたのに。
「……そうね」
私は、悲しみで歪んだ顔を隠すように悠斗の体を抱きしめる。
ずっと、覚悟はしていた。
悠斗が狂い続けていたのは理解していたし、朝比奈さんが見えている様子があったのにも、段々とそれが現実の物だと認識しているようだとも、気づいていた。
いずれは、悠斗が言った通りになる日が来るとそう思っていた。
そして、そうなれば辻褄を合わせるように誰かを……私を死んだ物だと認識するんじゃないかって、そんな想像をしたのは一度や二度じゃない。
それでも……。
「お、おい」
顔を置いている悠斗の肩が、私の涙で濡れていく。
「ごめんなさい、泣かないって決めていたのだけど」
どれだけ覚悟していても、それでも悲しい。
悠斗の恋人と認識してもらえないのが辛い。
そして何よりも、また悠斗を朝比奈さんに取られたという事実が余りにも――。
「奏、お前はなんなんだ……? どうして、俺の前に?」
私は悠斗の肩から顔を離し、涙で赤くなった目でしっかりと見つめる。
……私の決意を悠斗に伝える為に。
「私はきっと、あなたにとって幻の様なものよ。だから、いつかその時が来るまで私は貴女の傍に居続けるわ」
そういって、悲しみで引きつった顔を無理やり微笑ませて悠斗にキスをした。
……私は、必ず悠斗を支え切って見せる。
その時が来るまでは、必ず。
*
それからの私は、悠斗が今の状態に違和感を覚えないように必死に支えた。
まず宏明君にこのことを伝え、絶対に悠斗と話を合わせるように口裏を合わせた。
彼は悠斗を騙す事に相当抵抗があるようだったけれど、必死に説得してどうにか納得してもらうことができた。
……一度町で出会ったときに朝比奈さんの家に行こう、なんて言い出した時は心底焦ったけど悠斗自身が拒絶してくれたおかげでどうにかなってくれて本当にほっとした。
悠斗が誰もいないはずの空間に向かって楽しそうに話しかけているところを見続けるのは辛かったけれど、毎日ずっと悠斗の傍にいられるのは幸せだった。
……時々、愛情が暴走してしまってつい色々としてしまったことはあったけど。
それでも、悠斗は目論見通り順調に回復していった。
暫くすると、朝比奈さんとデートをするといって色々な場所に遊びに出かけるようにもなってくれた。
私はそれについて行って、悠斗が一人で話す変人に見られて何か言われないようにフォローしていた。
私が悠斗とデートする、そんな夢は叶わなかったけれど……それでも悠斗について行って外を歩くのはそれだけで胸が踊るようだった。
そんな悠斗の状態と比例するように、次第に悠斗の瞳に私が映らなくなっていった。
私はそれでいいんだと、毎日自分に言い聞かせている。
これがきっと悠斗が社会に復帰するための唯一の道。
だから私は、悠斗を支えるためだけにいるべきなんだ。
悠斗がいつか本当の意味で元通りになってくれる……なんて、そんな夢物語では悠斗を救うことは出来ないと思うから。
それから少しして、悠斗に朝比奈さんが見えている時は完全に私を見れなくなったころ私は一つ大きな決断をした。
大学を辞めて、本格的に悠斗を支えようと。
その為にはどうしても手続きが必要になるから、私は悠斗にその日だけは外に出ないよう頼んだ。
もし誰かが、今の悠斗に真実を伝えたりしたらきっとおかしくなってしまうから。
今のとても幸せそうで、毎日が楽しそうな悠斗を不幸にしたくなかった。
……例え、完全に私が見えなくなったとしても。
いやむしろ、その時こそが悠斗が社会復帰できる日だと思う。
そして次の日……つまりは今日、私は退学届を出すために大学に向かった。
だけど大学につく直前になってハンコを忘れたことに気づいた私は、急いで家に向かった。
まあ、家と言っても悠斗の家だけど。
悠斗の家に着いた私はすぐに違和感に気づいた。
……悠斗がいない。
背中に冷たい汗が滴る。
悠斗が私との約束を破るなんて、そんなことは思いたくないけれど……。
私はすぐに外に出て悠斗の探した。
六月になれば外もそれなりに暑く、運動不足の私が走り回るには辛かったけれど、そんなの気にしていられなかった。
*
「……何してるの?」
ようやく見つけた悠斗の姿は、酷く辛そうだった。
地面にはいつくばって涙を流し、横には宏明君が冷たい目をして立っている。
それを見ただけで、どんな状況なのかすぐに理解できた。
きっと宏明君が全てを暴露したんだろう。
今までの努力が全て水の泡になり、私の目からは滝のように涙が流れた。
宏明君への怒り、悠斗への怒り、そして自分への怒り。
私はもう、いったい誰に怒っているのかも分からなくなって胸の中がぐちゃぐちゃになった。
「どうして、どうしてここにいるのよ、悠斗……!」
今までの人生で一番大きな声が出た。
悠斗が一番辛いはずなのに、そんな時に悠斗を怒鳴るなんて自分は馬鹿な女だと思う。
今優しい言葉をかければ、もしかしたら彼は自分のモノにだってなるかもしれないのに。
それでも、悠斗が幸せを投げ捨てたのがどうしても許せなかった。
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