第4話 もう手に入らない

「暇ね……」


 そういうと、奏がため息をつく。

 ここは俺と奏が働く喫茶店。

 築数十年のかなり古い木造の建物だが、丁寧に手入れされ未だに古臭さを感じさせない。

 店長の趣味によって選ばれたお洒落な机や椅子が、店内の雰囲気を引き締めている。

 

 時刻は十五時、忙しかったランチタイムも終わり店内も落ち着きを見せていた。

俺が働いているこの喫茶店は大学に近い事もあり、お昼時はそれなりに込むのだがこの時間帯になるとかなり暇になる。

俺と奏はカウンターの前で暇を持て余していた。

 

 バイトの俺としてはありがたい話ではあるのだが、店長の娘である奏に対してそんなことを口走る訳にもいかない。


「あと一時間もすればまた少しずつ忙しくなるだろ」

「それもそうね……。悠斗、コーヒー淹れてくれる? 特別にあなたの分も淹れていいわよ」

「それはありがたい事で……」


 こいつ、人を顎で使いやがって……!

 まあけど店長(代理)命令なら仕方ない……。


「うーん、眠いわね……。クッキーでも食べようかしら」


 そう言って奏が何やらゴソゴソと動き出す。

 今日は店長がいないから好き勝手やってやがる、言いつけてやろうか……。


 そんなことを思っていると、店の前の駐車場に一台の車が止まる。

 あの車、宏明のか……?


「いらっしゃいませ」


 少しして、店内に宏明と朝比奈さんが入ってくる。


「こんにちは~」


「朝比奈さん、大丈夫なの?」


 俺の問いに、朝比奈さんが微笑む。


「うん、ちょっとなら大丈夫だって。 それなら悠斗君に会いに行こうって、宏明君が送ってくれたの」

「それならよかった……。あ、どうぞそこに座ってください」


俺に促された二人がカウンターに座る。


「宏明もわざわざありがとう」

「全然いいよ、朝比奈さんのためだし」


 宏明は鍛え抜かれた厚い胸板に手をあて、得意気にしている。


「これは朝比奈さんが宏明君に寝取られる日も近いわね……。二人ともコーヒーでいいかしら?」


 奏は普段と変わらない口調でこういう冗談を言うので、偶に本気で言ってるんじゃないかと思えてくる。


「うーん、あんまり悠斗君が構ってくれないならそうしちゃおうかな~?」


 朝比奈さんはそう言うと、クスクスと笑う。

 冗談だとわかっていても心臓に悪い。

 ……冗談だよな?


「ちょ、朝比奈さん……!」

「冗談、冗談だよ! ……今は、ね」


 付き合いが長いからわかる、これはちょっと本音も入ってる……!

 この間会いに行けなかったの、まだちょっと怒ってるんだろうか……。


「だってさ、宏明君。チャンスじゃない」


 そう言って奏が宏明を煽りだす。

 ふと宏明の方を見ると、居心地悪そうにしつつもなんだか満更でもなさそうに見えた。


「流石に親友から彼女を取ったりしねーよ」

「本当だろうな?」

「お、おう」

 

 俺が睨むと宏明がややたじろぐ。

 

「もー、私だって悠斗君から離れたりしないよ」


 俺たちのやり取りをみて、朝比奈さんが頬を膨らませる。

 相変わらず一つ一つの仕草がとてもかわいらしい。


「大丈夫です、信じてますよ」


 俺はそう言って朝比奈さんの頭を撫でる。


「へへへ……」


 朝比奈さんが嬉しそうに目を細める。


「そこのバイト、あんまり営業中にいちゃついてるとクビにするわよ」


 奏が底冷えするような声を出す。


「う、ごめん……」

「ごめんね奏さん……」


「朝比奈さんはいいのよ、お客様なんだから」


 朝比奈さんは、ってことは……。


「俺は……?」

「これからの態度次第ね」


 奏はそう言うとキッチンへと向かう。

 怒らせてしまっただろうか……。


「怒らせちゃったかな?」


 朝比奈さんが心配そうな顔をする。


「大丈夫、奏は意外と優しいから心配ないですよ」

「……聞こえてるわよ」


 奏がキッチンから顔を出して睨みつけてくる。

 地獄耳すぎる……!


「……仲、いいんだね」

「ま、まあ多少は……。けど朝比奈さんとの方がもっと仲いいですよ!」


 俺が大袈裟にそう言うと、朝比奈さんが嬉しそうに笑う。

 

「ずっと、こうしていられればいいね」


 そんなことは無理だとわかっているはずなのに、それでも祈る様にそう言う朝比奈さんの表情は、やけに大人びてみえた。

 俺は、そんな朝比奈さんの祈りに対し何も言う事が出来なかった。


「まあ、取り敢えず悠斗が無事に単位をとれない事には無理だな」

「……その話はしないでくれ」


 微妙な空気を感じ取ったのか、宏明が冗談を言って場を和ませる。

 

「二人はこの後どうするの?」


 奏がキッチンから顔を覗かせて尋ねる。


「特に予定はないから、このまま送っていくよ」


 奏の問いかけに宏明が答える。


「そう、なら……悠斗、二人と一緒に帰っていいわよ」

「え、クビ……?」


 俺がそう言うと、奏が呆れた様にため息をつく。


「違うわよ……。朝比奈さんが寂しいだろうからってこと」


 どうやら、奏なりの気遣いだったようだ。


「いいのか?」


 俺のその問いに、奏が優しく微笑みながら頷く。


「もうすぐバイトの子も来るから心配ないわ」


 奏はそう言うと、キッチンへと戻っていく。

 

「悠斗君の言ったとおりだったね」

「何がですか?」

「奏さんは優しいって言ってたでしょ?」

「そうですね」


 俺はそう言って、奏の方を見る。

 奏の顔は、カウンターから見てもわかるくらいに赤くなっていた。



「おはよ」

 

 目の前に朝比奈さんのかわいらしい顔がある。

 頭から、人肌のぬくもりを感じる。

 どうやら俺は朝比奈さんの膝枕で眠っていたようだ。


「おはようございます……」


 もう二度と手に入る事の無い暖かい記憶を思い出し、俺は懐かしさと悲しさで心がぐちゃぐちゃになっていた。


 周りを見渡すと子供たちが走り回ったり、俺たちの様に男女でゆっくりと過ごしたりとみんな楽しそうに過ごしている幸せな光景が広がっていた。

 きっと芝生の上で彼女に膝枕をされている俺たちも、そんな幸せな光景の一員に混ざっているのだろう。


「泣いてるの?」

「四人で過ごしていた頃の夢を見ました」

「……そっか」


 俺がそう言うと、朝比奈さんが優しく微笑み俺の頭を撫でる。

 普段からしてもらっているはずのそんな些細な行為が、今はとても懐かしく思えた。


「楽しかったよね、あの頃」

「……そうですね」


 四人がそろっていたあの頃は、本当に全てが輝いて見えていた。

 きっとこれから先もあの日々を超える事は無いと、そう確信できるほどに充実した日々だった。


「もっとたくさんデートして、あの頃に負けないくらい楽しく過ごそうね!」

「……もちろん!」


 暗くなった空気を振り払うように、俺たちは努めて明るく振る舞う。

 あの観覧車デートから一か月が経ち、俺たちは毎日の様にどこかに出かけていた。


 今までの日々を取り返すようなこの生活は、確実に俺の心を癒しているのだろう。

 その証拠に、明らかに奏を見る機会が減っていた。

 最近は少なくとも朝比奈さんといる時は全くと言っていいほど見なくなっている。


 きっと、こうして俺は日常へと戻っていくのだろう。

 嬉しいはずなのに、俺の心は素直に喜べない。

 奏に会えなくなる寂しさに、俺は本当に耐えられるんだろうか……?


『例えあなたがどれだけ狂ったとしても、私はあなたを愛してる』


 昔、奏に言われたその一言が頭によぎる。

 今でも奏は、俺の事を愛してくれているんだろうか。

 朝比奈さんに心の底から溺れた今の俺でも……。


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