第3話 ”あの子”

「それにしても、お前が外に出られるくらいには元気になったみたいで良かったよ」


 ハンバーグを頬張りながら、宏明は嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 奏が現れてから、少しずつだが社会復帰への道筋が見えてきていた。

 いや、死んだはずの元カノの幻が見えている時点で社会復帰とはとても言えないけど……。


 ちなみにその幻こと奏は、俺の膝に頭をのせて幸せそうに眼を閉じている。

 俺は宏明に気づかれないようにそっと奏の髪を撫でる。

 幻であるはずの奏の髪は、記憶にある通りの絹のような艶やかな肌触りでとてもに心地が良かった。


「今でも外に出るのは少し怖いけどな、ずっと引きこもってたし」

「少しずつでも外に出られるならいつかもとに戻れるさ。……それよりも、さ」


 宏明が困ったように頭を掻く。

 言いにくいことなんだろうか……?


「どうした?」

「あの子の実家に顔を出さないか? 線香の一つくらい……」

「行かない」


 自分でも驚くほどに冷たい声が出る。

 宏明の言う“あの子”とやらが誰なのかくらい、今の俺でもわかる。

 だからこそ、俺は絶対に行きたくなかった。

 間違いなく、俺のすべてが壊れてしまうから……。


「親御さんも来てほしいって言ってたぞ? 外に出られるようになった今のお前なら……」

「悠斗、帰りましょう」


 奏が宏明の声を遮る様に席を立ち、俺の手を強く引く。

 俺自身、これ以上ここに居たくなかった。

 俺は財布から千円札を取り出してテーブルに置き席を立つ。

 

……あの子の家に行き、線香を上げる。

 そんな想像をしただけで、俺の心臓は長距離走の後の様に激しく脈打ち呼吸が早くなる。


「おい悠斗!」


 宏明が声を上げ俺を引き留めようとする。

 だけど、俺の心にはもうそんな声に耳を傾ける余裕はなかった。


「……ごめん」


 俺は宏明に僅かばかりの謝罪をすると、ファミレスの出口へと向かった。

 隣にいる奏を見ると、宏明を睨み付けるようにじっと見つめていた。

 宏明は、まるでそんな奏に怯えるかのようにたじろいで席に座り頭を抱え込んでいる。


「大丈夫……大丈夫よ、私だけは何が合ってもあなたの味方だから」


 奏はそう言うと、俺の手を強く握りしめる。

 感じないはずのその痛みが、聞こえないはずのその声が、激しかった俺の鼓動を落ち着かせてくれた。



 結局買い物をせずに家に帰ってきた俺は、布団を膝を抱え現実から眼をそらしていた。

“あの子”の居ない“あの子”の家に上がり込む、そんな想像を繰り返しその度に体が震える。

 

 奏はそんな俺を抱きしめながら静かに頭を撫で続けてくれた。

 時折聞こえる慰めの言葉が、俺の心をゆっくりと元に戻して行く。

 自分の心のケアを自分が産み出した幻に頼むのはきっと間違ったことなんだろうけど、今の俺にはそれしか自分を保つ方法が見つからなかった。

 

「……!」


 ふと、階段を上がるヒールの音が聞こえる。

 このアパートの二階には男しかいない。

 恐らく、この音は朝比奈さんの足音だ。


「どうしたの?」


 奏が心配そうに俺の顔を覗き込む。


「朝比奈さんが来たみたいだ」

「……そう」


 奏の顔が暗く陰る。


「ありがとう、助かったよ」


 俺がそう言うと奏は頬を赤く染め目を伏せる。


「ねえ悠斗、あんまり私の前で……」


 奏が何か言いかけた時、部屋のインターホンがなる。


「ごめん、来たみたいだ」


 俺は自分が産みだした幻に謝ると、玄関の扉を開ける。


「いらっしゃい朝比奈さん」

「あれ、今日は起きてたんだね? ……んんー?」


 朝比奈さんが俺の顔を見て唸りだす。

 

「ど、どうかしました?」

「……えい!」


 かわいらしい掛け声と共に俺の体を抱き寄せる。


「ちょ、えっ……?」

「悠斗君、泣いてたでしょ」


 そう言って俺の頭を撫でてくる。

 どうやら、目元が赤いままだったようだ。


「それは……」

「大丈夫、泣いてもいいんだよ? 私には君がどうして泣いていたのかはわからないけど、それでも慰める事くらいはできるから」


 先ほどまでの奏とは違う、本当の生きた女性の感触に鼓動がどんどんと早くなる。


「朝比奈さん……」

「おー、よしよし」


 朝比奈さんは犬でも撫でるかのように俺の頭を撫でまわしてくる。

 少し雑だが、とても心地良い。


「よし、じゃあデートしよっか!」


 俺の頭を一通り撫でまわした朝比奈さんが唐突にそんなことを言い出した。


「デート、ですか……?」

「うん! 私ね、観覧車に乗りたいの」


 観覧車なら、大通まで出ればあるはずだ。

 時計は十七時を指している。

これから人通りが増える時間帯だけど、二人きりになれる観覧車くらいなら大丈夫だろう。

きっと朝比奈さんもそれを見越して言ってくれたんだろう。


「駄目、かな?」


 暫く考え込んでいると、不安そうな顔で朝比奈さんが尋ねてくる。


「いえ、行きましょう」


 俺がそう言うと途端に顔を綻ばせて腕を掴む。


「本当に? 嬉しい、ありがとう」


 そう言って俺の腕をぐいぐいと引いていく。


「あ、危ないですよ」

「大丈夫だよー! それより、早く行こ!」


 いつもよりも更に明るい笑顔を振りまきながら朝比奈さんが階段を駆け下りていく。

 アパートの鍵を閉めて下を見ると、手を振って俺を呼び掛けているのが見えた。


 他の住人に見られているかもしれないという若干の恥ずかしさはあったが、俺と出かけるというただそれだけの事で朝比奈さんがこんなにも喜んでくれる。 

 その事実が、とてもうれしかった……。



「大人二枚お願いします」

「かしこまりました、お気を付けてお乗りください」


 やや愛想の無い店員さんに導かれながら、俺は大通にある観覧車に乗り込んだ。

 俺と朝比奈さん、二人だけの空間……のはずだったが。


「ちょっと悠斗、もう少し詰めて」


 何故か奏までいるのはどういう事なんだろう……?


「朝比奈さん、高い所は大丈夫ですか?」


 俺は身体を更に窓側に寄せながら朝比奈さんに話しかける。

 出来るだけ奏に反応しないように気を付けないといけない……。


「うん、平気だよ~。 あ、こういう時は怖がった方がかわいいかな?」

「朝比奈さんならどっちでもかわいいですよ」

「ふふ、ありがとっ」


 朝比奈さんが嬉しそうに笑う。

 ふと見ると、朝比奈さんが自分の右手を見つめている。

 

 もしかして、手をつなぎたいんだろうか……?

 それなら……。


「……あっ」


 意を決して朝比奈さんの右手を握ると、恥ずかしそうに顔を下に向け俺の左手を握り返してくる。


「なんか、いつもと違って緊張するね」


 朝比奈さんがはにかみながらそう言って顔を背ける。

 耳まで赤くなった朝比奈さんがとても愛おしく見えた。


「……」


 隣に座る奏が、何も言わずに俺の右手を握る。

 どこか不満気な表情に気づかないようにしながら手を握り返すと、険しかった顔がどんどんと綻んでいく。


 なんだかとても最低な絵面だが、片方は俺の妄想の産物だから問題ないはずだ。

 ……いや、彼女といる時にこんな妄想をするのはそれはそれで問題だけれど。


「ね、悠斗君」


 朝比奈さんが幸せそうな笑顔でこちらを見つめ話しかけてくる。


「なんですか?」

「これからはもっとデートしよっか」


 俺の手をさすりながら緊張した様子でそう口にする。

 俺にとってそれは、夢みたいなものであった。

 それが現実になるというなら、これ以上望むべくもないだろう。


「喜んで、いやむしろこちらからお願いします……!」

「ふふ、ありがと」


 そう言って優しく微笑むと、窓の外を見つめる。

 ちょうど頂上付近に到達した外の景色は、あれだけ怖かったのにとても綺麗で幻想的に見えた。


 ふと、隣を見る。

 奏が俺と朝比奈さんを寂しそうに見つめながら、愛おしそうに俺の手をさすっている。

 俺が産み出した幻のはずなのに、なんでこんなにも俺の心は痛むのだろう。

 複雑な気持ちを胸に仕舞い、観覧車が地上に着くまでの間俺は静かに街を見続けた……。


——————————

 読んでいただきありがとうございます。


 既に完結まで書いていますので、よかったら読んでいただけると嬉しいです。

 感想やブクマなど、お待ちしてます。

 

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